悲しい蝶

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悲しい蝶

 ばしゃりと勢いよくかけられた冷たい水に、少年は意識を取り戻した。途端、酷い眩暈と吐き気が彼を襲う。  愚鈍な頭では事態を飲み込むことができなくて、彼は反射的に身を起こそうとした。が、思うように身体に力が入らず、床に這いつくばり続けることしかできない。  冷えきった水が広がる石造りの床は、一面に光輝く紋様が描かれている。少年にはその紋様の意味など判らなかったが、なんとなく、魔法陣のようなものなのではないかと思った。  そのあたりで、彼はようやく自分が置かれている状況を思い出す。  謁見の間のような場所で皇帝やウロと会話をしたあと、始めに目覚めたときにいた部屋と似た部屋に閉じ込められて、そして明け方頃、ここに連れて来られたのだ。  城の構造はよく判らないが、この場所は吹き抜けになっており、周囲を高い壁が覆っているものの、真上には空が広がっている。きっと、天気の良い昼間ならばさぞ日当たりが良いことだろう。だが今は生憎の曇り空で、太陽の在処すら窺えない状況だ。  自分が何故ここに連れてこられたのかは判らない。ただ、明け方から今に至るまで、少年は絶えずずっと暴行を受け続けていた。殴る蹴るを基本とし、ときに焼鏝を押し当てられたり、ときに水盆に頭を押さえ付けられたり。その内容は多岐に渡ったが、一貫していたのは、どれも致命傷にはなり得ない点だ。いや、致命傷どころか、身体機能の面で回復不可能なほどの怪我は、一切負わされていない。まるで何かを窺うように、慎重に痛め付けられているようだ、と少年は思った。  ただし、だからと言って容赦されているのかというと、そうも考えられない。絶え間ない暴力に何度も意識を飛ばした少年は、その度に水を掛けるなり頬を張られるなりして叩き起こされた。そしてまた、生温い拷問のような時間が続くのだ。手加減はしているのかもしれないが、容赦してくれているわけではないだろう。
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