騒音

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【七〇六号室】  暖人の友人たちはみな進路が決まり明るい。  ただ顔を合わせてとりとめない話をしているだけで元気を貰えた。  若者特有の根拠のない自信を取り戻した暖人は、こんなことならばもっと前から友人たちを部屋に招待していればよかったと後悔した。  特別潔癖だったわけじゃなくて、一人の時間を大切にしたかったからそれまでは他人を拒否していた。  暖人は一人っ子で、両親は共働きだった。だから実家では一人で過ごすことが多かった。むしろ常に誰かといることが苦手で、上京してしばらく苦労した。  同年代はなにかとつるみたがる者が多かった。  用事がなくても誰かの家に集まって馬鹿騒ぎをする。  そういう溜まり場はだいたい固定されても、たまには違う人の家に行きたいという流れになる。  当然暖人の家も候補の上がることがあったものの、徹底的に拒否した。  一人の空間を守りたいだけじゃなく、壁の薄いマンションで友人たちに騒がれたら問題になると恐れていた。  暖人の実家は一軒家だったからこそ、マンションでは一人で過ごす時さえ音に気を使っていた。  そんな暖人のことを空気が読めないやつと非難する者もいた。だけど幸いなことに、暖人の態度で大きく関係が崩れることはなかった。  今となっては、意固地になっていた自分のことが馬鹿馬鹿しく思える。  誰かといると、安心した。  一人で過ごす時間なんて、ほんの少しあれば十分だったと気づいた。  卒業を控え、学生だからこその時間が貴重であると思ったらもう、どんどん人を呼びたくなった。  それに、どんなに気を使っていても生活音は出てしまう。  そもそもマンションの入居者は少なく、他の住民ともどうせ数ヶ月の付き合いだった。  だから思いきってやりたい放題に振る舞ってみても、誰かに注意されることはなかった。  もっとも危惧していた早川は沈黙していて、早川以外の住民は仕方なそうな顔をしているだけだった。  暖人は調子に乗って、次々と集まる友人たちに、向かい側の部屋の男が自殺したことを、その隣に住む女の頭がおかしいということをネタとして広めた。  暖人のマンションで自殺者が出たということは友人たちもニュースなどを見て知っていて、最初に暖人の家に来た時は廊下でキャーキャーと騒いでいた。  誰かが深夜に肝試しをしないかと提案して、一人一人が七階の早川の部屋以外のインターフォンを押してまわって帰ってくるという遊びをやった。  みんな早川が怒り狂って部屋から出てくることを期待したが反応はなかった。  そして暖人は以前のように早川と出くわさなくなった。  姿が見えないと、不思議となにをしているのか気になるものだ。  早川のことを暖人から聞いて会ってみたいと友人たちは言い、廊下で待ち伏せる者もいた。だけどやっぱり、早川は姿を現さなかった。  その早川が、深夜海藤のバイト先に来たらしい。  早川の肌はボロボロで全身から妙な臭いがしたと海藤は言っていた。そして暖人の家から帰宅しようとした数人の友人も、エントランスで早川らしい女と出くわしたとメッセージを送ってきた。友人は早川の後ろ姿を写真に収めていた。メッセージにはその写真も添付されていて、暖人はそれを見て笑ってしまった。  隠し撮りのためかぶれて歪んで写った早川の姿は、まるで幽霊のようだった。  覇気のなさは写真だけで伝わる。  あんなにも偉そうにしていたのに、結局人数には勝てなかったらしい。  早川は、自分を避けている。  そして、怯えている。  その事実が、暖人にはおかしくてたまらなかった。
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