獅子の子

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 二人が教室に入ると、周囲の視線が一斉に幸司郎に向くのがわかった。それは羨望と疑いの入り交じった視線。 「あの人?」 「そうそう。あの人がタテガミの御曹司らしいよ。ほら、名字が〝獅子川〟じゃん?」 「本当だ、すごぉい!」 「タテガミってあのプライドグループのトップのタテガミ製薬だろ? 確かサッカーチームのスポンサーもやってたよな? 京都ロアーだっけ?」  周囲は隠す気など全くないひそひそ話を繰り返した。物珍しいパンダでも見るようにただ遠巻きにそう噂をする。それに対し、しかし幸司郎は何を言うわけでもなく、ただ次に行われる身体測定に向けて言われた準備を行っていた。子鹿はそれがどうしても気になったが、当の幸司郎本人が何も気にしていないように振る舞っていたので、その意思を汲んで何も気にしないように同じように席に座った。 「でもなんでそんな人がこんな普通の学校にいんの? そういうのって普通超お坊ちゃま私立とかに行くもんじゃないの?」 「確か中学は有名私立に通ってたはずだよ。ほら、あの」 「獅子川君、今一人暮らしらしいよ。昔からあんまり家と上手くいってないって噂だったし……だからもめて家でも出たんじゃないかな?」  ぴくり、と幸司郎の身体が、ほんの僅わずか反応を示したのが子鹿にはわかった。それは長年近くにいて幸司郎を知っていなければ気付かない程の、微妙なもの。 「え、一人暮らしなの? すごぉい。だったらやっぱりでっかい家とか住んでるんだ?」 「そりゃ良い家でしょ。高層マンションの三十階とかじゃない? きゃはは」 「いやいや、あの家の息子なら一軒家くらい持ってるだろ」  わいわい、と既に幸司郎に聞こえないようにする配慮すら失った噂話が教室中を行き交った。それは確実に幸司郎に届いていたが、幸司郎は特に反応を見せず、配られたプリント類を見つめていた。もちろん幸司郎はそんなものをいちいち気にする性格でもなく、無視するのが一番手っ取り早いとわかっているからそうしたのであろうが、子鹿は彼のその背中が酷く寂しく見えた。 「……なんだよ、ひそひそ話なら聞こえないとこでやれよな」  幸司郎ではなく、子鹿がそう呆れ気味に愚痴ぐちをこぼす。彼は我慢強い方ではなかった。だから彼の中の苛立ちは確かに増していた。それ故に漏れた言葉。 「あの一緒にいたひょろいのも社長の息子だぜ?」  その時、得意気にそう一人の男子が子鹿を指をさして訳知り顔で女子に話を振った。 「そうなの? すごぉい。このクラス二人も社長の息子がいるんだ?」 「まぁでもあいつの会社はプライドグループの中でも下の下、末端会社だからたいした事はないらしいけどな。まぁ腰巾着だよ、獅子川の。ははっ」  その言葉に子鹿はギッとその噂話をしていた男子生徒の方を睨んだ。睨まれた生徒はすぐに口を噤つぐんで視線を反らした。自分は何も関係が無いかのように。  幸司郎がそんなやり取りを背後に感じながら、何気なく周囲を見渡していると、教室の右隅。一番後ろの席の女子と目が合った。  周囲の奇異の目と違う別の鋭い視線。それを幸司郎は感じ取ってそこで視線を止めた。  肩程までの黒髪に、目が隠れてしまいそうな程の長い前髪。大きくくりっとした瞳。どこか陰鬱そうな彼女は、まだ友達がいないのか、姿勢良く自分の席に座り、首だけを幸司郎の方に向けてジッと見ていた。幸司郎がその視線を捉えると、しかしその女子は他の女子とは違い、その幸司郎の視線をジッと捉えたまま放さなかった。  自然、二人は見つめ合った。  別に幸司郎は彼女に惹かれたわけじゃない。ただなんというか、普通は視線を向けられると逃げるのに、彼女はそれでも幸司郎から視線を外さなかったので、面白半分で幸司郎はその目を見続けたのだ。その女子もその女子で、幸司郎から目を離す気が無いようだった。まるで猫とにらみ合うかのように見つめ合った二人は、その決着がつく前に、教室に入ってきた教師によって強制的に視線を離された。         ◯  その後全ての作業を終え、幸司郎はようやく解放された。  明日から頑張ろう、と言う教師の言葉を最後に、ホームルームが終わりを迎え、新入生たちは教室を後にする。幸司郎は何気なく先ほどの、陰鬱な少女に目をやったが、しかしすでに彼女の姿はそこにはなかった。 「帰るの早いな」 「何が?」  子鹿がその言葉を拾って尋ねてくる。幸司郎は子鹿を一瞥したあと、 「お前、きもいな」 「ええっ?! どうしてこのタイミングで?!」 「冗談だよ。いちいちリアクションでかいんだよ、お前」 「……どうして逆ギレされてるのかわかんないけど、まぁいいや。それでさ、これからご飯食いにいかない? お昼ご飯」 「えー、お前と?」 「そんな露骨に嫌そうな顔しないでよ……友達でしょ」 「え?」 「……え?」  子鹿は愕然とした顔を幸司郎に向けたが、幸司郎はそれを無視し二人は教室を出た。 「――っ」  しかし、廊下を少し行ったところで、幸四郎はピタリと突然足を止めて、後ろを振り返った。 「どうかした?」 「……いや、なんでもない」  何かしらの視線を感じた。いや、周囲はかなりの数が幸四郎たちを見ていたのだが、そういう類のものではない、別の視線を感じたのだった。だが振り返ったところでその視線がどこにあるか、それが全く分からず、幸四郎はそれが気のせいだとそう解釈した。  そうして幸四郎はすぐに前に向き直って歩き出した。
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