第二章

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第二章

家事を終え、穂希は机に向かっていた。 時刻は九時。 今日の復習と、次の授業の予習を済ます。 眠い目をこすりつつ、問題集を解く、意味も無いと感じているが、やっておかなければ授業に遅れるからだ。 ……こんな事があと一年以上も続くのかな。 問題集を凝視しつつ、穂希は思った。 大学に行くために勉強を続けてきたのに、途中で変更せざる得なくなり、前のようなやる気が失せていた。 最低限の勉強はするが、それ以上のことはしたくない、というのが穂希の心境である。 穂希が通う学校は進学校で、大学に進学する人がほとんどである。 紀子も大学に行くと言っている。 同じように道を進めないのが穂希にとって悲しかった。 とりあえず勉強を終え、穂希はベッドに倒れた。 「はあ……」 大の字になって、穂希は天井をぼんやりと眺めた。 昼間と同じく蒸し暑い空気が狭い部屋を漂う。 ……いけない、明日の準備しなきゃ。 明日の授業で使う教科書・ノートを鞄に入れてないことを穂希は思い出した。 穂希は体を起こそうとしたが、波のように眠気が襲いかかり、穂希は目を閉じるしか無かった。 ……をかな……たい? 誰かの声が、穂希の耳元で囁いた。 穂希は重い瞼を薄っすらと開く。 声はまた聞こえた。 ……願いをかなえたい? 今度ははっきりしていた。目を完全に開き穂希は恐る恐る周囲を見た。 しかし、自分以外に誰もおらず、何も変わらない部屋が広がっている。 穂希は視線を泳がせ、口を開く。 「誰……なの?」 自分だけの部屋で穂希は呟いた。 ……驚かせたね。ボクは君の側にいるんだよ。 「私の?」 ……君の近くに転がっている本があるだろ、それがボクだよ。 穂希はベッドの周りを見回した。『てんしのくに』というタイトルの一冊の古ぼけた本が枕の側に置いてあった。 ……やっと気づいてくれたね。 穂希が本を手に取ると、声が脳内に響き渡る。 気味が悪くて、穂希は小さな悲鳴を上げた。 ……ああ、ごめん。つい嬉しくて加減を間違えたよ。 穂希は深呼吸をして、気持ちを落ち着かせた。 この声の正体をまず知る必要があった。 「あなたは誰?」 ……ボクの名前はエリュシオン、穂希、君が持っている物語の主人公だよ。 エリュシオン、忘れるはずが無かった。穂希が五歳の誕生日に父親から貰った本の主人公だからだ。 エリュシオンは天使で、二つの国を幸せにしようと頑張る話だった。 穂希はその話を気に入り、高校生になった今でも時々読み返している。 分かってはいるが、エリュシオンは架空の存在で、穂希に話しかけてくるなど現実ではあり得ない。 夢かもしれない……穂希は試しに頬をつねった。じわりと痛みがくることからして現実だということが伺える。 ……君が混乱するのも無理はないね、ボクが君に語りかけてくることは普通では考えられないしね。 心の中を見透かしたように、エリュシオンは言う。 穂希はエリュシオンの挿絵が載っているページを眺めた。姿は無くとも絵の中にいる彼が穂希に話しかけているのだ。 「あなたの声は私にしか聞こえないの?」 ……そうだよ。 「学校でも話しかけてきたのは……」 ……ああ、ボクだよ、あの時は本から遠ざかっていたから声が届きにくかったんだ。 今更思うが、本が近くにあるため、エリュシオンの声は鮮明に聞こえる。 穂希が想像していた通り、エリュシオンは声変わりしてない男子声である。 どうして本の人物が命を持ったのかは分からないが、エリュシオンが穂希に話しかけてくることは事実だ。 「そういえば」 戸惑いつつも、穂希は話を切り出した。 「あなたは願いを叶えたいって言ってたけどどんなこと?」 ……本に書いてある通りのことだよ。 エリュシオンは即答した。 エリュシオンが出来ることは、不思議な力で人を幸せにすることである。ただし叶えられる願いは一つだけである。 ケーキをお腹一杯に食べたい、お金持ちになりたいなど、些細なことでも構わない。 「何でも叶えてくれるんだよね」 ……そうだよ、ただし三つ叶えられない願いがあるけどね。 「一つ目は死んだ人を生き返す 二つ目は誰かを殺すこと 三つ目は人を不幸にすること……だよね」 穂希は落ち着いて言った。 三つのルールを一つでも破るとエリュシオンは消えてしまうという。 穂希の望みは三つに当てはまっておらずエリュシオンが叶えられるはずだ。 「本当に私の願いは叶えられるの?」 穂希は疑問を口に出す。 嫌な言い方をするが架空の存在が現実を変えられるとは思ってなかった。 それでも、今の現状が変わるなら、叶うか分からなくても願いたい。 ……三つの願い以外ならね。 穂希は生唾を飲み込み、意を決した。
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