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「あれ、暖人、なにやっての?」
海藤は不思議そうな顔をして暖人にたずねる。
早川もまた訝しそうな顔をして暖人を見ていた。
「今さっき、子どもがこの部屋の中に入って行くのを見たんだ」
「子ども? 子どもなんて珍しいか? このマンション、どちらかというとファミリー向けだろ。今も下のエントランスで小学生くらいの子どもが鬼ごっこをしていたぜ。お前が見たのはきっとこのマンションの住民の子だよ」
「だけど、この部屋の住民は自殺しているんだぞ。そんな部屋に子どもが一人で来ると思うか? それに、子どもがインターフォンを押した時、中から誰かが鍵を開けていた。子どもの他に、誰かがいるんだ」
「ああ。なるほど。ここが噂の自殺者が出た部屋ってことね」
海藤は胡桃の部屋の扉を見つめて、納得したように頷いた。
それからきょろきょろと廊下全体を見回して、もう一度頷いた。
「このマンションの前をよく通るけど、中に入ったのは初めてだわ。いい具合に古びていて、なかなか雰囲気があるマンションだな。特に自殺した男が住んでいたこのフロアとか、子どもにとっては格好の遊び場になるわな」
暖人は海藤の話を聞いて、なるほどと思った。
それまでは子どもがなんらかの犯罪に巻き込まれているものだと考えていた。だけど子どもが遊ぶために胡桃の部屋を訪れていたのだとしたら緊急性はないような気がしてきた。
「子どもってさ、危険なにおいがする場所に近づきたくなるもんだよな。俺も昔はそうだった」
「今も中身は子どもだろ」
「子ども心を忘れていない純粋な大人だってことね」
「ポジティブな解釈だな。それよりも、子どもはこの部屋に遊びに来たとして、誰が中から鍵を開けたんだよ」
「俺が知るわけがないけれど、単純に推理するに、同じ子どもが開けたんじゃねぇの。何人かの子どもが既に中に集まっていたんだよ」
海藤は言って、扉のノブに手を伸ばす。ノブはビクともせず、海藤の手によって扉が開くことはなかった。それからインターフォンを押して反応がないのを確認してから肩を竦めた。
「中で肝試しでもしているかな。だとしたらえらいリアルな肝試しだよな。俺も混ぜでもらいたい。てか、今現在かなりビビってんじゃね。知らない大人が外でなにかしてるって」
「お前の推理が当たっているとして、最初から中にいた子どもはどうやって鍵を手に入れたんだよ」
「マンションのオーナーか管理人の子どもがいて、こっそり鍵を盗んできたとかじゃね。親が自殺者の部屋に行くことを許すわけがねぇし、黙って来たんだよ。だからこそ、出て来れねぇんだろうな」
「なににしたって注意したほうがいいよな。いくら子どもでも不法侵入は不法侵入だろ。」
「おお、暖人、しばらく見ないうちに大人としての責任感が出てきたようだな。もう直ぐ社会人になるからか、それとも隣人が死んで自分自身の人生を見直したのか。俺も見習って大人にならなきゃなぁ」
海藤はどこか馬鹿にしたように笑う。暖人は急に恥ずかしくなってきて、誤魔化すように舌打ちした。
「じゃあお前が注意してくれ」
「肝心なところを俺に責任押し付けるのかよ。てか、別に放置でよくね」
「なにかあってからじゃ遅いだろ」
「でも、開けてくれなきゃどうにもなんねぇじゃん。中にいる子どもと顔見知りってわけじゃねぇんだろ。普通に管理会社に連絡して、親に言いつけてやるのがスマートだと思う」
「そうかもしれないけど、なんかな。おい、中で聞いているのなら出てこい。今出てくれば今回は見逃してやるぞ」
「おお。なんと慈悲深い」
「お前、さっきから俺のこと馬鹿にしているだろ」
息を潜めて会話の成り行きを窺っているだろう子どもに暖人は提案した。
しかし反応したのは海藤だけだった。
それから数分経っても中から子どもが出てくることはなかった。
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