食飯未呀?

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3  一応は招き入れられたワケだしな……と、里中は靴を脱ぎ、中に入る。  部屋の光景は、この前に来た時と、さほど変わらない様子に見えた。  セコハンの家具が転がる、広さだけはそこそこある部屋。  ただ今日は、前より何となく「スッキリとした」印象はあった。  埃っぽさがないというか、モノの四隅がちょっと「整った」ような。  ああ、掃除したのか……。  「女」が来るから?  いや、女が片付けてやったのかもしらんが。    そんなことを考えながら突っ立っている里中をよそに、李は合皮のソファーにドサリと腰を下ろし、蓋つきマグカップの茶に口をつける。  来客に椅子を勧めるでもなく飲み物を勧めるでもなく、そうやってしばらく、ひとりまったりと茶を飲んでから、李は、今、気づいたとでもいう風に、里中に目を向けた。  「……わたしが、あの小姐(シュウジェー)とさっきまで『ハンサップ(スケベ)』してたかとか、考えてます?」   「あン? いや、別に」  とはいえ、確かに里中も、それを考えていなくはなかった。  大体、この前は「モテ自慢」のセリフをどれだけ聴かされたことか。  情人(コイビト)、たくさんいました――  だの、  「アレ」も、とても上手。  小姐はメロメロ――だのと。 「嗯? 違うでしょう、考えてましたね」  重ねて言って、李が上目遣いに笑うから、里中も軽く顔をしかめ、 「だったらなんだってんだ。で? 『寝てた』のかよ」と言い返してやった。  しかし、李は里中を見上げたまま、 「それはヒミツです」と言い、()()()……と笑う。  里中は舌打ちをして、鋭く首を振った。  すると李が、 「里中さん、ひょっとして、ああいうオンナ。タイプですか?」と続けた。  あたかも酒家(しょくば)で、客にビールの銘柄を訊ねるような口調で。  これ以上のせられてたまるかと、里中は李の問いをシラリと無視する。  すると李が、 「紹介しましょうか?」とダメ押しのように口にし、 「ああ、でも里中さん『ダメ』だったら、意味ないですね」と言って、また乾いた声で笑った。  ええい、チクショウめ――  一体、なんでこんなトコ、ノコノコ来ちまったかな、オレは。  「邪魔したな」とだけ、低く絞り出し、里中は踵を返して李に背を向ける。 「……食飯(セッファーン)未呀(メイアー)?」  里中の背中に、李が言った。  ――食咗飯未呀?  「飯はもう喰ったのか?」という意味ではあるが、要は英語の「ハウアーユー」と同じだということは、里中とて知っていた。  単なる挨拶。「よぉ」だの「おう!」だのと同じ。  「ハウアーユー」と訊かれて、馬鹿正直に「頭が痛い」だとか「四十肩がどうだ」とか答えたりしないのと同じで、「食飯未呀」と訊かれたら、「食咗(食べた)」と答えるのが「礼儀」というワケだ。  本当に、喰ってようがいまいが関係なく。  しかし……。  あたかも追い返すようにあしらった相手に、「何を今さら挨拶なんぞカマすんだ?」ってこった。  腹を立てるのを通り越し、里中は苦笑交じりに振り返ると、李に、 「食咗(もう喰った)」と、律儀に応じてやる。  その瞬間、里中の腹が「グギュギュ…」と鳴った。  「食咗(セッジョー)」などと口にはしたものの、今日の里中は、女を呼ぶ算段をしたりだなんだと、結局、昼も食べそびれていたのだった。  李が、ゆっくりかぶりを振りながら、 「里中さん、お腹空いてますね?」と言って立ち上がる。そして、 「わたしも今、お腹空いてます。一緒になにか食べますか?」  と、小さく両肩をすくめてみせた。
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