tat.4-02

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 生活圏内の手入れがひと段落したところで、お茶にしましょうとクリスティーナに即され休憩をとることにした。  掃除中凄まじく寒かった水屋も、今はかまどに火が入り、湯を沸かした小鍋から湯気がほわほわと上がっていて暖かい。  綺麗に拭き上げられた卓上には、ティーポット(テーカンネ)カップ(タッセ)が行儀よく並べられていた。  可愛らしい小さな花が描かれたそれらも、昨晩持ち込まれたものだ。こんなものが無骨一辺倒だったこの住処にあるという事実が少し面映ゆい。  予めよく温めておいポット(カンネ)の中の湯を捨てて、そこに茶葉らしきものを放り込み、再び小鍋から沸かしたての湯を注ぐクリスティーナ。俺はその手元を卓の向かい側からなんとはなしに見守っている。どうしてわざわざ湯を入れ替えるのかさっぱりわからないが、きっと何か理由があるのだろう。 「雪……やまないね」  熱々のポット(カンネ)を厚手の布で覆って砂時計をひっくり返したところで、クリスティーナが外に目をやった。 「むしろ好都合だ。降り続いてくれた方が足跡を消せる」 「そっか……。……おばあちゃん、里に戻ったらロバートを上手く説得できたらいいんだけど……。わたしを探すのを、諦めてくれるように」  ──唐突に、(くだん)の狩人の名を出されてピクリと眉が上がる。  ちらちらと間断なく舞い降りてくる白い雪片の向こうを、心配そうにじっと見つめるクリスティーナの脳裏には、おそらくあのメノウの瞳の男が浮かんでいて。  気づかれないように、そっと息を整える。  俺には憎さ極まる相手でも、こいつにとっては違う……それは、理解できるから。複雑ではあるが、割り切らねばならない。 「里ではね、雪の降り始めを合図に、もう森へは入らない事が暗黙の了解になっているの。でも……きっとまだ、探してくれてる。責任感の強いひとだから。……エレンが大事な時なのに……無茶は、しないで欲しいな……」 「エレン? ……おまえは、結局奴とはどういう関係だったんだ?」  いい機会だと思い、そう水を向けてみる。  昨晩、老婆とクリスティーナの会話を図らずも盗み聞いてしまった訳だが、それでも、いまいちよく判らないままだった。 「彼は、幼馴染で……歳の離れたお兄ちゃん、みたいな存在かしら」  他にも、同年代で友人と呼べる者も何人かはいるという。普段遊んでいたのはそいつらとだが、あの狩人はクリスティーナの父親とも仲が良く、結果的に一番交流が深かったのだとか。 「……そう、か……。俺はてっきり……」 「え?」 「いや、……その、おまえの……〝想い人〟かと……」  歯切れ悪く白状した俺にクリスティーナが振り返って、きょとりと目をしばたたかせた。そして一拍を置いて、鈴を転がすように笑い出す。 「ロバートには、エレンっていうとっても素敵な奥さんがいるわ。ほら、余り物の食材を分けてくれる親切な人がいる、って言ったのを覚えてる? それがエレン」 「そうなのか」 「お父さんが死んじゃってから……何かと気にかけてくれて。たくさんお世話になったわ。この紅茶の淹れ方もそう。まだあまり見られない方法だけど美味しいのよって、エレンが教えてくれて……。すごく、お似合いの二人よ。春には赤ちゃんも産まれるの」 「それは……めでたいな」 「ええ、本当に! あ……でも、ロバートは結婚しても里ではとっても人気者よ。狩人仲間さん達から『猛獣だけに飽き足らず若い娘たちの初恋まで狩っていく不届き者め!』なんて揶揄(からか)われているのを見たこともあるわ」 「ヘェ……それで、おまえもその〝初恋狩り〟に撃ち抜かれたりしたのか?」 「え……わわわたし? わたしは……」  すぐに、しまった余計な事を、と後悔する。  どうにも思考に余裕がない。何気なく頭に浮かんだ事をそのままひょっと投げてしまった。  さっと頰に朱を上らせたクリスティーナが、しどろもどろになって目を泳がせる様子を見てしまえば、答えなど聞くまでもなく判ってしまうというものだ。  まぁそうか、そうだよな……と嫌でも納得させられつつも、心境としてはやはり面白くない。俺から訊いておきながらなんとも狭量なことだが。  砂時計の砂が、全て落ちる。  クリスティーナは気を取り直すようにポット(カンネ)から布を取り払うと、同じように温めていた二つのカップ(タッセ)からも湯を捨てた。  そこに茶葉を漉しながら、ゆっくりと濃い茶色に変わった液体を注いでいく。すっきりとした香りが立ち上って、ささくれた心がほんの少しだけ宥められる。 (でも今は、俺のことを想ってくれているんだし。傍にいるのも、俺だし。別に……別に……)  頬杖をつきつつ、もやもやと腹に燻るものを表に出さぬよう手慰みに砂時計を弄る俺の前に、クリスティーナはカップ(タッセ)の片方をことり、と置いて、そして。 「……わたしの、初恋を奪っていったひとは……いまわたしの、目の前に居るのだけど……?」  耳までを見事な桃色に染めながら気恥ずかしげにそんな告白をして、俺をめでたく卓上に轟沈させた。動揺で人型転化も解けた。不運にも俺に握られていた憐れな砂時計から、若干してはいけない音がした。
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