僕は、何者

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 真っ暗な空間がただ広がっている。惑星も隕石の欠片も、太陽や地球のように光って見える存在は何もない宇宙にいる感覚だ。ただ地面だけは存在し、しっかり僕はこの足で立っている。それ以外なんの情報もない。僕には記憶すらない。どこで生まれて、どんな家庭で育ち、誰と恋愛をして、誰の手を握っていたのかも。名前すらもわからない。ただ僕という人間がこの空間に立っている。それだけだった。僕は何者で、何故こんな場所にいるのだろう。何一つ光るものがないため、自分の体を見ることすらできない。  ただ歩くしかなかった。歩いてみた。足音すら響かない、虚しい空間だ。数十分歩き続けると、薄っすらと何かが見え始めた。道だ。まっすぐ伸びる道の先には終わりなど見える気配がない。ようやく自分を見下ろすことができた。思ったよりも地面が近かった。どうやら僕は子供らしい。ボロボロになった黒い半ズボンと黒いTシャツ、ひどく赤い液体で汚れている。生臭さに鼻をつまみたくなる。足元には銃が落ちていた。子供の手には少し大きい銃が。それを拾い上げ、右手に握ると、脳に激痛が走った。倒れ込むようにして頭を押さえる。喘ぐように漏れる声はやはり幼かった。ただその右手にあるものは、身体の一部のように吸い付いた。人差し指が引き金に触れると、懐かしい感情が胸に広がる。身体が覚えている、とはこういう感覚なのだろう。 「お前…は…何者…だ」  一本の果てしなく続くまっすぐな道の向こうから薄っすら声がした。何者だ、その声は確かにそう聞いた。 「僕は、僕は…誰なんだ」  遠くに人間が見える。この距離ではシルエットしかわからない。きっとあいつの声だ。あいつは誰だ、僕は誰だ。 「血…血だ。その匂いを、お前は知ってるはずだ」 「教えてくれ!僕は誰なんだ!どこで生まれたんだ、誰と過ごしてた、わからないんだ!なにも…」  叫ぶ声は孤独を感じるほど響いた。急に寒気が襲う。 「笑わすな。これだよ、この匂いだよ。思い出せ」  響いた発砲音が鼓膜を振るわせる。左腕を撃ち抜かれ、大量に出血する。激しく痛む傷口にそっと触れる。赤黒く染まった右手で鼻を覆う。脳へ伝わった匂いと共に記憶がフラッシュバックした。直接脳内に流れる映像に吐き気を覚える。  とある倉庫の中で、目の前にいる中年男性に銃口を向ける自分の右手が見える。 「や、やめてくれ!助けてくれ…まだ、まだ死にたくなっ…」  縄で縛れたうるさい中年男性の頭を右手が撃ち抜いた。倉庫内に響く発砲音がやけに心地いい。 「さすがだ、P000(ピー・サードゼロ)」  銃口を下におろし、役目を終えたかのように少年は後ろへ歩いていく。周りの黒いスーツを着た大人達を無視して。  ここで映像が途切れた。 「P000……僕の…名だ」  映像内の少年は一言も発さなかったが、あの呼び名は僕だ。記憶が鮮明に戻っていく。遠くに立っていた人間は気づけば姿を消し、また果てしない道が広がっていた。  血を流す左腕など気にせず、立ち上がってひたすら走り続けた。僕のお父さん、お母さん、どこにいるの。そう心で叫びながら遠くを目指して走った。僕はなんであんな記憶を知っているんだ。遠くの方でまた発砲音が響いた。その瞬間、走馬灯のようにいろんな声が脳内に刻まれる。 「殺せ、殺すんだ」 「お前は道具だ」 「撃て!」 「奴は殺人鬼だ」 「あの子は愛を知らない」  うるさい、うるさい、うるさい!!!  僕は何者なんだ。ここは何処なんだ。命令するように鋭く言う大人の声、同情するような可哀そうな声。断片的に映し出される脳内映像は少年の心を蝕んだ。  上がった息を聞きながら走り続ける僕は何かにつまづいて勢いよく地面に転んだ。擦りむいた膝を抱えながら前を見上げた。数えきれないほどの死体の山が現れ、血で塗りたくられた電子チップが地面に落ちた。電子チップと繋がれた管は、僕の脳と繋がっていた。  僕は、お父さんもお母さんもいない、この汚れた手を握ってくれる人もいない、愛を知らない。人を殺すために作られた、殺人鬼だ。
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