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「私には、わからない。なんでそんなふうに言い切ることができるの? 仮に胡桃は自殺だとして、血痕を残した人物は殺されているのかもしれないじゃない。そうよ。死んだのが胡桃じゃなくたって、この部屋で殺人が行われたかもしれない。だからやっぱり、捜査を続けなきゃ。証拠がなくなったら困るから、まだ部屋の中を片付けちゃいけないのよ」
「捜査自体が打ち切りになったわけではないですよ。胡桃が関わっていた犯罪についてはまだわからないことだらけらしいので。その上で、七○一号室は調べつくしたのでしょう。でなければ私は呼ばれていませんよ。それにここだけの話、七○一号室の部屋に血痕を残した人物はちゃんと生きているそうですし、七○一号室での殺人はやっぱりなかったんですよ」
「生きている?」
「はい。どうやら以前からこの部屋には複数の人間が頻繁に出入りしていたそうですね。その中の一人が、血痕を残した人物だったそうです」
清水はどこで情報を仕入れているのだろうか。
早川相手にはっきり意見を述べ、こちらが知らない情報を出してくる。
それもどこか楽しそうな清水に、暖人の抱いていた違和感は不信感に変わった。
依頼をこなす上で多少の情報は必要だったのかもしれない。
特殊な仕事なので出回っていない情報を入手する伝手もありそうだ。
だとして、七階フロアの住民と積極的に会話をして住民さえ知らない情報を得意げな漏らす清水は、マンションに侵入してきた野次馬や記者とどう違うのか暖人にはわからなかった。
「なら、そいつが怪しいわ。そいつが、胡桃の自殺を示唆した、あるいは、殺したのかもしれないじゃない。そいつのことを、ちゃんと調べてるの?」
早川は早川で勝手な解釈をしている。
いくら話を続けても二人の認識が一致することはなさそうだった。
「どうでしょうかね。その人物は、胡桃の被害者の親御さんだと聞きました。怪我をした時点でまだ行方不明だったらしいので、胡桃を死なせはしないと思いますよ。殺してしまったら、情報を引き出せませんから」
「だとしても、やっぱり怪しいわ。胡桃が自殺するわけがないのよ。このまま誤解されたままじゃ、胡桃が、可哀想」
早川は言って、下唇を強く噛んでいた。
清水はそんな早川を横目に腕時計を確認していた。
もう話のネタは尽きたのか。それとも早川と話すことに嫌気がさしたのか。
ではこの辺で失礼しますねと軽く頭を下げてから、持っていた荷物を七○一号室の扉の前に置いた。それからポケットから鍵を取り出して、七○一号室の扉に差し込んだ。
直ぐ傍で早川が息を呑んでいた。
暖人もまた、七○一号室の中が気になっていた。
だけど見たくないという気持ちもあって、咄嗟に口を開いた
「あの、中に、お婆さんがいますよ」
清水が七○一号室の扉をいよいよ開けようとした時、暖人は言った。
「それは本当ですか?」
清水に聞かれて、暖人は頷く。早川に睨まれているのは無視した。
「はい。入って行くのを見たんです。胡桃の親戚とかかもしれません」
「妙ですね。今回は遺族の方から依頼を受けて来たんです。電話の様子からして遺族の方はマンションに近づきたくないようでしたよ。今日になって急に気が変わったんでしょうかね。ちょっと確認してみます」
清水は首を傾げながら扉を開ける。暖人は開いた扉の隙間から、チラリと中を見た。
玄関にある数足の靴は紳士物の革靴で、老婆が履いていたとはとても思えなかった。
「誰かいらっしゃいますか?」
清水は中に入って、どこかにいるはずの老婆に声をかける。
清水の声は静まり返った室内に響いて消えた。
外から覗いていても、誰かがいる気配はしなかった。
清水はお邪魔しますと口にしてから部屋の中に足を踏み入れた。それから浴室の扉などを開けて老婆を探してくれたが、結局誰の姿も見つけられなかったようだった。
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