悲しい蝶

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 ぼんやりとそんなことを考える少年の髪を、兵の一人が掴み上げた。そして、既に青紫に腫れ上がっている少年の頬を、剣の柄で殴り飛ばす。 「っ、」  悲鳴は上げず、ただ息を詰まらせただけの少年に、兵が忌々しそうな舌打ちをする。少年はずっとこの調子で、悲鳴らしい悲鳴を漏らすことはなかった。それがどうにも、気に食わなかったのだろう。  別に、少年が悲鳴を上げないのは、意地でもなんでもない。これくらいの暴力なら物心ついた頃からずっと受け続けていたせいで慣れている上、少年の泣き声を嫌う母のために悲鳴を押し殺すのが癖になっているから、反応をしない癖がついているだけだ。  身体中がずきずきと痛むし、指一本動かしたくないくらいに酷く気怠い。けれど、この程度では人は死なない。少年は、その事実を身を以て知っている。だから、今優先すべきは、少しでも身体を休めることだ。暴力は止まないが、だからといって抵抗すれば、その分余計に体力を消耗する。この場合の最適解は、ただひたすらに耐えることなのだ。動かず、声も上げず、じっとする。そうすることが一番生存確率を上げるのだと、少年は学んできた。  ときにそれが相手の神経を逆撫ですることもあるようだったが、ずっと続けていればいつか飽きがくる。いつだってそうやって、少年は理不尽な暴力を受け流してきた。  だが、今回は少し事情が違うのだろう。今少年が受け続けている暴力は、恐らく、理不尽ではあるが無意味なものではない。だから少年の行いは、己の体力を温存する上では役には立っても、暴力の終わりを迎えるためのものにはならない。  ともすれば絶望の底に叩き落とされそうな少年は、しかし首に巻いたストールの奥がふわりと熱を帯びる度に、励まされるようにして心を奮い立たせていた。  やんわりと肌に届く、優しく撫でるような温もりは、あれからずっとストールの中に隠れているトカゲのものだ。彼は、少年が暴行を受ける度、自分がいるから恐れなくても良いのだとでも言うように、優しい熱を発して少年にそれを伝える。
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