316人が本棚に入れています
本棚に追加
/56ページ
そんなこんなを経て。
アルミ箔にくるまれたタルトを四つ載せた皿を手に、里中がキッチンから出てきた。
「李さんも食うか?」
そう声を掛けられ、黙って首を横に振りはしたものの、李はゆらりと立ち上がり、ダイニングテーブルまでやってくる。
里中の指がアルミホイルを剥くと、ほこほこと温まった蛋撻が姿を現した。
焦げ茶のパイ生地に齧りつけば、カシリ、サクリと澄んで乾いた音がする。
ザクザクと噛みしめてから飲み下し、里中が唸る。
「ああ、李さんよ。確かにコイツは旨いな……」
そして続けて食べ進み、一個目を平らげた。
「なんていうか、飲茶のと違って、このパリパリしてるのが、また良い感じじゃねぇか」
言いながら、里中は二個目のタルトのアルミ箔を剥く。
そして、大口で半分ほど齧ると、また咀嚼を始めた。
里中は、パイ生地の粉が盛大にテーブルに零れ落ち、シャツの胸元や口の周りに張り付いているのにも気づかぬまま、エッグタルトを食べ進める。
「あっためると、このクリームがトロッとなるのが、またいいな? まあ、プリンみたいな点心のエッグタルトも、あれはあれで悪かないんだが」
里中は、ひとり、実況中継のごとく感想を喋り続けていた。
それを視界の端で眺めながら、李は頬杖をつき、「おいしくて、よかったですね。里中さん」とだけ呟く。
「おう」と応じて里中は、三つ目の蛋撻に手を伸ばす。
すると、李がテーブルの上の手提げカゴに目を止めた。
「……なんですか、コレ」
里中が、ボトリとタルトを取り落とす。
「な、なんでもねぇよ」
「何か入ってますね」
「だからっ……なんでもねぇって言ってんだろ」
李がカゴへと手を伸ばした。
「重たいです」
「だから……っ、触んなって」
あからさまに狼狽する里中の様子が、俄然、李の茶目っ気に火を点けた。
李が、カゴの端に指先を掛けて手繰り寄せる。
ゴンッと重い音とともに柳のカゴが倒れ、中からビニール袋が転がり出てきた。
里中がはじかれたように立ち上がり、ビニールへと手を伸ばす。
しかし一瞬の差で、李の手が、それを奪い取った。
「………嘩」
微妙に語尾の下がった感嘆語を発して、李が固まる。
「スゴイ、ですね」
李は、袋に手を突っ込むと、巨大ディルドを掴み出した。
そして、矯めつ眇めつに眺めまわしてから、里中を見上げる。
「違う、それは、オレのじゃねぇんだ。色々な、事情があってだな」
「はいりますか、里中さん、コレ」
「っていうか『はいりますか』ってなんだよ」
「ですから、里中さんの後ろに。もう挿入しましたか?」
「挿入し……っ、おまっ、言うに事欠いてっ……」
「唉」と、溜息交じりに呟いて、李が肩をすくめた。
「里中さん、ダメね。あれは『元気元気』になるためのマッサージです。『挿れるの』にハマるのは間違いです……それも、こんな大きい。使ったら、お尻ダメになります」
「おいコラ!!! 違うって言ってんだろうが!!」
ついに、里中が怒鳴り声を上げた。
サッシ窓がビリビリと音を立てそうなほどの殺気に、李も思わず口をつぐむ
続けて、里中の怒号の余韻すら反響しそうなほどの沈黙が落ちてきた。
と、李が込み上げる笑いを喉に詰まらせる。
だが、ついに噴き出し、そのまま爆笑し始めた。
「……それにしても、さとなかさん。これは大きいです」
言いながら、李が手にしたバイブのスイッチを入れる。
モーター音とともに、巨大バイブが、うねうねとピストン運動を開始した。
李がゲラゲラと笑い転げる。
「これ、おっきい。おっきいおちんちんですねぇ、ホント。里中さんのおちんちんより大きい」
「いい加減にしろや!! しつっこいぞ、李さん!! スイッチ切れや!」
年季の入ったヤクザの声音で恫喝めいて吐き捨ててから、里中は、
「ったく、ガキじゃねぇんだから……」と呟く。
「ああ、わたしケガ人。笑ったらイタイです。口もお腹も……」
とか何とか言いながらも、李はまたひとしきり笑い転げ、ついには、
「哎呀、好痛、好痛呀」などと洩らしながら、やっとのことで笑い止んだ。
里中が、李の手からバイブレーターをひったくる。
そしてビニール袋に包んで、カゴの中に放り入れた。
そのままドサリと椅子に腰かければ、里中は、自分の服がパイの粉だらけなことに気づく。
気恥ずかしさに頬を熱くしながら、シャツの胸元やスラックスの腿を、懸命に掌で払った。
そして、ボソリとこう口にする。
「ところで、その……玲姐姐とやらは、なんの商売やってんだ?」
「足裏マッサージのみせです」
「ああ、そうかい」
李の答えに、里中がゆるい相槌を打つ。そして、
「その店、もちろんお国のヒモつきじゃあねぇんだよな?」と続けた。
コクリと、李が頷く。
「そうかい」と引き取って、里中は話を終えた。
そして、少し冷め始めたエッグタルトに、カサリと指を伸ばす。
続けて、サクサクと、里中がタルトを食む音だけが部屋に響いた。
「……里中さん」
漂うように、李が口にする。
「唔該晒」
――李が、何に対して「唔該」と言ったのか。
里中が「したこと」とだけでなく。
おそらく里中が「これからしようとしていること」。
それも、李には分かっていて。
その両方に対して、礼を言っているのだと。
それが里中にも分かった――
だから。
里中もただ一言、こう返す。
「唔使唔該、李先生」
(蛋撻rhapsody 劇終)
――そして、受け継がれていく遺産(笑)
*********
どうでもいい話
【蛋撻(ダーンタッ)】
港式(香港風)と澳門式(マカオ風、というか、ほぼポルトガル風(?)だと思いますが)があります
(作中では色々差しさわりがあるかも……なので架空の店名にしていますが)こんな感じの名前の有名店がマカオにあり……そっちが、里中さんの食べてるヤツです
エッグ「タルト」の名前から行くと、タルト生地を使っている「港式」のほうが、名前と一致しているのかな……澳門式はパイ生地で、”Pastel de Nata”に、ほぼほぼ近い気がします……(でも、英国経由で伝わったナタの方を「澳門式」っていうのが興味深し)
あ、ベレン(リスボン郊外)のパスティスデナタ……思い出したら涎が
ガラオン(ミルクコーヒー)とともに、いただきたいものです
港式蛋撻といえば、中環のあのパッテン総督「お気に」のお店が浮かびます
でも総督のお気にのお店でいうと、沙翁のほうに「♡」を送りたい
今でもスターフェリーの入口で買えるのかしら……思い出したら、懐かしくなってきました
左党なわりに、めずらしくスイーツ関係に思いをはせた今回でした(カスタードクリーム好き)
*小心 きをつけて
*好痛呀 痛いよぉ
*唔使唔該 どういたしまして(「唔該(ありがとう)」の「唔使(必要はないよ)」)
最初のコメントを投稿しよう!