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tat.1-02
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tat.1【花】…Rotes Mädchen…
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02
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色とりどりの花びらが、俺の気持ちを掻き乱すように舞っていた。
嫌でも意識してしまう心臓の音。むず痒い何かが、胸の奥で燻っている。
(……だから、ありえねぇ……って……)
青い空の下で、赤い少女が踊るようにくるくると回る。
俺は無理やりそこから視線を引き剥がして俯いた。
半ば混乱した頭を落ち着けようと、唇を噛む。
────こんなのは、知らなかった。
深い深い森の奥
仄暗く澱んだ地の底
糧となる鳥や獣の悲鳴──そんな世界で生きてきた。
ずっと、生きてきた。
(だから)
色とりどりの花の中
明るく澄んだ空の下
そして鈴を転がすような少女の笑い声
(こんな)
俺の名を尋ね
礼を言った
陽だまりのような声
(こんなの……)
あまりにも
俺の世界から逸脱しすぎて────……
「──アレックス?」
「……っ!?」
不意に呼ばれて顔を上げると、俺の息は止まりそうになった。──視野いっぱいに広がっていたクリスティーナの顔。
注意力が散漫になっていて、近づかれていたのもわからなかった。
おまけに、反射的に身を引いた拍子に足が岩の苔に掬われ、危うく滑り落ちる所だった。
(あー……最悪……)
後ろ手で必死に爪を立てている今の己の姿は、死んでも想像したくない。
「気分でも悪──……っ! 唇、血が……っ」
「ああ……何でもない」
「でも──」
「構うな」
少しだけ、ぶっきら棒な言い方になってしまった。
感情の機微といったものに敏感なのか、クリスティーナの声音が変化する。
「…………わ……たし」
「……?」
「あなたも……当然用があって、この森にいたのよね……? それなのに、ずっとひとりではしゃいで……」
俺が当初の予定を狂わされて、困って苛々している、とでも感じたのだろうか。──まぁ、あながち間違ってはいないが。
エプロンの裾をきゅっと握ってつぶやいたその声は消え入りそうで、今まで俺を真っ直ぐに見つめてきた明るい瞳が、長い睫毛の奥に隠れてしまう。
それはまるで、
日が 陰ったようで────
先程からとっくに平常心を失っている胸の奥が、更にざわつく。
こいつもこんな顔をするのか……と、そんな事を思っていると、クリスティーナは手籠から小さなハンカチを取り出した。
口元に近づいてくる、華奢な腕。
触れられるのは好きじゃないのに。
拒絶しようとした俺の手は、耳に届けられた小さな「ごめんなさい」の声で止まった。
「…………」
俺は──結局、動かなかった。
そっと口の端に触れてくる細い指先。布越しに伝わる慣れない感覚に、背中がわずかに緊張してしまう。
ピリッとした痛みと共に、白い布には花びらを散らしたような赤い色が移った。
別段、俺にとっては何でもない傷だ。怪我のうちにも入らない。なのに──血を拭う彼女の表情のほうが、よっぽど痛そうで。
悲しげな瞳────否応なく心が揺り動かされる。
どこに視線をやればいいのか判らず、俺の視線はあちこちに揺れて……最終的には目を閉じる事で落ち着いた。
「……気にすんな。別に……俺は何も困ってなんかない。この傷もだ。おまえが気に病む事ねぇよ」
気づけば口をついて出ていた言葉に、今度こそ眩暈がした。
(この俺が……)
生まれて初めて、芝居ではなく他人を気遣う言葉を吐いたのだから。
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