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あまりに異様な光景に、暖人の熱も下がり、だんだん馬鹿らしくなってきた。
もう構っていられないと暖人が部屋に帰ろうとすると、海藤も慌ててついてきた。
扉を閉めた瞬間、ガンガンと妙な音と衝撃が部屋の中に響いた。
暖人は覗き穴から外を見た。
すると扉の前に早川が立っていた。
早川はただそこにいるだけじゃなく、両手で叩いたり、足で蹴ったりと、全力で怒りを扉にぶつけていた。
血走った目を大きく見開き、口からは涎が垂れている。
明らかに尋常な様子じゃなくて、暖人は単純に怖くなった。
だから急いで鍵を閉めた後ドアチェーンをかけた。
「おい暖人、廊下の女なんなんだよ。マジ怖いんだけど」
海藤は玄関に腰を下ろして、疲れたような顔で暖人を見上げていた。
「俺にもわかんねぇよ。てかさ、俺と女、どっちがおかしいと思う?」
「今の状況を見る限り、女のほうが普通じゃないだろ。向こうは暖人がおかしいと思っているみたいだったけど。で、実際のとこ、暖人は怪しい薬をやってるの?」
「やってるわけねぇだろ。んなもんどこで手入れられるのかも知らねぇよ」
「だよな。暖人ってわりと真面目キャラだもんな。健康のため酒も煙草もやらないお前が、わけがわからない薬に手を出すわけがないって思っていたんだ。だとして、廊下の女は暖人が薬をやってるって信じ切っている理由はなんなんだよ」
「どう俺と薬が結びついたのかは謎だけど、恨まれているのは前からわかっていた」
「よっぽど気に障るようなことをしちゃったの?」
「先週発売された週刊誌を読んでないわけ?」
「週刊誌? 基本は漫画しか読まない俺が週刊誌なんて進んで手に取るかよ。ちょっと前は就活のため意識して新聞を読んでたけど、もう終わったし、それもなくなったわ」
海藤はどこか誇らしげに首を横に振る。
暖人は小さくため息をついた後、靴を脱いで部屋の奥に向かった。
海藤もついて来て、適当な場所に腰を下ろした。そして物珍しそうに部屋の中をキョロキョロ観察していた。
暖人はそんな海藤に自分がインタビューされた記事が載っている週刊誌を手渡した。
「俺の向かいの部屋の住民が自殺したことは知っているだろ?」
「それくらいはな。一時期すごい騒ぎになっていたよな。このマンションにもすげぇ人がたかっていて異様な雰囲気だった。もしかして、お前も取材を受けていたのか?」
「受けたよ。その時の記事が、その週刊誌に載っている」
「マジで。知り合いが週刊誌に載るなんて初めて。俺も買っておけばよかった。まだ売ってるとこあるかな」
「面白がっている場合じゃねぇんだって。その記事があの女を刺激させたのかもしれないんだよ。とにかく中身を確認して意見をくれ」
暖人が読むことを促すと、海藤はさっそく週刊誌をペラペラと捲る。そして該当ページで手を止めて、内容を読みだした。
それからしばらくして、海藤はパタリと週刊誌を閉じた。
「なんて言うか、完全に恨まれるやつじゃん。絶対これが最高に嫌われた原因じゃん。せめてもっと匿名性がある記事だったらマシだったのに。七階には自殺した男を除いて二人しか住民がいなくて、暖人がインタビューを受けたのがまるわかりじゃん。自殺した男の隣人は騒音女だったって全国発信されて、あの女の立場はかなり微妙になっちゃったはずだ。ネットで知らないやつらに好き勝手言われていただろうし、リアルでもなにか言われていたかもしれない。その怒りの全部が今向けられているんじゃないのかな」
「ベラベラ余計なことをしゃべったことは反省している。だけどさ、元はと言えば何度も注意されて改めなかったあの女が悪いんだよ。今だって自分の非を認めねぇし、あれはいよいよ病気だな」
「病気とわかってるなら尚更触れるなよ。触れたら負けな案件だろ。どうせあと数ヶ月しかこのマンションにいないんだろ。少しの間、我慢できなかったのかよ」
「それが限界だったんだよ。慣れない警察からの聞き取りやインタビューの繰り返しで、言わなくてもいいことをつい言ってしまう気持ちもわかってくれよ」
「そうだな。わからなくもない。それにしたってだよ。さっきも言ったけど相手は極力触れちゃ駄目なタイプの女だろ。記事になっちゃったのはしかたないにして、廊下ですれ違っても構うなよ」
海藤は暖人から目を逸らして、玄関の扉を見やる。
早川はようやく気が済んだのか、少し前から音は止んでいた。
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