tat.3-10

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 並んで腰を下ろし、クリスティーナが真剣な面持ちで包帯を取り替えてくれている間、俺は置物よろしくぴくりとも動かずに、炎の揺らぎを眺めてやり過ごす。  未だに花冠とワインの衝撃から完全に立ち直ることができていないのに加え、今は吐息まで感じるほどに距離が近いのだ。とてもじゃないが直視などできるはずもない。 「……これが済んだら、さっさと寝ろよ」 「……ごめんなさい……実は全然眠くなくて。疲れてるはずなのに……。……なにか、お話をしてくれたら眠れるかも?」 「お、おはなし……?」  寝物語なんざした事もないのだが。 「なんでもいいの。じゃあ……あなたのこと、教えて……?」 「俺の?」 「そう。わたし……よく考えたら、あなたのこと、なんにも知らないの。だから……きかせてほしいわ。これまでのあなたのこと」  これまでの。  そう言われ、己の過去を鑑みて──ふっと漏れたのは、苦笑だ。 「……おまえが喜びそうな、面白い話も、楽しい話もねぇよ。役割からすれば、仕方ないけどな」 「役割……〝黒い森の調整者(アインシュテラー)〟?」 「ああ。ケーニヒもあれでだいぶ歳をくってきたからな。森の秩序の一端を担えと言われて、もう七年になる」 「重要なお役目ね」 「……実際どんなもんか、それこそ聞いたら嫌な気分になるようなモンばかりだろうよ」 「…………なら、一番嫌な気持ちになる事を教えて」 「おいおい……」 「大丈夫よ」 「…………」 「大丈夫」  おしえて、と、その声は。  とても、とても静かで────どこか厳かですら、あって。  思わずちらと眼を向ければ、きゅっと包帯を巻き終えたクリスティーナも、俺を見つめる。  柔く輝く金の前髪のその奥、穢れのないどこまでも綺麗な青が、真っ直ぐに、俺の心を覗き込んでくる。──深く、仄暗い、冷たい水底の砂に埋もれる記憶を、そっと撫でられるような心地。 (──知れる、事なんだろうな……いつかは)  この瞳を前にすれば、否が応でも、悟ってしまう。──隠しきれない。  こいつはあらゆるものを、よく見ていて。  そうして──できれば永遠に気づかずにいて欲しい〝俺〟までも、いずれきっと見つけてしまう。 「……損な、性分だよな、おまえは」  知らないままでいる方が幸せな事だってあるだろうに。  誰にも迷惑をかけない為に、負担にならない為に、『ヒト』の心の裏を読むようにずっと真実だけを求め、見続けてきた瞳。  それが、こいつの処世術だったのだとしたら、とても哀しく、切ない。  けれど──俺は思う。  そんなこいつに、救われてきた人間もいたはずだ。  癒されてきた人間も、きっと、いたはずだ。  少なくとも、ここで甘んじて降参し、口を割る俺は──望んでいる。無茶な願いだとわかっていても、それでも、どうか……と。 「……里で……『人狼』はどんな言われようをしてた?」  声が、せめて無様に震えないよう、腹に力を据えた。そうして視線を絡めたまま、問う。 「……強盗、したり、誘拐したり……、……人殺し……したり?」 「そのほとんどが、嘘だ。俺は身に覚えがない。人間が偏見と侮蔑の感情で生み出した、あとは一部の連中が保身のために都合良く仕立て上げた作り話だ。まったく身勝手なもんだが……──ただ」 「ただ?」 「……俺が……」 「アレックスが……?」 「…………ヒトを、殺したことがあるのは、本当だ」  真実を映す青。  そこに、過去の己の残像が揺らめいて見える。 「────里での噂の全てが、偽りだと言えるわけじゃ、ない」  『人狼』の姿を見て逃げ出した勢いそのままに、足を滑らせ起伏の激しい山道を転がり落ちていった者がいた。  恐怖から半ば錯乱状態で襲いかかってこられて、ほんの少し気絶させるつもりが、手加減がわからず……誤って首の骨まで折ってしまった者がいた。  森に住みつこうとした命知らずの無頼漢どもに至っては、手加減してやる必要すらない。容赦なく駆逐した。  その他にも、様々な理由で。  森の秩序を正すのが、俺の役目。  その均衡を崩す者たちに、容赦はしない。  人間だろうと、動物だろうと。  乱す者に粛正を。  侵す者に粛清を。 「その生き方を後悔した事はない。──今も」  それが。 「俺の存在意義だった」  そうしなければ。  そうやって生きなければ、動物でもない、人間でもないたったひとりの俺は、おそらく己を持て余していた。本当の意味で、この森に居場所を見つけられなかった。  ────生きる理由を、見つけられなかった──……
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