そして、二人は再び出会う

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 幼い頃によく来ていたとはいえ、あれからもうかなり時は経っている。それでも僕は迷わず、あの頃よく遊んでいた川へ来ることができた。意外と覚えているものだな、と感心してしまう。 「あれ……」  川にかかる橋のちょうど真ん中あたりに人がいた。  ブルーのストライプ柄のワンピースがふわりと揺れている。  僕は思わず腕時計に目を遣った。まさかこんな時間に人がいるなんて。しかも、女性が一人きりで。  その時、足元でザリッという音がした。砂利を踏んでしまったらしい。  しまったと思って前を見ると、女性がこちらを向き、驚いたような顔で僕を見つめていた。 「あ、あの……」 「かっちゃん?」 「え……」  僕は彼女を食い入るように見つめる。  「かっちゃん」とは、幼い頃のあだ名だ。僕の名前、楢崎和樹(ならさきかずき)で「かっちゃん」だ。  そして、ここでこの名で呼ぶ人物は一人しかいない。 「……かっちゃん?」  僕も彼女を呼んでみた。すると、彼女の表情が瞬く間に崩れ、泣き笑いのような顔になる。 「ほんとに、かっちゃん?」  もう一度呼ぶと、彼女は嬉しそうにコクンと頷いた。  記憶が一気に蘇る。彼女がずっと探していた人だった。  そうだ、こんなに大切なことを、どうして忘れてしまっていたんだろう?  彼女の名前は高瀬華也(たかせかや)。  僕たちはお互いを同じあだ名で呼び合っていた。  僕は彼女に駆け寄り、マジマジと顔を眺める。  すっかり大人になった彼女は、清楚で控えめなお嬢さんといった風貌で、昔、山や川で駆けまわっていたおてんば娘には見えない。  それでも、責任感が強くて意思の固い瞳はそのままだ。大人たちに叱られる度、しゅんと項垂れていた真面目さは、ちっとも変わっていない。 「どうしてここに?」  確かに不思議だろう。僕はあの夏を境にここへは来なくなってしまったのだから。 「ずっと……かっちゃんに会いたかったんだ」 「え?」  彼女は驚いた顔をする。  あぁ、これじゃ言葉が足りない。 「僕は……確か小学校の五年生からだったと思うんだけど、ここへは来なくなった」 「うん」  たどたどしく話し始める僕を、彼女が真剣な眼差しで見ている。  決して急かすわけではなく、先を促してくれているような温かな視線。僕はどうしようもなくホッとした。 「どうしてなのかを聞いてみたら、僕が行きたくないと言ったからだって言われて……。でも、僕はそんなことを言った覚えはなかったんだ」 「うん」  都度彼女が頷いてくれるので、僕はどんどん後を続ける。 「僕は休みの度に、かっちゃんと遊べることが嬉しくて楽しくてたまらなかったのに」 「うん」 「でもたぶん……会いたくないと思ってしまう何かがあったんだ」  そう、彼女に会うと辛くなってしまうような、何か。 「僕はそれを思い出せない。今も夢を見るんだ、その何かを。とても息苦しくて、視界は真っ暗だったのに、突然それが真っ赤に染まって……」 「思い出さなくてもいいよ」  彼女が初めて僕の話を止めた。  彼女を見つめると、彼女は少し悲しそうな顔で首を横に振る。 「思い出せないのは、辛いから。辛いことをわざわざ思い出す必要なんてない」  彼女はそう言ってくれたけれど。彼女は何があったかを、ちゃんと覚えている。 「かっちゃんは知ってるんだね? だったら、教えてほしい!」  僕は思わず彼女の両腕を握りしめた。その時、初めて彼女の腕に微かな傷があることに気付く。 「これ……」 「え? あ……」  彼女は慌ててその腕を隠そうとした。  しかし、もう遅かった。 「あの時の……傷」  彼女は諦めたように顔を俯ける。傷をそっとさすり、静かに顔を上げた。 「もう、ほとんどわからないでしょ? だからうっかりしてた。かっちゃんが辛い思い出として封印してるなら、そのままでよかったのに」 「そんなわけない!!」  大きな声に驚き、彼女がビクリと肩を震わせた。 「全部思い出した。小学五年の夏休み、僕とかっちゃんはいつものようにこの川で遊んでいた。でも、僕はふざけすぎて足を滑らせた。それで川に流されてしまって……。かっちゃんはそんな僕を助けようとして、岩で腕を切って大怪我をした。血がたくさん出て、傷が残るかもしれないと言われて……僕はとんでもないことをしてしまったと、もうかっちゃんには会えないって思って……」  僕はかっちゃんに会うのが怖くなった。  謝りに行きたかったのに、なかなか行けなくて。  でも、やっと勇気を振り絞ってかっちゃんに会いに行った時、彼女はいなくなっていた。  僕にはもう会いたくない、だからいなくなったんだ。  そう思うと、悲しくて、自分のしでかしたことが悔しくて。あの頃の僕は、ただ泣いているだけの情けないやつだった。 「実はね、うち、両親が離婚して……私はお母さんについて東京へ行くことになって。それ、かっちゃんに言えなかった」 「え?」 「私も東京にいたから、本当は会いに行けたの。でもかっちゃん、あれからずっと会いに来てくれなかったから、私のこと嫌いになっちゃったかなぁって」 「そんなことない! あるはずないだろ!?」  僕の言葉に目を丸くする彼女。その後、彼女の頬に僅かな朱が走る。 「でもね、母の再婚でちょっと折り合いが悪くなっちゃって。だからまたここに戻ってきたの」 「……そうだったんだ」 「東京にいた頃よりもずっと、かっちゃんのことを思い出すことが多くなった」  それはそうだ。ここには二人の思い出が詰まっている。 「会いたいけど会えない。どうしたらいいんだろうってずっと思ってた」 「ずっと……探していた」  僕は彼女を抱き寄せ、腕の中に閉じ込めた。 「僕も、ずっと会いたかったんだ」  腕を緩め、彼女の瞳を見つめる。 「ずっと忘れてたくせにさ……。でも本当なんだ。何度も夢を見て、君を探していたんだ。今朝早く目が覚めて、場所だけは思い出したんだ。それで、ここへ来ればもっと思い出せるんじゃないかって、車を飛ばしてきた。そしたら……君がいた」  彼女は驚いたように目を見開き、呆然としながら言った。 「私も早くに目が覚めて……。ここ、いつもは避けてるの。あのことを思い出しちゃうから。でも、今日はどうしてか行ってみようって……」  僕も目を見開き、その後でまた彼女を抱き寄せる。  やっと思い出した記憶。そして、昔のようにまた僕を守ってくれようとした彼女。  二つの大切なものを抱え、僕の気持ちは満たされていた。 「ずっとキミを探していた」 「ずっと会いたかった」  二人の思いが重なる。  山頂部から少しずつ顔を出す太陽が眩しい。陽の光を受け、川の水面がキラキラと輝いていた。  夜明けだ。  彼女の涙に濡れた笑顔を見て、僕は込み上げる愛おしさに、再び彼女をこの腕に強く抱いた。
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