プロローグ

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 えーと、事件の日、七〇一号室のベランダになにか干してあったかって?  俺の部屋は七〇一号室の向かい側にあるのに、どうしてベランダの様子を確認できると思うんですか。  洗濯物のことなんて知りませんよ。  てか、他人の部屋の洗濯物って、みんな気にしているもんなんですか?  気にしませんよね。普通。   ならば外出時に外からマンションを見上げて、なにかを目にしなかったかって?  えっ。ベランダって、重要なキーワードなんですか?  最初に言った通り、あの日は雨で、俺は傘を手に持っていたんですよ。  マンションを出た時は雨が止んでいたけど、帰る頃にはまた降り始めていました。  そもそも行きも帰りも俺の視線は足元に向いていましたね。  雨の日って、靴が塗れるでしょ。  俺、あれがすごく嫌なんです。  水たまりに足を突っ込まないように気をつけて歩いていました。  だからやっぱり、七〇一号室のベランダなんて見ていませんよ。  仮に上を見上げていて、洗濯物を目にしていたとしても、気にしなかったと思います。  雨が降っても雪が降っても洗濯物を外に干す友人がいるんです。  そいつ曰く、いつかは乾くって。  まぁそうなんでけどね。  俺は無理だけど、本人がいいなら、それでいいのかと思います。  七○一号室の人が実際どうだったのかは知りませんが、友人みたいな人間って一定数いるのかもしれませんね。  それで、ベランダと七〇一号室の人の自殺と、どう関係があるんですか?  七〇二号室の女が気にしていた?  女の気にしていたことを気にするほうが無駄な気がするんですけど。  はい。そうです。  あの女は頭がおかしいんです。    このマンションの普段の様子ですか?  ああ。七階はともかく、他の階は比較的静かなんじゃないですかね。  小さな子どもがいる世帯も複数入居していたみたいだけど、特に不快に思ったことはないです。  子どもの声が響くのは当たり前じゃないですか。  流石に泣き声が続くと心配になるけれど、笑い声が聞こえたら安心するくらいです。  それよりもずっと不快なのは、成人した人間が出す騒音ですよ。  ほんと、よく耐えてるなと自分を褒めてあげたいですよ。  三年半前に俺がこのマンションに入居を決めた理由は家賃です。その時は騒音問題に悩まされることになるなんて思ってもいませんでしたね。  家賃はこの辺じゃ一番安いんじゃないですかね。  大学にも近いし、もう少し綺麗ならば、もっと多くの学生が入居していたと思いますよ。  今このマンションに住む大学生は、たぶん俺だけです。  去年まで他に何人かいましたよ。だけど卒業したり、どうせ来春までに引っ越さなきゃいけないからと早めに新居を探して出たりと、気がつけば俺だけが取り残されてしまいました。  俺は今大学四年で、来年の春には内定先の会社の寮に移ることになっているんです。  だから取り壊しが始まる少し前にこのマンションを出て行く予定だったんですけど、今回のことがあってどうするべきかと悩んでいます。  向かい側の部屋で人が死んで、何事もなかったように生活するのは難しいですよ。  とか言いつつ、卒業まであと半年もないのに新しい部屋を探すのもなんだか馬鹿馬鹿しい気がしています。  えっ、七〇二号室の女も早くマンションを出たがっているんですか?  新居を探していたなら、それはもう時間の問題ですね。  あの女がいなくなるなら、やっぱり無理に引っ越さなくてもいいかな。  向かい側の部屋は不気味だけど、煩いよりは全然いいですよ。  幽霊の存在とか、全然信じていないですし。  幽霊よりも人間のほうが、ずっと怖いですよ。  とりあえず、内定先の会社に事情を話して早めに寮に入れてもらえないか相談してみます。  無理でも、女がいなくなるって知ってだいぶ気が楽になりました。    はい。  残りの学生生活、存分に楽しもうと思います。  すでに卒業旅行の計画も立てているんです。  まずは卒論を頑張らなきゃなんですけどね。  マンションが静かになったら、もの凄く捗りそうです。
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