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哀しい歌を歌うのは
哀しい歌を歌うのは
いつからだろう、頭の中にある歌が響くようになった。
イヤーワーム、という奴だろう。ふとしたキッカケで歌が耳について離れなくなるのはよくあることだ。
歌の名は思い出せないでいた。いや、聞いたことのある歌かどうかさえ定かではなかった。
一度休みを丸一日使ってその歌を探したのだが、結局突き止めることはできなかった。
それでも楽観的に考えていたが一向に収まる気配を見せず、優しい声のその歌は日を追うごとに私の頭を侵食していった。
その歌がもはや私の日常の一部になった頃、私は転職に伴い転居することになった。
幸か不幸か独り身なのでそれほど手間はかからなかった。
手早く身の回りを整え、聞いたこともないその街へ向かった。
見知らぬ街ではあるのだが、私は居心地の良さを覚えた。
決して都市ではないが、大概のものは一通り揃っている。生活面で困ることはなさそうだ。
そして何より街並みから行き交う人々、道端の掲示物に至るまである種の一体感のようなものが見られるのだ。
まるで皆で一つのものを作り上げているような、静かな情熱のようなものを感じられる気がした。
そんな私の考えを肯定するかのように、転入手続きの折、職員にこんなことを言われたのだった。
「この街は転入される方々のおかげでどんどんよくなっています。あなたには何か夢中になっているものはありますか?」
越してからしばらく経ったある朝、私はとても重大なことに気がついた。
あの歌が聞こえるのだ。
厳密にはあの歌が幻想ではなく現実の音として私の耳に届いているのだ。
もっと早く気づけたのではと言う後悔と、ついにあの歌と出会うことが出来たという感動とに突き動かされ、私は考える間も無く早朝の街へ駆け出していた。
澄んだ空気の中、朝靄に静かに包まれる街を歌声を頼りに彷徨うと、やがて見覚えのない広場へ辿り着いた。
広場には歌声の主が凛と佇んでいた。
私は静かに優しいその歌を最後まで聞き届けると、朝の街に配慮することも忘れ惜しみない拍手を送っていた。
歌い終えた彼女は驚いたようにこちらを見ると、控えめに一礼を返してくれた。
彼女に歩み寄り改めて賞賛の言葉を伝えた後、その歌をどこで覚えたのかと尋ねた。
すると彼女は歌うようになった経緯を簡単に話してくれた。
ある時から脳内にあるイメージが浮かぶようになったのだと言う。全く見覚えがなかった上、日ごとに鮮明になっていったらしい。
やがて日常生活にも支障をきたすようになり休職、療養も兼ねこちらへ越してきたのだそうだ。
依然イメージに悩まされる生活だったのだが、ある日運命の出会いを果たす。たまたま知り合った絵描きがそのイメージと寸分違わぬ絵画を描き上げていたらしい。
その出会いからイメージに悩まされることはなくなり、代わりに頭の中に例の歌が湧き上がってきたそうだ。
人前で歌ったことなどなかったが、どうしても歌いたい衝動に抗えず早朝の誰もいない広場で歌うようになったのだそうだ。
歌い始めたのはどうやら私の頭の中に響き始めたのと同時期らしい。歌うようになって久しいが、衝動は尽きることなく、むしろ強くなっている、とのことだった。
少々気になる点があったのでさらに二、三質問した後、私は自分の仮説を確かめるため街の役所へと足を運んだ。
この街に越してきたときに担当してくれた男性職員が話を聞いてくれた。
「以前お話したように、この街は転入してくる方々のおかげで急速によくなってきています。足りない箇所を補うように次々と相応しい人材がやってくるんです」
私がよほど面白い顔をしたのだろう。彼は小さく笑うとこう続けた。
「皆必ず口にすることがあるんです。四六時中頭から離れないものがある、とね。そして皆必ずこの街でそれに出会うんです」
私は背筋が凍るのを明確に感じ取ることが出来た。
「その出会いをキッカケに、皆さんご自分の役割に忠実に、また別の誰かを呼び寄せてくれるんですよ。誰かがイヤーワームのようだと言ったのですが、本当に言い得て妙ですよね。さぁ、あなたはどんな歌を歌ってくれるのでしょうか?」
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