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昨夜、ジンをストレートでマグカップで飲んだのに自然と目が覚めてしまった。
5時12分。
完全に遅刻だ。4時には出勤していなくちゃいけない。
でも、遅刻じゃない。僕はもう仕事を辞めたから。
仕事を辞めた。一人暮らしを辞めた。
2年ぶりに帰ってきた実家の自分の部屋の見慣れた空模様の天井は、小学生の自分のセンスすごいな。って苦笑いしちゃうけど、嫌いじゃない。
頭がちょっと痛い。体も重い。まだ寝たい。そう思ってもスマフォを確認して、ラインとTwitterとインスタと一周するとなんとなく目が覚めてしまう。
多分それだけが原因じゃないけど。
起き上がる。頭の中にソーダが入ってて脳みそがどっぷり使っちゃってるみたい。クラシュワする。
やることのない朝。
違うな。
やりたいことのない朝だ。
まだまだやることはいっぱいある。
ガスと電気と水を止めなくちゃいけない。
しかも何より今日は辞めたお店に必要書類を取りに行かなくちゃいけない。
いやだなぁ。
郵送してくれないかなぁ。
そんなこと考えてても仕方ないし、珈琲でも飲まなきゃ。
早く頭の中をカフェインでいっぱいにしないと全然脳みそが働いてくれない。
ブラック企業に二年間もつま先から頭まで浸かっていたせいで、
飲めなかった珈琲はなくてはならないものになり、ブラックも飲めるようになってしまった。
というより、頭の中をブラック珈琲でどっぷり脳みそを浸してあげないとブラック企業でははたらけなかった。
カフェオレだと1時間に三倍も飲んだら下痢になっちゃう。
引っ越してきたダンボールから焙煎機と全自動ミルを探し出す。
生豆を見つけて、60グラム測る。水に浸して、軽く混ぜて薄皮を取り、欠けている豆や腐っている豆を取り除く。
水を拭き取ったら、焙煎機に放り込み、電源を入れて「ミディアム」のボタンを押す。甲高い音と豆がカラカラと回る音が心地いい。
椅子に座って、スマホを意味なくいじる。6時45分。
家族は当然誰も起きていない。
まだまだ実感はわかない。
そりゃそうか。
一昨日仕事を辞めて、いきなり昨日、友達達が引っ越しを手伝うと押しかけてきた。爆音のサンボマスターと共に。
多分、あいつらなりの励まし方なんだろう。
すっごい疲れた。
1日で22歳男子の荷物がまとまる訳もないのに、
「まとめたところから運ぶからまず大きいのな!」
なんて、怒号と共に必死に服の山の中に埋もれてるコンドームが顔を出さないように細心の注意をはらいながら荷物をまとめた。でも、そのおかげで友達が、
「トイレ借りるなぁ!」
なんて言ってても、全然気にならないくらい集中できた。仕事を辞めた次の日にこんなにも腐らずにひたすら引っ越し準備をした22才なんて多分僕くらいだろう。本当に良い友達をもった。そして、後で気がついた。
トイレにはテンガとローションが置いてあったことを。
1日経った今。今はまだ弄られていない。弄られたらなんて誤魔化そうか。いやいや、男だしそりゃそうだろ。って開きなおろうか。あぁ、あのガサツな馬鹿にするのは大好きなどうしようもなく愛おしい狂人達に気使われてんのが一番しんどいなぁ。早くいじってくれないかなぁ。
どうでもいい堂々巡りの妄想が、堂々と頭の中を占領し始めた時に、香ばしい匂いで妄想軍の占領は一瞬にして珈琲軍に負けた。
焙煎が終わった。
まだ温かい豆ミルに移し、電源を入れる。荒挽きになった豆をフレンチプレスに入れ、お湯をまずは一投。少し蒸らし、規定量を入れる。3分待って、プレスする。
温めておいたマグカップに珈琲を入れる。
無職になっても、珈琲は美味しい。
それだけでこんなにも安心する。
無職でも、ブラック企業で軽く鬱になっても、一杯の珈琲がこんなにも簡単に幸せを作る。
憧れを失って、大きく空いた穴。
どうしようもない虚無感の穴。
たかが一敗。
それでもこの先簡単には修復できない穴。
憧れた職場。職業。
理想と現実は全然違った。
「まだ若い。いくらでもやり直しがきく。」
辞める時、そんな言葉をたくさんもらった。
若いって言われると馬鹿にされている気がして昔は好きじゃなかった。
今は、少しだけ、本当に少しだけ、若いって言葉に希望を感じられるようになった。
それだけでこの挫折も、この無職の時間も、なんかの意味があるのかもって思える。
いきなり、何かが大きく変わることなんてないかもしれない。
時計は8時を指している。
一杯の珈琲を飲もう。
そんな小さな幸せを味わう朝を大切にしよう。
大きく穴が空いたマグカップでも構わない。
美味しい珈琲を注ぎ続けよう。
丁寧に、時間をかけて。
大丈夫、時間はある。
昨日も、今日も、明日もお休み。
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