訪問者

7/14
59人が本棚に入れています
本棚に追加
/64ページ
「その、付き合っている女って、ちゃんと両想いなの?」 「両想いに決まってるじゃん。片想いでどうやって付き合うの? 姉ちゃんって、あいかわらず面白いな」  純はケタケタと明るい声を出して笑う。  純がいると部屋の空気が和らいだ。  宏美はなんだか不思議な気持ちになった。  この部屋の中で誰かの純粋な笑い声を耳にしたのは初めてだった。  思えば、業者や相沢以外で部屋に人を上げたのも初めてだった。 「学校は、楽しい?」 「楽しいよ。家にいるよりもずっとね」 「勉強はちゃんとしているの?」 「毎晩親父と一緒に宿題をさせられるんだぜ。そりゃ平均以上の成績を取れるよ」 「部活は?」 「やらせてもらえると思う?」 「……友達は?」 「学校には友達に会いに行っているようなもんだよ。本気で信じあえる友達がたくさんいるんだ。たぶん、一生の友達だよ」  自信を持って友達が居ると言える純が、宏美はちょっとだけ羨ましくなった。  純は宏美とは全く違う学生生活を送っていた。 「じゃあ、わざわざ私のところに来なくても、学校の友達の家にしばらく泊めてもらえばよかったじゃない」 「そんな迷惑かけられないだろ。親しき仲にも礼儀ありだよ。同級生の多くは俺のことを面白いやつって思ってくれているけれど、その親は違う。保護者はみんな、俺のことを警戒しているんだよ。なるべく俺に関わるなって家でいつも言っているらしい」  温かかった空気が急に張りつめる。  宏美は純がどうして保護者に警戒されてしまっているのか、わかってしまった。  すべては宏美のせいだった。  宏美は中学生の時に当時の同級生にしつこくつきまとっていた。  同級生は不登校になり、結果として転校してしまった。  その噂はただちに広まり、宏美を含めた家族は近所から白い目で見られるようになった。  両親は最初こそ宏美を庇っていたが、被害者が転校してからは諦めてように宏美を無視するようになった。  両親の愛情は生まれたばかりで汚れのない純に向いた。  両親は純が宏美のせいで虐められるのではないかと危惧していた。  引っ越しも考えていたが、ローン付きの持ち家はそう簡単に手放すことはできなかった。  幸い純は持ち前の明るさで虐めを克服しているようだった。  けれどすべてをなかったことにはできない。  宏美の噂は今でも語りつがれ、純に影響を及ぼしていた。  宏美は今でこそ、家族に申し訳ないと思う。  純は弟で、やはり可愛い。  だから自分のせいで純が傷ついていると思うと、胸が苦しくなった。 「……ごめんね」 「嫌だな。謝らないでよ。別に姉さんを責めているわけじゃないよ。もう十年以上前の話なんだから、関係ないやつはほっとけよって感じだよな。ずっと昔のことで、終わったことはしかたないじゃん。姉さんも、苦しかったんだろ。どうしようもなかったんだろ。好きすぎて、止まらなかったんだろ。俺さ、姉さんは、凄いと思う。今の俺と同じ年齢で、すべてを投げ捨て人を愛することができたんだから」 「全然、凄いことなんかじゃないよ。私はいつも、後悔してる」 「なにそれ。実は、本気じゃなかったの?」 「本気だった。だけど、やり方は間違っていたと思うの。もっと上手く振る舞う必要があった」 「ふーん。もっと上手く振る舞う方法ね。そもそも正解なんてあったのかな。恋愛って難しいよね。俺もさ、相手との温度の差をどう埋めればいいのかわからなくて最近悩んでいるんだ。相手の愛は、俺に比べてずっと重い気がしている」 「純は、彼女のことを本気で愛しているんじゃないの?」 「うん。愛してるよ。だけど、本気かと聞かれたら答えに困る。だって、まだ可能性がある気がするんだ。これから、もっと、もっと好きな人と出会える気がする。彼女がいながら、運命の相手を求めている自分がいる。今の彼女との結婚は考えられない。それって、裏切りなのかな?」 「どうなんだろう。まだ若いから、ゴールが見えないのは当たり前じゃないかなと思う。裏切りとは、違う気がする。とにかく、今の彼女では満足してないってことなんだね」 「彼女には悪いけど、繋ぎだよ。いつか本命と出会えた時のための練習」 「結婚まで考えられないのはしかたないにして、一人一人と真剣に付き合うべきだと思うよ」 「そんなこと言われても、どうしようもない。俺の気持ちはただでさえ揺れやすいんだから。最初から本命と出会えていれば、なんの苦労もしないんだろうな。姉さんのほうはどうなの? 本音君、見つかった?」  純に問われて、宏美は一瞬固まってしまった。  純の言う本命とは、いったい誰のことだろうかと考えた。  ずっと昔、大好きだった人。  今では、顔を思い出せなかった。
/64ページ

最初のコメントを投稿しよう!