騒音

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騒音

【七〇六号室】  朝から、雨が降っていた。  おかげで部屋の中は暗く、暖人のテンションはいつもより低かった。  こんな日に外に出るのは億劫で、だけど湿気が籠った部屋の中に一人というのも寂しい。  ちょっとでも空気を明るくしようととりあえずテレビを点けてみると、胡桃のニュースが取り上げられていた。  胡桃の犯罪に巻き込まれて行方不明になっているという女性の母親がモザイクつきで心境を述べていた。 『とにかく無事でいてほしいです』  表情はわからなくても、その声、その一言で、十分気持ちは伝わった。  暖人には関係のないことであるけれど、胸が痛くなった。  もしもこの母親の声を胡桃が聞いていたとしたら、胡桃の気持ちは揺れただろうか。  暖人は想像して、テレビのチャンネルを替えた。  胡桃が被害者家族の声に心が動かされるような男だったとしたら、そもそも犯罪に手を出していないはずだった。  チャンネルを替えたところで興味を惹かれる番組はなかった。  動画を見ようかと思ったけれど通信速度制限がかかってしまい諦めた。  結果暇を持て余した暖人は友人の海藤に電話をしてみた。  海藤は暖人が住んでいるマンションの近くにあるコンビニでバイトをしていた。たいてい深夜から早朝にシフトを入れている。タイミングが良ければバイトが終わったくらいの時間帯だった。  数回呼び出し音を鳴らすと、海藤は電話に出た。そして今から来ないかと暖人が言うと、海藤はマジかよと驚きの声を上げた後、直ぐに行くと通話を切った。  しばらくして、廊下から足音が聞こえた。  暖人は早速海藤が来たと思って、玄関に向かった。  そして覗き穴から外を見ると、子どもの後ろ姿が目に入った。  子どもは胡桃の部屋に用事があるようで、かかとを上げでインターフォンのボタンを押した。  子どもは暖人が後ろから覗いていることに気づいていない。  暖人は扉を開けようか迷った。  その部屋には誰もいないことを教えてやるべきか。  だけど、いきなり扉を開けたら驚かれてしまうかもしれない。  胡桃と関係した子どもだとしたら、あまり関わりたくないという気持ちもあった。  暖人が迷っている間に扉が開いて、子供はそれが当然のように中へ入って行ってしまった。  扉が開くわけがないと思っていた暖人は、子どもの背中を呆然と見送った。  いったい、どういうことなのか。  子供が胡桃の部屋に入ってしまったので、廊下にはもう誰もいない。  廊下も暖人の部屋も静まり返っていた。  暖人は子供がいなくなっても直、覗き穴から外を見ることをやめられなかった。そして、直ぐ前に見た映像を頭の中で再生させた。  暖人はこれまでたくさんの人間がその部屋に入っていくのを見ていた。奇妙に思っていたものの、それほど気にしていなかった。だけど今は初めて嫌な予感がしていた。  さっきの子どもは、いったい何者なのか。  以前見かけた老婆の正体も、結局わからないままだ。  胡桃が生前犯罪に関わっていたのは確かだった。  胡桃が死んだ今も、胡桃の部屋で誰かが何らかの犯罪を続けているとしたら。  暖人は子どもが危ないと思って、慌てて部屋を出た。  そして胡桃の部屋の扉の前に立ち、一度小さく深呼吸をしてから、恐る恐るインターフォンに手を伸ばした。  子どもはインターフォンを押して、中からの返事を待って中に入っているようだった。  ならば中には、子どもの他に、誰かがいる。  誰かの正体はわからないけれど、子どもがいるのは確かで、インターフォンを押せばなんらかの反応があるはずだと思った。  だけど、暖人がインターフォンのボタンに触れた瞬間、エレベーターの扉が開く音がした。  エレベーターから降りてきたのは、海藤と早川だった。
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