第1話 青春はおしまい

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第1話 青春はおしまい

 夜の公園でブランコがキーコキーコと鳴っている。そのブランコに腰掛けて揺れる姿を、宮守(みやもり)(すばる)は眺めていた。ブランコを支える鉄柱を背もたれにしながら。 「残念だったね、府大会。ゼッタイ、行けるって思ったんだけどなぁ」  そう言って、トレンチコートを羽織った女性は、白い街灯の光に照らされながら、ブランコ下の泥と砂の地面をつま先でトントンと蹴る。 「爽香先生は、身内贔屓なだけですよ。最優秀賞をとった青龍高校のお芝居は良かったですよ。間違いなく。脚本も良くできていたし」  昴は、まだ若い演劇部臨時顧問――伊東(いとう)爽香(さやか)の横顔に視線を落とした。打ち上げのファミリーレストランで、少しだけお酒を飲んだ女性の頬はほんのりと赤く染まっていた。誰しもが悔しいのだ。でも、終わったことは、終わったこと。  冷たい金属は昴の背中から少しずつ体温を奪っていく。さらに秋風が吹いて少年は思わず身を竦めた。  午前中からお昼にかけて熱を放ち、体の中で燃え続けた青春の炎は、すっかりと消されてしまい、残留していた温度も平熱以下まで落ちていた。もう、体は冷え切っていた。 「え~、そうかなぁ。先生は宮守くんの脚本だって負けず劣らず良かったし、山川先生の演出も入ってさ。夏の大会の時とはまた違ったけど、うちの演劇部のお芝居だって、良かったと思うよ? ……って、演劇のこと全然知らない私が言ってもアレなんだけどね」 「ははは。そうですね。爽香先生、説得力無いっすよ」  そう、昴は力なく笑う。燃え尽きたのだ。  夏から演劇部にピンチヒッターの臨時顧問としてやってきた爽香先生は、演劇については素人だった。だけど、本当に一生懸命に支えてくれたと昴は思う。その奉仕と期待に、自分たちは応えられただろうか。  ずっと顧問だった山川先生が体調不良で入院して、急遽、臨時顧問になってくれたのが受け持つクラブがなかった新任の化学教諭、伊東爽香先生だった。爽香先生は夏から秋にかけて演劇部のためにできることを一生懸命にやってくれた。大会参加の手続きに、リハーサルの付き合い、引率、演出の議論などなど。時々、練習後のファーストフードにまで付き合ってくれたりしたものだ。  十月に入り、山川先生が退院し、府大会に向かう練習が本格化してからも、 変わらず二人目の顧問として支えてくれた。 「酷いなぁ、そんな直接的に言われたら傷ついちゃう」  爽香は両手でブランコのチェーンを掴みながらダランと頭を前に倒す。 「でも、本当に感動したんだよ、私は。今日の舞台、宮守くんのお話に、宮守くんの演技に」 「ありがとうございます、ありがとうございます」  昴は照れ隠しも兼ねて、同じ返事を二度繰り返した。  恥ずかしくなるほど真っ直ぐな言葉。それが本心だとしても、慰めだとしても、何度でも聞きたい言葉だ。創作をしていて、そういう言葉ほど嬉しい言葉は無い。でも、今そんな言葉を聞くと昴は泣いてしまいそうだった。  高校生としての最後の舞台。秋の府大会。不完全燃焼な上演の後、洛和高校演劇部の敗退が決まった。  一つ一つの失敗。仕方なかったとはいえ、生まれてしまった演出方針の振れ。いろいろなことが裏目に出た。後悔ばかりが去来する。  京都文化会館のステージ上から結果が発表されて、降りていった緞帳。それは宮守昴の青春という舞台終了を知らせる合図で、挫折の象徴だった。  ブランコから「よいしょ」と爽香が立ち上がって、お尻の埃をパンパンと払う。その視線が宮守昴の方を向く。また、秋風が木々を揺らす。 「宮守くん。ちゃんと格好良かったよ。舞台の上で、青い背景の光の中で、その、あの……何ていうんだっけ、あの、照明――」  両手を広げて舞台上の広がりを体で表現する爽香先生。 「――ホリゾントライト?」 「あっ、そう! ホリゾントライト! ……何よ、知っているわよ、ホリゾントライトくらい。そのくらい私も勉強したんだから。アッパーホリゾントにロアーホリゾント! 背景を染める照明よ」  アッパーホリゾントライトは天井からぶら下げて、ロアーホリゾントライトは下に置いて、舞台背景になるホリゾント幕に光で色を塗る照明道具だ。  昴たちの舞台「水の惑星」では印象的な淡い青い色、そして、ラストの深い青い色が決め手だった。  九月上旬にあった「夏の大会」府大会の予選では山川先生不在の中、昴たちの洛和高校演劇部は自分たちでも納得の行く最高の舞台を作ることができた。  でも、山川先生が復帰して、気持ちも新たに取り組んだ今日のコンクール――秋の府大会では、あらゆることが裏目に出てしまった。  演出の不整合、演技の空回り、小さなミスの積み重ね。  洛和高校演劇部は近畿大会に駒を進めることができなかったのだ。  高校演劇では高校二年生の大会が、全国大会に行く最後のチャンス。 「あ〜。もう一回、夏の大会の終わりからやり直せないかなぁ」  もしやり直せたら、演出はきっと変えない。夏の大会のままで行く。 「時計の針だけは、戻せないからね。一度きりの高校生活」  そう言って目を細める爽香の横顔を、昴は眺めた。  仄かな光の散乱に照らされたタートルネックから覗く相貌には、やっぱり同級生には無い少し大人っぽさがあった。手の届かない距離。  この夏の間、彼女に宮守昴の視線は引き寄せられた。少しずつ先生に対する好意は、異性に関する憧憬に変わっていた。そこに出口なんて無いのだけれど。 「格好つけすぎましたかね。僕。演技」 「うん。格好良かったよ。宮守くんの演技。私には刺さったなぁ〜」  そう言って握った左手を心臓につきたてる仕草をする彼女。 「――それなら良かった……です」  舞台の上で彼女の視線を気にしてしまった。だから、観客席にいる彼女に演技を届けたくなってしまった。そんな想いが自分を支配していた瞬間は、物語の中の『彼』になることから自分を遠ざけてしまった気もするのだ。それが良かったのか悪かったのか。今も良くわからない。 「――青春だね」  目の前で爽香先生の赤い唇が言葉のビー玉を弾く。  高校生にとっては、こそばゆくて、現実感がなくて、重たくて、時には大人からの押しつけにしか聞こえないその言葉。大人がその言葉に仮託したがる美しさは実際の日常には無くて、友情も、部活も、勉学も、恋愛もリアリティと不器用さと泥臭さに塗れている。  それでも、爽香の唇から弾かれたその言葉は、なぜだか昴の空洞ばかりの胸の中に綺麗に収まるのだった。その言葉はどこか寂しくて、何かに焦がれるような響きを含んでいたから。 「青春、……終わっちゃいましたね」 「終わってないよ! 青春は全然終わってなんかないんだよ、宮守くん!」  爽香は眉を寄せて、握り拳を両手で作って、昴の顔を覗き込む。 「でも、僕、青春全部、演劇に投入していましたから。今日の舞台に――」 「分かるけど。……分かるけど、でも、今日の舞台だけが青春じゃないし。まだ、高校生活だって、大学生活だって、……その先だってあるんだし!」  熱っぽい言葉。自分より六歳も年上の女性の若い言葉に当てられる。二の腕を二つとも掴まれて揺すられながら、「先生は若いなぁ」なんてことを昴は思った。 「分かっていますよ。演劇以外にもいろいろあるんだと思いますよ、青春は」  分かっているのだ、そのくらいのことは。  そんな若者の素直な言葉に「うんうん」と何度も頷く爽香先生の目は潤んでいた。それが何かの感情を表象した涙腺の緩みなのか、それともお酒の影響による分泌なのか、昴には分からなかった。  それでも自分が、演劇部がこの女性に背中を守られて、支えられて、ここまで来たのだということをどこかで感じていた。 「宮守くんなら、これからの高校生活だって青春できるし、演劇だって大学に入ってから、また取り返せるよ。宮守くんはなんてったって宮守くんなんだから」  気付くと二の腕は強く引っ張られて、昴は先生の胸の中にいた。背中には彼女の暖かな手のひらを感じる。ブランコの鉄柱に奪われた熱が、彼女の手のひらから供給されていく。それは昴にとって、きっと初めての、家族ではない女の人の優しくて柔らかな温もりだった。  それは、高校時代を掛けた演劇部の大勝負――演劇コンクールの府大会に敗退した日の夜の出来事。  でも、それで青春はおしまい。  ――青春はおしまい。
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