執事長 ルーリンツ

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執事長 ルーリンツ

リンゴを包んだ燕尾服を抱え、坂を駆け足で登りきったジャックは、息を切らしていた。生け垣を囲う鉄柵に設けられた裏口を前にすると立ち止まり、乱れた呼吸を整えた。 ベストやスラックスに付着した土は、可能な限りはたいたが、明らかに汚れていた。リンゴの件については、一つ分の代金くらいは誤魔化せただろうが、傷はどうしようもない。こういう場合どう責任を取るべきか、彼はよく理解していた。 身だしなみを整えると、彼は金属の扉を引き、整備された芝生の庭へと足を踏み入れた。 夜露に濡れた芝で靴底の泥が洗われる。 その足でジャックは執事室へと急いだ。 「遅かったね、ビースレイ。こんな忙しい時にあんたってヤツは……な、なんだいその格好は!?おやまあ、こんな泥染みまで作りやがって!」 厨房の裏口から出てきたメイドのヤンカが、金切り声で怒鳴り散らした。すると、厨房にいた執事長が鋭い靴音と共に現れた。 清潔な燕尾服に綺麗な白髪を撫で付けたオールバックの壮年の男だ。眼鏡の奥からジャックを見つめるブルーアイには、一切の温度を感じない。 「ビースレイ、その腕に抱えている包みは何ですか?」 地から響くような重低音が、暗がりに立つジャックに向けて発せられた。ジャックは、淡々と答える。 「明日の朝調理予定のコンポートに使用するリンゴ、追加分10個です」 ジャックは燕尾服を開き中身を見せた。 「ちょっと!何でこんな傷物なのさ!?」 ジャックは口をつぐんだ。 ルーリンツは、鬱蒼とした前髪に隠れた瞳を真っ直ぐ見つめ、僅かに思案すると口を開いた。 「ビースレイ、コックに使えそうな実を選別していただきなさい。残ったものは腐る前に全て自身で処理するように。食材を粗末にした罰として、三日間食事はパン一つと水にします。ヤンカ、早く持ち場へ戻るように。晩餐まで間がありません」 ルーリンツはそう言い残し、厨房の奥へと消えていった。靴音が遠退く。 「三日間パンと水ですって。執事長甘いんじゃないかしら?」 「5日くらい食事抜いてもあいつ死なないだろ」 「ははっ、お前ら鬼畜だな。せめて一週間水だけ、だろ?だって、リンゴを処理しなきゃいけないんだからな」 厨房で笑いが起こった。 誰一人としてジャックを哀れむ者はいない。 彼の身に降りかかる不幸は、周囲にとっては甘い蜜のようなものだった。 『スケープゴート』とは、そういう役割だ。 悲劇を演じさせられる道化。 昔からそうだった。 ジャックは知っていたのだ。仮に真実を話しても、彼らにより上質な笑いを届けるだけだと。 ホルヴァート孤児院院長、エンドレホルヴァート氏の息子である、フェルディナーンド=ホルヴァートが咎められるわけがないのだから。
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