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出会いの思い出
鈴木さんの前の担当者の舘野さんは、FOXTROTの勇也さんのファンだった。奏輔さんファンの私とよくFOXTROTの話で盛り上がった。
そんな舘野さんがある日、奏輔さんがFOXTROTとは別に曲を書いてプロデュースしている、女性アーティストのパプリンカちゃんとのコラボ企画を勝ち取ってきた。
パプリンカちゃんは世の中に「ゆめかわいい」という言葉を流行らせた張本人。パプリンカちゃんが踊りながら歌う姿は、一束幾らの大人数アイドルを瞬殺する、圧倒的なかわいらしさがある。
一束幾らのアイドルが男性ファンに支えられているのに対して、パプリンカちゃんは女性ファンが多くて、同性からリスペクトされている。
実はFOXTROTだけじゃなくて、パプリンカちゃんも好きだった私は、舘野さんが取ってきた仕事を聞いて嬉しい悲鳴を上げた。
だって、パプリンカちゃんがテレビやライブで歌うときには必ず後ろで奏輔さんがシンセサイザーを弾いている。奏輔さんとパプリンカちゃんに逢える、嬉しい!
しかも、今回のコラボ企画には奏輔さんもプロデューサーとして関わっていて、雑誌で私と奏輔さん、パプリンカちゃんの三人の対談が組まれている。
舘野さんの手を取って力強く握手して、
「舘野さーん。ありがとうございます。一生恩に着ます」
そう言うと舘野さんは、
「いえいえそんな…。それより奏輔さんに会えたらなんとか勇也さんのサイン貰えないでしょうか…」
舘野さんはFOXTROTの勇也さんファンなので、サインが欲しくてうずうずしてる。
「上手く頼んでみますね、舘野さんが取って来てくれた大仕事だし」
私が言うと、
「無理しないでくださいね、勇也さんのサインをねだって奏輔さんの機嫌を損ねたりしないように」
舘野さんは奏輔さんのプライドを刺激してしまわないか心配している。
「そこは…FOXTROTの二人の仲の良さを褒め称えて、奏輔さんと勇也さん二人のサインが欲しいって言えばなんとかなるんじゃ?」
「腐女子力を発揮する訳ですね」
私は腐女子力という造語に笑ってしまい、
「女子力じゃなくて腐女子力…舘野さんコピーライターに転職して、流行語大賞狙えそう」
舘野さんの抜群のギャグセンスを褒める。
そして、パプリンカちゃんのツアーグッズを私がデザインする企画は進んで行った。
パプリンカちゃんは私の二歳年下で、現役の女子大生。忙しい芸能活動と両立させるために、大学はなんと名門K大学の通信。名門K大学の通信は勉強が難しくて卒業率が低いことで有名。
正直、芸能人ならAO入試で楽をして、もう少しランクは低いけれどそこそこ見映えのする有名大学に入れるのに…と思った。
打ち合わせで会って話してみると、パプリンカちゃんは見た目の幼さやかわいらしさとは正反対のとても真面目で落ち着いた人だった。
私も美大を卒業したばかりだったので、パプリンカちゃんが、大学の話を振ってきた。
「幸花ちゃんはTZ美大なんだよね、凄いな…。私はね、親に芸能人になるのを反対されて、交換条件に大学だけは実力で出るって約束して。芸能人枠じゃなくて、実力でK大の通信四年で卒業してやるって宣言。だから、どんなに眠くても疲れてても、絶対挫けないって意地張ってるの」
ベビーフェイスでニコニコしながら話しているけれど、パプリンカちゃんは努力家でとっても真面目なんだなと思う。
私は絵は得意でも勉強は苦手だった。TZ美大を選んだのも勉強が出来なくても美術の実技で評価してくれるから。本当はT美大を志望していたんだけれど、学科で点数が取れない、実技のレベルが高過ぎるので見事に落ちた。TZ美大に拾って貰わなかったら、今のイラストレーターとしての私はいない。
思い返せば、逃げの進路選択だった。私はつらつらと自分の大学受験のことを思い返してから、
「私は、パプリンカちゃんみたく努力してなかった。勉強が苦手で勉強しなくても入れる大学がいい、絵が描きたいから美大っていう安直な進路選択だった、恥ずかしいな」
「そんなことないよ。幸花ちゃんは大学出てすぐに一本立ちしたんでしょ?うちのマネージャーが言ってたけど、在学中に頭角を現して卒業後にすぐに一本立ちするなんて、なかなか出来ることじゃないって言ってた。私はね…いつまでこの仕事出来るかわからないから、お仕事も勉強も両方頑張るつもり。パプリンカでいられなくなっても、働いて自立した生活がしたいんだ」
パプリンカちゃんは饒舌に語る。確かにかわいい路線で売っているパプリンカちゃんは、どこかで転身しないと芸能界で生き残れない。先の先を見据えて、大学の勉強も頑張ってるんだ、ものすごくタフ。
「私はパプリンカちゃんを見習わなきゃ。いつも、楽な方へ楽な方へ流れているから。仕事もやりたいことが出来るからそれでいいかな?って決め方だったし…」
「そんなことないって。好きなことを仕事にすると、楽しいだけじゃなくて、責任とか、プレッシャーとの戦いだよね。売れる前は夢を叶えることしか考えてないけど、売れてからは何度も苦しいことを乗り越えていかなきゃならないもんね」
パプリンカちゃんの言う通り、好きなことを仕事にすると、仕事にするんじゃなかったと思う日がある。向いてないんじゃないか、辞めて違う普通の仕事に転職した方がいいんじゃないかと迷う事も多い。
それでも、まだ行ける、まだやれると自分で自分を叱咤激励して、仕事を続けている。
パプリンカちゃんとそのスタッフさんもツアーグッズの打ち合わせをして、原案となるデザイン画の提出をすると、奏輔さんが直々に原案のチェックをしてくれることになった。
私と舘野さんはドキドキしながら打ち合わせで使う会議室で待つ。時間より少し遅れて奏輔さんがスタッフと共に現れる。慌てて椅子から立ち上がる私と舘野さん。
「すみません、前の仕事が押してしまって、初めましてパプリンカのプロデュースをしている奏輔です」
お辞儀をしてから顔を上げた奏輔さんの笑顔は、背景にキラキラと薔薇の花を背負ったような、少女漫画に出てくる王子様のようにカッコ良かった。
私と舘野さんもお辞儀をして自己紹介をする。挨拶もそこそこに仕事の打ち合わせに入る。パプリンカちゃんのツアーグッズの原画を奏輔さんが一枚一枚チェックしていく。奏輔さんは何か考え込む。
マネージャーらしき女の人、後から知ったのだけれど瞳さんに、
「スケッチブックと鉛筆出して、それからトレーシンググペーパー買ってきて、ダッシュで」
マネージャーの女の人に言うと、マネージャーさんはトートバッグからスケッチブックと筆入れを渡すと、会議室を走って出ていってしまった。奏輔さんは私の原画を無造作に横に退けると、スケッチブックに何か描き始めた。
私と舘野さんは顔を見合わせて、もしかしてダメだったってこと?リテイク?いや下手したらボツ、最悪クビ…そんな不安を目と目だけで会話していた。
気まずい沈黙の中、奏輔さんは私たちに目もくれずスケッチブックに向かい、瞳さんは15分で会議室に戻ってきた。確か、このビルのすぐそばには大きな文具店が入ったショッピングモールがある。
奏輔さんにトレーシングペーパーを手渡してゼアハアと荒い息をしている瞳さん。奏輔さんはトレーシングペーパーを私の原画に重ねると、微妙なラインを修正していく。
そして、重ねたトレーシングペーパーのラインを指差して、
「色はとても良いです。若干ですが、ラインの修正だけお願いします」
まるで、アートディレクターのような玄人っぽい指示。しかも、ラインの修正をするとパプリンカちゃんのイメージが少しだけ大人っぽくなるような、そんなグッズのデザインになる。
私は思わず、
「ラインの修正はすぐにいたします。ところで絵のお仕事もされていたんですか?」
そう問いかけると、
「いや、趣味で描いてるだけですよ。でも、パプリンカの衣装とかはかなり意見やアイディアを出してるし、趣味も仕事の役には立ってます」
ニコッと笑って奏輔さんは言う。
天は二物を与えないなんて嘘だ。
この人は絵のセンスも相当なもの。
細かい部分の打ち合わせを済ませると奏輔さんは、
「パプリンカとコラボして欲しいって言い出したのは僕です。幸花さんの手掛ける雑貨を見て、この人のデザインは絶対パプリンカに合う。一目惚れでした」
私の手を取って握手をしてくる。
絵に一目惚れしたってことだよね、勘違いしちゃうよ。
今回はサインをねだれる空気ではなかったので、パプリンカちゃん、奏輔さん、私の雑誌の対談のときにお願いしてみようという流れになった。
雑誌の対談のときには、無事に直した絵の納品も済ませて和やかな空気だった。奏輔さんを通して勇也さんのサインも舘野さん宛てにもらえることになった。
対談の後に奏輔さんがごく自然に、
「対談で喋り疲れちゃったね、喉がカラカラだ。カフェでも行かない?会員制の所があるんだ」
私はこの後特に予定もなかったので舘野さんの方を見る。舘野さんは、
「じゃあ私は先に帰りますね」
笑顔で言うと、奏輔さんから見ると死角になる位置で親指を立てて、頑張れと合図を送ってくれる。
奏輔さんは思い出したように、
「舘野さんだっけ?一緒に来てください。カフェの中は会員制だけどマスコミが入口にいるかも。三人なら怪しまれないし、勇也も自分の仕事の収録が終わったら来られるかもしれないから呼びますよ。幸花さんは僕のファンだけど舘野さんは勇也ファンみたいだから」
舘野さんはバレバレだった二人のファンという建前を見抜かれてちょっとバツが悪そうに笑う。奏輔さんは、
「もし幸花さんが勇也ファンで舘野さんが僕のファンだったらショックだけど、どうやら運命の神様は僕に味方してくれたみたい」
意味深なことを言って、私に微笑みかけてくれる。
私たちはカフェに移動して、テレビ番組の収録が終わった勇也さんも駆けつける。舘野さんは念願の勇也さんと会えて嬉しそう。サインも貰えて舞い上がっている。
カフェで美味しい紅茶とケーキを堪能して、そろそろ解散というその直前、奏輔さんは私に一枚のメモを手渡してくれた。
LINEのIDらしい。
「良かったら連絡して、また会いたいな」
勇也さんと舘野さんに聞こえないように耳打ちされた。
それから、奏輔さんとLINEをしたり、二人で会ったりするようになった。二人で会うときは、時間差でお店に入って時間差で出て、マスコミ関係に嗅ぎ付けられないように気をつけていた。
ある日会員制のバーでカクテルを飲みながら、
「こうやって会ってるとまるで恋人同士付みたいだよね?僕と付き合ってくれない?」
奏輔さんが私の肩を抱き寄せてくれた。私は頷いて、
「よ、よろしくお願いします」
緊張の余り噛んでしまい、せっかく抱き寄せてもらったのに体が金縛りに遭ったみたいに動かなかった。
緊張で小刻みに震える私の指先を見て、奏輔さんは反対の手で手を恋人繋ぎで絡めてくれた。
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