埋單, please!

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4  あの酒家(みせ)は、秦の相当な「行きつけ」らしく、里中にも、その贔屓ぶりは見てとれた。  しかし、だからといって李が秦に対し、「なれなれしい様子」だったかというと、それは違った。  どちらかといえば、李の接客は「つかず離れず」といったところ。  ――まあ、大叔父は、ベタベタされるのが好かないからな。  とはいえ、魚とエビは、ワザワザ、李が運んできた。それは「給仕」の仕事であって、「支配人」のそれではないハズだ。  とまあ、李に対する里中の印象は、ざっと、こんな感じであった。  すると李が、 「どうしました? 大哥(ダイゴー)。元気ないですね」  と、軽く首をかしげて里中の顔を覗き込む。    ――大哥(ダイゴー)。    李の発音は、広東語だった。  秦もまた、李に対し「你好(ネイホウ)」と、広東語で呼び掛けていたことを、里中は思い出す。  随分前のことではあるが、里中は香港に滞在していたことがあった。  もちろん「組関係」の用向きだ。  だから、ほんの数十語程度とはいえ、なんとなく広東語を聞き知っている。  「哥哥(ゴーゴー)」、というのは兄への呼びかけだ。  「兄ちゃん、お兄さん」という感じで、本当の兄以外にも、ちょいと年上相手に、よく使う。  だが「大哥(ダイゴー)」は、ちょっとニュアンスが違った。  もちろん、普段使いしないこともないが、普通に「兄さん」というよりは、「立場が上」の相手に使うモノ。  もっとありていに言えば、黒社会(ヤクザ)で、「ある程度の地位」にある人間への呼び掛けとして使われる方が「普通」だ。  とはいえ、李の秦への態度には、「()()()の人間に(あい)対している」という様子が、まるで感じられなかった。  秦が「スジモノ」だと、気づいてないのかと思うほどに。  だが――   「なんだ、お前さん。『分かってた』のかい」  里中は、すうっと刃先で撫でるように、李の目を見返した。  近頃は、飲み屋以外の店で「みかじめ」云々というのも少なくなりつつあるが、繁華街の飲食店の「責任者」ともなれば、ヤクザとまるで無関係でいられることは、まずなかろう。  この「李」とかいう男だって、昨日や今日、支配人稼業を始めたとも思えない歳の頃だ。まあ「気づかぬ」ハズもないか――    しかし李は、ごく屈託なく 「え? 何がです」と応じてみせるから、里中も思わず、 「『何が?』じゃねぇ、『大哥(親分さん)』、なんて呼びやがって」と気色ばむ。 「(ほわぁぁ)! 広東話(ゴンドゥンワー)、分かるんですか?」  「嘩」という感嘆語は、アクセントのせいか、昔からやけに里中の癇に障る広東語のひとつだった。  忌々しげに、ひとつ舌打ちをしてから里中は、 「『少々(シウシウ)』な」と吐き捨ててやる。 「発音うまいですね、大哥」 「やめとけ」  里中がブワリと凄んだ。 「ったく、秦の大叔父には、『大哥』なんて呼びやがらねぇクセして。大叔父とは長い付き合いなんだろうが?」 「ハイ、秦さんは、昔からよく、お店に来てくれます」  飄々と李が続ける。 「でも日本黒社会、かかわるとメンドクサイです。知らんぷりがお互いのため。わたしも自分の仕事が大事」  「ほざくなよ」とばかりに、里中が短く鼻で嗤った。  だが李に、意に介す様子はまるでない。 「秦さん、ほんとうに良いお客さん。美味しいモノ、ちゃんと知ってるし、料理もたくさん食べてくれます、ええっと。ケンタンカ? ですね」 「ほう。『健啖家』ときたもんだ」  やや小馬鹿にして、里中は眉根を寄せる。 「日本語、間違ってましたか? じゃあ……『クイシンボ』ですかね」  李のあまりの屈託のなさに、里中も、思わずプッと噴き出してしまう。  そしてそれを潮に、威嚇のオーラは引っ込めた。 「……で、李さん。今、仕事終わりか? 今晩は結構『実入り』がよかったんだろ」 「ハイ、おかげさまで」  そう応じて、李はまたしても、つくづくと里中の顔を見つめる。 「(うーん)、やっぱり、元気ないみたいですね、(ダイ)……ええっと」 「里中だ」 「里中さん、どうしました、飲み過ぎましたか?」 「別に」 「そうですね、店でも大して飲んでないし」  そして俯くと、李は、スンと鼻を鳴らして里中の匂いを嗅いだ。 「オイ、なにしてやがる、お前」  里中が、また声を固くする。  だが李は、「啊、そうだ!」などと、シレッと話を変え、 「わたし、これから一杯、飲みに行くところでした。どうです? 里中さんもご一緒に」と口にした。 「あ?」 「行きましょう、行きましょう。わたしと一緒に行きましょう」  李は「もう決定事項」とでもいうように、頷きながら歩き出した。  そんな李に、里中もすっかり調子を狂わされてしまう。  そうやって共に歩き出した里中を、李がクルリと振り返る。  そして、 「でも、里中さん。わたし『ごちそう』はしませんよ。ワリカンです、ワリカン。わたし、お金ありません」  と、大真面目な顔をして、トボケまくった台詞を吐いた。 *************** なぜに有楽町の街角で、オサーン、延々と立ち話。すまない誰得。 オッサンたちの与太話は、もう数話続きます(多分おっさんっぽく下衆い話)。 愉しめる御方々(存在するのか?)、しばしお付き合いを。
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