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すると李が、唐突に、
「さっき里中さん。『なぜ』って訊きましたね」と、話し始める。
「だって、分かります。里中さん、『いい匂い』します。小姐の匂い」
ギョッとした里中は、鼻先に自らの袖口をつけ、確かめるように嗅いでしまう。
李はちいさく笑ってから、話を続けた。
「なのに全然、スッキリの顔してませんね。えーっと、浮かない顔? それにご飯終わってから、まだ時間も経ってない。ホテルに女の子来たけど、『アレ』が上手くいかなかった以外に思いつかない」
ことごとく言い当てられ、もはや里中としても、李に返す言葉がなかった。
「唉、あんな御馳走食べたのに。里中さん、やっぱり『アレ』が『ダメ』でしたか。可哀想」
「いや、たしかにお前んトコの飯は美味かったがな。それとこれとは……」
って、お前な、「アレ」とか「ダメ」とか、いちいち言い過ぎだろうが!
「でも、今、いいクスリがあります。オジサンはみな持ってる。元気になるクスリ。里中さん、持ってなかったですか」
「あぁ? クスリ?」
んなモン。
「持ってたさ」と、里中はポケットから、フィルム状の勃起薬が入ったビニールの小袋を取り出した。
去り際の秦久彦から、ダメ押しに手渡された薬――
「ソレ新しい薬ですね。効果が良くて早く効く。でも青い錠剤より、ちょっと高い」
言いながら李は、里中の手から、ひょいと小袋を摘み取った。
「哎呀、里中さん、コレでもダメだった? 効かなかったですか?」
里中は無言で舌打ちをし、李の指先から勃起薬のODフィルムをひったくる。
「タバコも吸わない、お酒もあまり飲まない。ちゃんと健康に気をつけてる。なのに里中さん勃たない、勃起ダメ」
「だから、こんなトコで、『アレ』だの『ダメ』だの、連呼すんなって!」
里中は、上ずりそうな声を必死に押し殺す。
けれども李は、
「哈哈哈哈哈」とトボケて笑うだけだった。
「このっ……屌你老母」
たまらず、里中が吐き捨てると、李が軽く眉根を寄せた。
「それ、すごく悪い言葉。ダメな言葉です。里中さん、意味知ってますか」
「知らいでか」
テメエの老母とおまんこしてやる……だ。
「ああ、でも今の里中さんじゃ、ダメね。お母さんとも誰とも『屌』できない」
そう言ってまた、哈哈哈と笑ってから、李がふと、里中の耳もとにくちびるを寄せた。
「じゃあ、これは知ってますか、里中さん? 『屌你老母』には、もうひとつ、意味があります。『わたしの可愛いひと』って」
「……嘘つけっ!」
里中が飛びすさる。
李は、またしてもひとしきり、それこそ笑いたいだけ笑うと、ギムレットのグラスをゴクリと空にした。
続けてドライ・マティーニを注文し、里中に向き直る。
「里中さん『全然』ダメ。とっても重症です。でも心配いりません。悩むことない。ちゃんと方法あります」
方法――?
「なんだよそりゃ、あれか。『中国四千年の秘薬』とかってヤツか」
「秘薬? 中医薬のことですか。冇、冇、違います」
李がゆっくりとかぶりを振る。
「漢方薬、ニセモノが多いです。ちゃんとしたのは高いですから、真面目に飲んだら、シンショウツブします」
「おいおい、李さんよ。『身上潰す』なんて、えらく難しい日本語知ってんのな?」
そうやって里中が、感心すれば、李は飄々と、
「わたし、日本に住んで十数年ですから」と応じた。
「……漢方じゃないなら、一体、ナンだってんだ?」
バーテンダーが、李の前にマティーニを置く。
李は、すかさずグラスを取り、
「大丈夫、大丈夫。良いことを教えてあげます。お金も全然かかりません。里中さん、ヤクザでも朋友」と笑った。
そして、顔中をクエスチョンマークにしている里中に向かって、李は、仰々しくグラスを掲げて見せた。
(埋單, please! 劇終)
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