針は空回りする

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 夕日の見える橋で佇んでいると、愛しい彼が息を切らしながら走っているのが見えた。橋の掛端までやってくると、膝に手をついて肩で息をした。そして、意を決したような大袈裟な仕草で顔を上げると、目が合った。すると何故か、驚いたように目を大きく開き、そのあと泣きそうな顔をした。  息も絶え絶えにふらふらと近付いてきて、何も言わず抱きしめられる。いつもより少しだけ力強く、ちょっと痛い。 「ど、どうしたの。そんなに私に会えたのが嬉しかった? なんちゃって」  無言だ。いつもは子犬みたいに騒がしいのに、珍しい。感情豊かだと思うけど、泣いている姿を見るのは、そういえば初めてかもしれない、とぼんやり思う。泣いているせいか、顔がしわくちゃになっていて、いつもより老けて見える。 「本当にどうしたの? 何か怖いことでもあった?」  例えば私が死んじゃった夢でも見たのだろうか。そうして抱きしめられたまま、背中をさすってやる。暫くの間、黙ってそのままの体勢でいると、耳元で霞むような声で力弱く何かを囁いた。  やっと会えた、と聞こえたような気がしたが、きっと聞き間違いだろう。何せ、昨日も会っているし、一昨日も会っている。だというのに、懐かしそうな目で見つめてくる。いや、懐かしむというよりは驚いている、に近いだろうか。まるで私が生き返ったような反応だ。  数分後、漸く落ち着いたようで、名残惜しそうに離れると、緊張した面持ちで腕時計を確認すると、風船から空気が抜けたように安堵の息を吐いた。時間を確認する如きで、何をそんなに気を張っているのか分からないが、何か大切な用事でもあるのだろうか。  彼の腕時計をチラリと見ると、針は動いていなかった。液晶にヒビは見当たらないが、壊れてしまったのだろうか。それなら、どうして安堵の息を吐いたのか不思議だ。以前、祖父から譲り受けた、不思議な力があるだとかで縁起の良い腕時計だと嬉しそうに語っていたのに。  今日も一日、何気ない普通の幸せな日だった。    
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