第十一連鎖 「カゴメカゴメ」

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第十一連鎖 「カゴメカゴメ」

「…ヒトゴロシ。」 確かに、あの太った血だらけの子供はモニターの中でそう呟いた。 直ぐに追い掛けて行ったのに、交差点で見失ってしまったのだ。 だから現場から離れてしまっただけで、逃げた訳じゃない。 …だが今や指名手配の犯人だ。 あの副会長を撃ったのも正当防衛の筈だ、事故だった。 殺すつもりなんて…。 新人巡査だった彼は、服を盗み立ち入り禁止のクラブに潜んだ。 店のテレビでニュースを見て、情報を集めていた。 彼は子供を追っているつもりである。 まだ彼の拳銃には弾丸が4発も残っていた。 今や彼は単なる逃亡中の殺人犯で、あの子供を探している。 もしも見付けたら…。 台風は本州に上陸してきたとのニュースがトップ。 その中で字幕だけで流れていく、その他のニュース。 …踏切事故の犠牲者の両親も自殺。 そんなニュースも流れて消えていった。 だが心に抱えて噛み締めている者もいたのである。 最初に自殺した少年の第一発見者。 そして、この呪いのドミノ現象を始めてしまった当事者。 更に増えていく犠牲者の数。 それによって濃くなっていく彼の心の闇。 風も雨もどんどん強さを増していき、もう人の手には負えない。 これもまた自然の、もう一つの顔である。 ごうごう、ごうごう。 ざあざあ、ざあざあ。 大型台風の九州での被害状況が画面を独占していた。 その凶暴さは増しつつ、確実に近づいてきている。 どの地域の視聴者も、もはや他人事として捉えてはいない。 大勢の人々が台風に備えて買い物をしていた。 災害時の必要品、そして何よりも大事な食料品。 スーパーには多くの客が押し寄せていたのだ。 荒天なので車の客も多く、駐車場は混雑している。 その人の合間を縫う様に、逃亡犯も訪れていた。 逃げた直後にATMで全額降ろして、所持金は豊富である。 キャップを目深に被り、フード付きのTシャツを被っていた。 いつの間にか猫背になっていて、面影が消えている。 彼も食料品を買い込んでリュックに入れた。 台風の為にではなく、潜伏し続けるのに必要だからである。 同じ様な買い方をする客ばかりで、目立つ事は無かった。 伊達眼鏡を掛けていて分かりにくいが、その瞳は紅い。 一刻も早く潜伏先の営業停止中の店舗に戻ろうとしていた。 情報を収集して状況を把握しなければならない…。 だがしかし、あの太った子供の正体は一体全体何なんだ? 何だってんだ…。 逃亡犯はスーパーを出て駐車場を横切ろうとしていた。 店舗の正規の出入り口よりもカメラが少ないだろうとの判断である。 元巡査だけに逃げる際の知識は豊富ではあった。 …その時である。 駐車場の方から大声が聴こえてきた。 何やら、二つの人だかりで揉め事が起こっている様である。 軽自動車の家族連れにワンボックスの男達が絡んでいるらしかった。 家族連れの婦人と娘であろう少女は怯えている。 雨に濡れながらも父親の運転手は平謝りに謝っているのだった。 ワンボックスの方の男達は三人、派手で厳つい容姿をしている。 もはや流行遅れのスタイルで、判り易いアウトサイダー然としていた。 理由は知る由もないが、家族連れを詰めている様ではある。 先日まで巡査だったからか、つい立ち止まって様子を伺ってしまう。 軽自動車の母娘からの視線が送られてくる。 その事に気付いた半グレの一人が彼に近付いてきた。 ポケットに手を突っ込んだまま、身体を揺らしながらユックリと。 「何だよ、何だってんだ?」 彼より軽く10センチ以上は大きいので、見下ろしてくる。 Tシャツから覗く上腕にはタトゥーが目立っていた。 それはもはや刺青と呼べるレベルの量である。 半グレって存在か…。 彼は目を合わせない様に伏せて、小さな声で答えたのだ。 「…別に。」 ぱちんっ。 彼の消極的な態度を怯えと判断したのか、いきなり頭を軽く平手打ちした。 伊達眼鏡と一緒にビニール傘が飛んで、強風に運ばれていってしまう。 薄ら笑いを浮かべて、その半グレは更に距離を詰めてくる。 残り二人の半グレも車を離れて、彼を取り囲む様に近付く。 坊主頭に髭と、太って腹の出た緩んだ身体の二人。 やはり半袖からはタトゥーが覗いている。 相手が弱いであろうと見るや、より高圧的な態度を取ってきた。 どさくさに紛れて、家族連れは車に乗って離れて行ってしまう。 それを見て安心した彼の瞳は、急激に紅味を帯びる。 元巡査から殺人者の顔付きに変わっていってしまった。 ばちっ。 その表情を見て、先程よりも強く頭を叩いてきた。 彼は紅くなった眼で睨みつける。 その挑発的な表情に一人が睨み返す。 「こいつ、やる気満々じゃね?」 叩いてきた半グレは今度は胸倉を掴んできたのである。 残りの仲間も半笑いで、彼を取り囲んできた。 彼の眼が細く鋭くなって無表情に変わる。 大き目のシャツの下に手を潜り込ませた。 そして腰の辺りから拳銃を抜き出して半グレに向けて構える。 無表情のまま、紅い眼で。 拳銃を突き付けられた半グレは嗤っていた。 他の二人も茶化す様な嬌声を上げて道化て見せる。 もちろん全員が本物の拳銃だなんて思いも寄らないからだ。 「おいおい…、エアガン一丁で三人を相手にすんのかよ?」 残りの二人も嗤いだした。 胸倉を掴んでいる半グレは揺さ振りだす。 「ストリートで俺達を煽ろうっての?」 カチリ。 彼は撃鉄を起こした。 その眼は極限まで細められて、紅さは見て取れなくなっている。 半グレは拳銃を通り越して彼に嗤いながら言った。 「この、…ヒトゴロシ。」 ぱんっ。 強風の中に乾いた音が鳴り響いた。 胸倉を掴んでいた半グレは尻餅をついて、そのまま仰向けに倒れる。 嗤った顔の眉間には穴が開いていた。 濡れた駐車場のコンクリートが後頭部部分から赤くなっていく。 それを直ぐに雨が流してしまおうと降り続ける。 残る二人の半グレは呆けた表情で倒れた仲間を見ていた。 ようやく状況を把握してから、彼に顔を向ける。 もはやその顔面は蒼白で恐怖に満ちていた。 「なっ、なん…。」 髭の坊主頭は後ろを振り返って駐車場から逃げようと走る。 太った男は自分達のワンボックスに戻ろうとした。 彼は落ち着いて、距離が離れていく方の坊主頭に銃を向ける。 ぱんっ。 坊主頭は後頭部に穴を開けて、顔から血を巻き散らして倒れ込む。 撃たれた瞬間の表情は、信じられない…といったものであった。 軽く痙攣を繰り返してから動かなくなる。 彼は更に車に逃げ込もうとしている太った男に近付く。 「…えええっ、…ええっ。」 ぱんっ。 自分達の車に乗ろうとしていた太った男も後頭部に穴が開いた。 車のウィンドウには赤いシャワーの跡が残る。 駐車場は一時的に血の海と化したが、雨が洗い流し続けていた。 太った男は巨大な体躯を車に叩き付けて滑り落ちる。 自分の車に自分の血で最後のペイントをして動かなくなった。 彼は一瞬にして三人を射殺してのけた、何の躊躇も無く。 確かに引き鉄を引いたのは彼だが、引かせたのは言葉であった。 …ヒトゴロシ。 それは確かに彼が待ちわびていた言葉ではあった。 だがこんな奴等から聞きたかった訳ではない。 あの最初の射殺事故の現場のモニターにいた、太った子供。 彼は、その子供の口から聞きたかったのである。 もう一度…。 彼は四度の発砲で四人を殺した。 弾丸は残り一発…。 それを彼は目的の為に残しておこうと考えていた。 或いは目的が達成出来ないならば、自分自身の決着用であると…。 傘を飛ばされてしまったので、彼は雨宿りをしようと歩く。 スーパーに隣接されているカフェに向かっていった。 テレビが在るなら、情報の収集が続けられるだろう…。 …あの太った子供は何処にいるってんだ? 駐車場の事件の一部始終を目撃して戦慄していたカフェの人々。 彼等は殺人犯人である彼がカフェに向かってきたのでパニックになった。 彼が入店した時は殆どの人々が絶望して泣いていたのである。 …ただ一人、オカルト系の雑誌のライターを除いては。 そのライターは絶好のチャンスかも知れないと興奮していたのだ。 彼は従業員も客も全員をカウンターの向こうに座らせた。 駐車場側の窓から店内の状況を隠した訳である。 彼自身と人質の安全を、同時に図ったのであった。 そして、ライターの質問形式のインタビューを受け始めた。 自分が元巡査である事から、一連の事件の経緯と情報。 自分の知っている捜査経過と自分自身の感情も交えたもの。 自分が見たモニターの太った子供の正体。 彼が望んでいるのは、それだけであったのだ。 ライターは全て録音していった。 これは、とんでもないスクープかも知れない。 もはや途中で、それは確信へと変わっていった。 ライターは現在の状況と経過をデスクにメールする。 直ぐにバックアップ態勢が取られた。 これは大型台風よりも大きいかも知れないな…。 彼もまた興奮してインタビューを続けた。 各マスコミに自分の存在をもアピールしておく。 これでライターからコメンテーターに昇格出来るかも…。 事件から、かなりの時間が経過していた。 駐車場カメラの映像が公開されるや否やマスコミが飛び付く。 PTA副会長を射殺した元警官の立て続けの凶行。 大型スーパー内のカフェでの立て籠り。 台風情報を深刻に見る必要の無い視聴者は釘付けになっていく。 駐車場の三つの遺体は収容されて、カフェは警察に包囲されていた。 カフェの従業員と客はカウンターの中へ追いやられている。 その人数は不明、つまり人質がどれだけいるか把握出来ない。 …警察は簡単に手が出せないという事になる。 犯人である彼自身にも、もはや先行きが読める筈も無い。 子供を追い掛けていったら、いつの間にか囲まれていたのだ。 警官達の外ではマスコミが取り囲んでいる。 その外には更に野次馬達が台風の中なのに集まっていた。 テレビニュースでの生中継、視聴率も半端ではない。 かごめかごめ かごのなかのとりは いついつでやる 彼は悟っていた。 あの太った子供に連れられて此処まで来てしまった事を。 あの子供は何かのスィッチだったのだ。 もう子供はいない、…もうスィッチを止める事は出来ない。 彼は償う気なんて無かったが、ライターに全てを話して楽になっていた。 家族に迷惑も掛かっている筈だし、後悔はしている。 彼は銃をホルスターに差して両手を挙げて出口に向かって歩く。 それは本当に出口なのか、何処かへの入り口なのか。 「…よあけのばんに…つるとかめがすべった…。」 両手を挙げたままドアから出てきた彼にフラッシュの嵐が迎える。 テレビカメラはズームアップで歓迎していた。 緊張しているのは取り囲んでいる警官隊だけである。 マスコミは目前に供された御馳走に噛り付いていった。 野次馬も同様に興味津々に見守っている。 彼は自分自身で血の海にした駐車場に歩き出した。 フラッシュの点滅が一段と多くなり、視界を遮られる。 警官が犯人に対しての決まり文句を叫ぶ。 分かってるよ…、何に抵抗するっていうんだよ…。 彼は両手を挙げたまま、ゆるりと警官隊に近付いていく。 見知った同僚の顔も沢山見えて、少し悲しくなった。 …ふと、音や声が止んで何も聞こえなくなる。 フラッシュがスローモーションの様になって視界が戻った。 その時である。 彼には警官隊の前に歩いて出て来た子供が見えた。 …あの太った少年である。 少年は彼を指差して嗤いながら近付いてきたのだ。 彼は驚くと同時に瞬時に感情が沸騰したのを感じる。 こんな時にこんな場所で…、一体全体こいつは何をしているのだ? 彼の眼は瞬時に真紅に染まっていった。 嗤っていた少年の口許が何かの言葉を繰り返し始める。 その声が、彼の頭の奥底の隅で微かに聞こえた気がした。 微かに、…だがハッキリと。 「…ヒトゴロシ、…ヒトゴロシ。」 その言葉に反応して、彼は腰のホルスターから拳銃を抜いた。 …抜いてしまったのだ。 「がああっ…!」 ぱぱんっ。 いきなり投降から態度を豹変させた彼に射撃命令が下る。 待機していた警官からの威嚇射撃、だが弾丸は狙いを逸れてしまう。 利き腕に当たる筈だった弾丸は、左顎から頭部を貫通していった。 彼が急に拳銃を抜いて構えて突進した為である。 彼はまるで糸の切れたマリオネットの様に崩れ落ちた。 倒れた彼からもまた、紅い染みが拡がっていく。 だがそれも強まった雨が流して隠そうとしている様だった。 彼は、この駐車場での四人目の遺体となったのである。 彼を射殺してしまったのは元の同僚である。 同僚もまた、彼がそうだった様に唖然茫然としていた。 他の警官が現場処理に奔走し始めている。 マスコミは騒然となり、アナウンサーの大声が響き渡る。 テレビで生中継されていた為に全国に流れてしまった彼の死に様。 …彼は四度の発砲で四人を殺し、一度の発砲で射殺されたのだ。 彼が拳銃を構えて叫んだその先には、誰もいなかった。 うしろのしょうめん だあれ?
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