食飯未呀?

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4  ペタペタと裸足の足音で、李がキッチンへと歩いて行く。  部屋とキッチンの境目には、ゴム製の「つっかけ」が置かれていた。    いわゆる「便所サンダル」ってヤツだな――    などとオッサンくさい感想を抱きながら里中は、サンダルをつま先に引っ掛けて台所へと入っていく李の、白いワイシャツの肩を見やる。  手持ち無沙汰に周囲を見回してから、里中も台所へと足を踏み入れた。  細長いが、それなりの広さはある。  一番奥にはガスコンロ。二口あった。  流し台の横と向かい側の壁際に、それぞれ作り付けの作業台が、やはり細長く続いている。    蓋が開いたままの調味料の壜やら、中国茶のティーバッグの箱やらが、あちこち賑やかに並んでいた。  だが、その雑然とした小汚さは、いかにも「料理をしている台所」という風にも見えた。  作業台の上の吊戸棚を開けて、李が大きなビニール袋を取り出す。  その中には、やや黄色っぽい丸いものが詰め込まれていた。  どうやら乾麺の塊のようだ。 「伊麺(イーミン)、作りましょうか」  李が誰に言うでもなく口にした。 「イーミン?」と訊き返す里中に、李が、 「香港で食べませんでしたか?」と返す。 「まあ、喰ったかも知らんが……」  とはいえ、材料の状態で見ても、まるでピンとこなかった。 「なんか、カップ麺の中身だけみたいなモンだな、そりゃ」  などと里中が、素直な感想を口にすれば、李が、 「(ああ)、そうですね。確かに、揚げた麺です。似てるかもしれません」と応じた。  そしてビニール袋から、ガサガサと手づかみで麺の塊をふたつばかり取り出し、袋の方をごく適当に棚へと戻す。  李が、流し台の横に転がっている中華鍋を手に取った。  片側には耳のような取手がついていて、もう片方は長い柄がついている。  鉄製なのだろう。  相当重そうで、さらには相当に使い込まれていて、焦げと油で黒光りしていた。  それをガンッとコンロに置くと、李はガスの火を点ける。  コンロの上には、まるで備え付けのようにして、中華鍋用の丸く背の高い五徳が置きっぱなしにされていた。  李が、クルリと里中を振り返る。そして、 「(ソイ)、みず、汲んでください、里中さん」と、ややぶっきらぼうに言った。 「水? え? なんに……どれくらい」  突然に言いつけられ、思い切り戸惑いながらも里中は、水切りカゴの中に置きっぱなしの、小ぶりなどんぶりのような中国食器を手に取った。  それに三分の二ほど水を入れて、李に渡す。  湯気の立ち始めている中華鍋に、李が水を注ぎ入れた。  鍋の水は、すぐに沸々と泡立ち始める。  李はすかさず乾麺の塊を、ふたつとも鍋に放り込んだ。  ぞんざいながらも、妙に手慣れた李の調理を見やりながら里中は、  「ああ、なるほどな? 湯で一度、麺を戻すワケだ」と、納得する。  ヒョイと、李がどこからか鉄製の大きな玉杓子を取り出してきた。    やたらと柄が長く、すくう部分も相当に大きい、よく中華の料理人が菜箸みたいに片手から離さず持っている「アレ」だ。  派手に音を立てながら、李が玉杓子で鍋の麺をかき回す。  ジュワジュワと、キッチンに香ばしい匂いが広がった。     その鍋さばきをボンヤリ見ていた里中の前に、ヌッと玉杓子が現れる。    「唔該(ンゴイ)借借(ジェージェー)」  言って李が、里中の脇の作業台に出しっぱなしの壜から何種類かの調味料を、玉杓子で直にすくって、また中華鍋に向き直った。  そしてまた、盛大に鍋を振り始める。    五徳と鍋がぶつかり合う音が、ガッコンガッコン響き渡った。  コンロが壊れるのでは? と、傍で見ている里中の方がハラハラするほどだ。  すると、唐突に李が振り返る。 「できました、皿ください」  え? 今度は皿かよ。 「って、どこに……」と視線をさまよわせれば、やはり水切りカゴに置きっぱなしの皿に目が留まる。  さっきの「どんぶり」もそうだが、いつ洗ったものだかしれなくて。  水垢やらホコリやらが、里中としても微妙に気になりはしたが仕方がない。  それを取って、急ぎ調理台の横に並べてやった。    中華鍋とお玉をそれぞれ片手に、李は器用に麺を二等分して皿に取り分けた。  出来上がったのは、薄茶色のぐだっと煮えた「ソース焼きそば」のようなモノ。  もはや「地味」などという見た目を、通り越している。 「……で、これ、なんて料理だ?」   思わず、里中がボソリと訊ねた。 「干焼(コンシュウ)伊麺(イーミン)」と李が応じる。 「ってか…これ、なんも具がねぇのかよ? ほら、せめて黄ニラとかキノコとか」 「(オー)! 黄ニラ、日本は高いですね」  李が両肩をすくめる。 「なんだよ、じゃあ『もやし』ぐらいはあるだろうが」 「嗯、日本のもやしだと、チョット水っぽい。入れないほうがいいです」  随分とまた、シミったれたことを……と喉まで出かかったが、一応作ってもらったものを馳走になるのだからと考え直し、里中はそこで口をつぐんだ。 「じゃ、食べましょう」  李は、商売柄の慣れきった様子で、ヒョイと片手に皿を二枚載せると、キッチンから出ていく。  里中も、そのあとに続いた。 **** では次回は、干焼伊麺についてご解説(いや、誰も興味ない) エロっぽいことは、食後にどうぞ(あるんかい?!) ✳︎ 唔該借借 ちょっと失礼(通りますよ)みたいな意味 里中さんが、ちょっと調理の邪魔だったのですってことです
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