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そこからタクシーで、ほぼ千円ほどの距離だということもあり、成り行き上、里中は李をマンションの自室へと連れ帰った。
「薬だとかなんだとか、手当できるようなモンは、なんもないけどな」
ベージュのソファーに李を座らせて、里中は台所へと入っていく。
冷蔵庫の冷蔵室を開き、製氷機からありったけのアイスキューブを取り出して、そこらに散らばっていたコンビニのビニール袋に詰めた。
「とりあえず、傷、冷やしとけや」
言いながら氷の入ったビニールを、いくつか李へと手渡す。
おずおずと受け取って、李は両頬にそれらをあてがった。
「ちょっと、腹のあたり見せてみろ」
ソファーの上に李を横たわらせ、そのわきに、里中が浅く腰を下ろす。
そして、李のシャツを捲り上げた。
里中が、李の身体に、軽く指を滑らせる。
まあ、骨は折れちゃいねえな――
もちろん骨がイッちまってたら、そもそも立ちあがって歩けやしねぇだろうが。
里中とて、若い時分は無茶をやった。
喧嘩傷の具合だったら、医者ではないが、大体のところ察しはつく。
鬱血や腫れの具合からみて、李のケガは、それほど深刻なものではなさそうだった。
「マトモな極道」なら、カタギ相手にそう無茶苦茶はしない。
見せしめのために派手な傷を負わせはするし、しっかりと痛みこそ与えはすれ。
まかり間違っても、死ぬような怪我を負わせることはないよう、それとなに「加減」をするものだ。
そこらへんが、ゲームしかやったことがないような青臭いガキや愚連隊連中の、とんでもない暴力沙汰とは一味違うところなんだがな――
ツラツラと、そんなことを考えながら、里中は捲り上げた李のシャツを戻す。
そしてそのまま手を滑らせて、腰骨、脚の骨の具合を念のために確かめた。
脛を軽く握ったところで、李が鈍く呻く。
「おっと、すまんな」
里中は、氷入りのビニールを、李の脛の部分にもあてがってやった。
「……ありがと、ございます」
そんな風に、めずらしく殊勝に李が礼を言うものだから、里中も思わず面食らう。
だから、きまり悪さを隠すように、
「確かに『香港明星』が台無しだな」と、柄にもなく戯れ言を口にしてしまった。
けれども、よくよく見てみれば。
頬や口もとは痣だらけとはいえ、李の鼻筋は、傷ひとつなく無事だった。
それに気づき、里中は軽く眉根を寄せる。
「李さん、アンタ、目いっぱい顔だけは庇ってたんだろ」
「ふふふ」と、李は、か細くやわらかな含み笑いだけを洩らした。
それが夜にほどけて消えれば、静けさが落ちてくる。
里中は、なぜだか据わりが悪くて仕方がなくなった。
そんな静寂を、李の呟きが小さく破る。
「タバコ……」
「アン?」
「里中さん、タバコ、点けてください」
ああ? と、里中が、タバコの場所を尋ねるように目を眇めれば、李は顎先で、上着の内ポケットを指し示した。
里中は、そこから「メビウス」のソフトパックを取り出し、パックの中にねじ入れてあった百円ライターとタバコ一本とを抜き取る。
そして、メビウスを咥えて、ライターの火を回した。
フカシがてらに一服吸えば、十年ぶりだかのタバコは、妙に美味かった。
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