七階

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 エレベーターから降りてきたのは、作業服を着た男だった。 「どうかなさいましたか?」  現れたばかりの男が暖人と早川の会話をすべて聞いていたわけがない。  それでもなにか揉めていたのを察したのか、暖人と早川の顔を交互に見比べながら尋ねてきた。 「いや、なんでもないです」  暖人は急に恥ずかしくなって、苦笑いを浮かべながら男に応えた。  一方早川は暖人から手を離し、男を鋭く睨みつけていた。  早川は、威嚇しながら何者かと探っているような目つきをしている。  胡桃関連のニュースが世間に広まって以来マンションには野次馬が多く集まるようになった。  関係者の振りをしてマンションの中まで侵入して来る者もいたため、早川が警戒するのももっともだった。 「あの、あなたは?」 「ああ、はい。私、七〇一号室の清掃依頼を受けた清水と申します。今回はどれだけの荷物があるのか確認をしに来ただけなのですが、搬出する時はお騒がせします」  暖人自身も男の正体が気になったので質問すると、男は首から下げていたカードホルダーを暖人たちに見せるようにして答えた。  カードホルダーの中には清掃会社の社員証が入っていて、顔写真と清水という名前を確認できた。 「これから清掃ってことは、警察の捜査は終わったってことですか?」  清水が七階フロア現れた理由に納得した暖人はなんとなく会話を続けた。  早川の意識は逸れている。もう一度早川とやり合う元気はなく、初対面の清水と話している方が楽だった。 「いや~、どうでしょう。少なくとも部屋の中は調べつくしたということでしょうね」 「七〇一号室で殺人事件が起こっていたかもしれないって聞いたんですけど、つまりそういうことも調べつくしたってことですよね」  清水に聞いても仕方ないと思いながら、暖人は続けて疑問を口にした。 「ああ。一時期かなり話題になっていましたね。七○一号室の住民は誰かに殺されたのではないかと。悪いことをして多くの人に恨まれていたという噂もありましたし、色んなところで好き勝手言われていて、何が真実かわからないですよね。だけど、少なくとも七○一号室で殺人が行われていたという情報はデマだそうですよ」 「でも、住民以外の血痕が見つかってますよね」 「それは、以前この部屋に訪れた人間がなんらかの理由で怪我をして、その血痕が残っていただけだったとか。こちらとしては助かります。殺人現場を清掃するのは通常清掃とわけが違いますからね」  清水は質問されることを嫌がっておらず、むしろ積極的に話しているみたいだ。  暖人はそんな清水に若干の違和感を覚えながらも、七○一号室で人が殺されていないと聞いて安堵した。  胡桃の死に思うところはある。  その上で殺人事件があったか、なかったかで、精神的な負担は全然違ってきた。 「信じられないわ!」  気持ちが軽くなった暖人とは対照的に、早川は絶望したような声で叫んだ。 「なんなのよそれ! 警察は本当にちゃんと捜査をしたんですか? もっと時間をかけて調べるべきなんじゃないですか? 胡桃は自殺じゃなくて他殺の可能性もあるって、テレビであんなに騒いでいたじゃないですか。そうじゃなくたってまだまだ不明なことも多いのに、結論を出すのはあまりにも早過ぎるんじゃないですか!」  早川はただ清掃に来ただけの清水に対して責めるように言う。 「まぁ、一度でも殺人の可能性があると発表されてしまうと、なかなか受け入れられないものですよね。ただ胡桃は自殺でほぼ間違いないそうですよ」   清水は早川の態度に意外そうにしながらも自身の主張を曲げなかった。
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