第3章 恐れと戦うための勇気

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 化け物がすべて倒されたトイレの出口に向かって歩く文音。その歩み方はだれにも止められないと思えるほどに堂々としている。 「ま……待って!」  それでも思わず、そんな文音の背中に声をかけている自分がいた。 「……奈美ちゃんは……どこ? ……どこにいるの?」  文音は冷たい目で綺星を見てくる。 「……さぁ。どこにいるのだろうな? 君を見捨てて逃げたか……、化け物に殺されたか……」 「……っ!?」  文音の心を差してくるような冷たい言葉に全身が凍り付く。考えたくもない……、聞きたくない。  ……もっと自分にとって都合がいい話を聞きたい……。  文音は鋭かった視線を綺星から離した。そして表情を少し和らげる。 「……嘘だよ。知っている。さっき、化け物と戦っているのを見た。  まだ戻ってきていないところをみると、まだ戦闘中か……あるいは……」 「なら、助けて! お願い、奈美ちゃんを助けて」 「断る」 文音のセリフがあまりに予想外だった。とにかく首をかしげて聞く。 「……なんで、なんでそんなひどいこと?」 「こう見えて、わたしも結構体力を失っているからな。集中力がかけた状態でこれ以上戦闘を継続したら、わたしがどうなるか。  悪いが、自分の命のほうが大切なものだから」  すでに化け物の姿からもとの人間の姿へと戻っている文音。元に戻った自分の腕を眺めつつ言葉をつなぐ。 「もし、そんなわたしを強制的に戦わせようというのならば、そういう君のほうが最低でひどいやつになることを忘れるな?」 「……そんな……でも……」 「なら綺星、君が助ければいいだろう? いまこそ、戦う意思を見せる時だ」 「無理だよ……あたしじゃ……なにもできない……。お願いだから、奈美ちゃんを助けて!」  自分が化け物と戦うなんて無理だ。奈美を助けるなどもってのほか。  文音はそんな綺星の手の中にあるものを指さしてくる。 「できるさ。いま、君の手に握られている注射器はそれをなせる力をもたらしてくれる。それを使えば、ひとりでも十分可能だ。  実際に助けるか、助けることができるかは……君次第ではあるがな」  そもそも……この注射器ってなんなの? なんでこんなものがあるの? 「……怖いか?」  文音の言葉に対して全力で首を縦に振る。当然だ、怖いに決まっている。最初から、ずっと……ずっと……。  おびえで震えが止まらなくなってくる。  そんな綺星に対して、文音は少しやさしい口調で話を続けてきた。 「ならそれでいいじゃないか。怖いということは自身の身の危険を感じ取れているということ。身を案じているんだろう。  それは生き残るうえで必要なこと。  自身を案じて他者を見捨てるのも立派な手だ。幸い、この状況で君を攻めるようなものはいない」 ――見捨てる――  その単語が異様なまでに耳に残る。 「……なんで……なんで……」 「わたしがさっき言ったことと同じだ。いま、君は他者を助ける余裕がないんだ。そうだろう?  いずれ君を助ける余裕を持つ人はいなくなると言った。君はすでにそうなっているというだけのこと。  その奈美というやつが死んだとしても、この状況ではそれがさだめだったというしかない」 「さだめ……見捨てる……、あたしが?」  奈美と出会ってまだ一日だ……。でも、この一日でもすでにかなり助けられている。  そして、自身はそれを疑問に思うことなく甘えてきた。  しかし……それは……当然では……。 「さぁ、新垣綺星。さっそく選択を迫られる時が来たぞ」  文音はゆっくりとドアに手をかけて綺星のほうへ振り向く。 「選べ。自身の身を案じて見捨てるか? 恐怖に打ち勝ち、闘いを挑むか?  この選択によって君は理解できるだろう。みんな他者を助ける余裕はなくなる、自分を助けるものはいないと。  そしてこの状況で生き残るには自ら戦うしかないと。  どちらを選んでもかまわない。例えどちらを選んでも、それは君にとって大きな成長の糧となる。さぁ、自身と戦え」  最後の言葉が聞こえると同時、ドアが締められる。もうすでに、文音の姿はこのトイレにはない。ひとり、取り残された状況……。  悩む時間は……、いや……悩むということは見捨てるということ……余裕がないから……しかたがない……。 「待ってよ!」  必死に声を荒げてドアを開ける。あたりを見渡し文音の姿を探す。すると、廊下の分岐点で文音は立っていた。  文音がつけたのかは知らないが、廊下の照明で照らされている。  そんな光の中で、文音はまっすぐ通常教室棟側に延びる廊下を指さしていた。 「……」  そろりと近づき、指先……廊下の奥を見る。 「……っ!?」  そこには化け物の群れの姿があった。そして、さらに向こうで化け物に抵抗をしようとする奈美の姿もあった。 「奈美ちゃん!?」  駆け出そうとしたが踏みとどまる。ここで自分が行ったところで……。  代わりに後ろを振り向いた。だが、すでに文音の姿はそこにはなかった。首を振って確認するも、どこにもいない……。 「……どうすれば……」 「綺星ちゃん!?」  急に廊下の奥から声が聞こえてきた。当然、それは奈美の声。 「逃げて! いますぐ! あっ!?」  そう叫ぶのだが、その口はすぐに封じられる。化け物の一撃が奈美の体を多く後ろへのけぞらせた。 「……っ」  注射器を握る手に力がこもる。  悩むことは、見捨てることと同じ……。自分を守ってくれる人はいずれいなくなる現実を認めること……。このままでは……。  他者を助ける余裕などない、事実いまの奈美はそうだ。でも、それでも……。 「……あたしが……」  助ける……!  目をつぶって注射器を腕に突き刺した。思ったより痛くはない。そのまま一気に中身を体内に注入し、空の注射器を投げ捨てる。 「変身!」  直後、自身の胸が大きく波打つのがわかった。そして、綺星の体は……化け物の姿へと変貌していく。  皮膚の一部が青色に変色。腕には赤い毛……。それは……文音と同じ姿だった。
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