悲しい蝶

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 だがそのとき、ずっと首元で存在を主張していた温もりが、弾かれるようにしてストールから跳び出した。 「っ、ティアくん!?」  少年の声に振り返ることなく、トカゲが大きく口を開ける。そしてトカゲは、その口から灼熱の炎を吐き出した。  駄目だと思った。トカゲがこれまで身を隠し続けた事情を思えば、ここでこんなことをしてしまってはいけないと思った。だから少年は止めるべきだったのだ。そんな余裕はなかったけれど、それでも、止める意思を持つべきだったのだ。  だというのに、トカゲの炎がウロを覆い尽くすその光景を見て、少年の心に真っ先に浮かんだのは、別の感情だった。恐らく、安堵とは違う。けれど、それに似た何かだ。そんなことを思うべきではないのに、少年はその感情を抱いてしまった。  吐き出された業火は、まるで輝くような光を孕んでいる。その小さな身体のどこからそこまでの炎が生み出されるのか不思議になるほどに、無尽蔵な灼熱が辺り一帯を舐めていく。人間など一瞬で蒸発するほどの熱が、少年の周囲を除くあらゆる場所に流れていった。  それは勿論ウロとて例外ではなく、最も至近距離で炎に抱かれた彼は、通常であれば痛みを感じる暇すらなく消し炭になったことだろう。だが、 「いやぁ、腹立つなぁ。ただの炎獄蜥蜴(バルグジート)ごとき、いてもいなくても何も変わらないと思ってたのに」  炎の中から、声がした。その瞬間、トカゲの生み出した炎の全てが、一瞬で掻き消える。 「油断したね。ほら、ちょっと仮面が焦げちゃったよ。お前、まだあの王様の火種を持っていたんだね」  消えた炎があった場所で、ウロが一切の傷を負うことなく立っている。彼の言う通り、その仮面には少しだけ焦げたような形跡があったが、それだけだ。  そこで改めてウロを含む周囲を見て、少年は愕然とした。  ウロの背後には、炎の爪痕が一切なかったのだ。つまり、ウロはトカゲの炎を背後に漏らすことなく、正面から全て受け切ったことになる。  勿論、トカゲがウロに敵わないだろうことは察していた。だが、これほどまでに絶望的な力の差があるとまでは、思っていなかったのだ。
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