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第二章 四人の飛曹 その三
瓢野も兎澤も、感慨深そうにつぶやく。体力を消耗する軍隊では、揚げ物や糖分が多くたくさん食べられる甘いものは重宝されていた。だとしても、こんな心のこもった饅頭を見たのは、もうずいぶん遠い記憶に思えた。
「そうだなぁ……じゃあ喧嘩しないよう、俺が分けよう」
「おっ、黒崎隊長、よろしくお願いしますわ」
瓢野も兎澤も、少しでも自分のが大きくありますようにと心のなかで願っていた。黒崎隊長の包丁が入り、白い饅頭がぱっくりと二つに分かれる。
すると一宮が、小さな声で呟いた。
「わしは、大阪の市内から外れた山間の出身でな」
珍しく話し始めた一宮に、みなの視線が集まる。
「農業が盛んやったさかい、お盆にはあんころ餅でな。……そん時の小豆ん匂いは、今でも思いだす」
「一宮! 貴様がそう喋るのは珍しいのぉ」
「……たまには、な」
「まあしっかし、貴様は贅沢じゃのぉ。わしはお盆なんぞ、その辺の草つんだ団子だけじゃ。たまに町に連れてって色のついた水あめを見ると、そりゃ心が躍ったもんじゃ」
瓢野のどこか遠くを見るような目に、黒崎隊長も頷いた。
「実は俺、元々は結構な偏食でなぁ」
何でも文句を言わず食べそうな見た目の想像とは違い瓢野は興味津々に聞く。
「俺は周りの家に比べて兄弟が少なくてな、俺と歳の離れた妹の二人だ。それで金がないなりにおふくろも腹いっぱい食わせてくれたんだ。そんな環境から突然、諸先輩方にすべてを譲って、それこそ残飯をむさぼらないとやっていけないようなところにぶち込まれた。食わないと倒れるから死に物狂いで食べて、気が付いたら……なんでも食えるようになっていたのさ」
肩をすくめる黒崎隊長に、兎澤も昔を思い出すように頷いた。
「自分も、海軍の食事にはこっぴどくやっつけられました。カレーは水ばっかりですし。母はカレーにもちくわを入れるんですよ。甘口で、おいしかったなぁ」
「あはは、そりゃ兎澤、母の手料理ほど、美味いもんはねえ、それだけだ」
黒崎隊長も母がふるまってくれた手料理を思い出し言う。
「そうですね……確かに母の手料理に勝てるものはありません」
それぞれ自分の故郷の味を口のなかで舌を舐め回すように思い出しながら兎澤はつぶやく。
「もう一度。お袋の手料理を食べたいなあ……」
そういった瞬間、瓢野も一宮も、黒崎隊長もハッとした。
今までのは雑談の域であった。だが、故郷に帰りたい、お袋の手料理が食べたい。それは聞き捨てならない台詞だ。
「兎澤! 俺たち以外の前でそれを言うんじゃないぞ」
「あ……」
「未練を捨て、軍神になる覚悟を持つ。それが我らの使命だ」
黒崎隊長の言葉、自然に会話が途切れる。埋めるように潮騒が響いた。海鳥の鳴き声、風の音、漁村が持つ特有の塩と魚の匂いがした。ぐいっと茶を一息にあおり、黒崎隊長が立ち上がる。それを見て立ち上がる隊員たち。
「よし、休憩は終了だ! 荷解きに戻るぞ、整備士一同が十分働けるよう、しっかり用意せねばな!」
「ッハ」
そろった敬礼を返した三人に、黒崎隊長は笑みを浮かべる。そして彼らは、先ほどまでの楽しげな雰囲気を残したまま、訓練に戻るのであった。
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