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すきだったひと
一瀬さん、と遠くから呼ぶ声に振り返ると、高谷くんがこちらに駆け寄って来るのが見えた。
今日帰ること、わざと黙ってたのにな、と、私は少し口元を歪めて、でも振り向いてしまった手前無視することもできず、その場に立ち止まったまま彼を待った。
「か、帰るの……?」
乱れた呼吸を調えながら言った彼のこめかみから、ひとすじの汗がつ、と伝っていく。
「うん、六時の電車」
「そ、そっか……」
そのまましばらく、沈黙が続いた。
山に囲まれたこの街は、夏でも日が沈むのが早い。もうすぐ稜線に吸収されそうな太陽は、都会の夕日よりも淡く、ほとんど朝日に近い色をしている。懐かしい色。この色で育ったから、写真で見る真っ赤な夕日なんて偽物だと思っていた。
街の真ん中を流れる川にかかる、集落と駅や市街地をつなぐ橋の上。昨夜は賑わったこの橋も、今は時折過ぎる車の他に、人影は私達だけしか見当たらない。
遠くでカラスの声がする。
のんびりと川が流れていく。
「次はいつ帰ってくる……?」
こちらを伺うように、彼は言う。
「うん……どうかな。まとまった休みが取れれば……だけど、今回も数年ぶりだしわからないや。結婚のあいさつの時だったりして」
アハハ、と私は明るく笑った。
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