19 八月九日、美咲と家庭教師

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「もしもし。……うん。えっ?」  美咲が電話を始めてすぐに、困ったように碧理を見た。そして、すぐにまた電話の主と会話を始める。  そんな美咲の様子を見て、碧理もまた不安になった。自分達に取って、あまり良くない知らせなのだと。 「あのさ。今の電話、兄貴からだったんだけど……。碧理の家から電話があったって。一回、家に連絡した方が良いかも」  電話を終えた美咲が、碧理に詳細を伝える。  美咲の家に電話があったのは、十七時を過ぎた頃。  電話をかけてきたのは碧理の父である拓真で、その電話を取ったのは、ちょうど家に在宅していた美咲の兄だった。  聞かれたのは碧理の様子と、さすがに三日も泊まるのは迷惑だと思うから明日には帰るようにとのこと。  それと「今は家にいない。遊びに行っている」と機転を聞かせてくれた美咲の兄が受け取った伝言は「外出先から帰って来たら、すぐに電話をするように」と厳しい物だった。 「なんか兄貴が言うには、碧理のお父さん、何度か碧理のスマホに電話しているらしいよ? いつ連絡あったの?」  そう美咲に問い詰められ、碧理は苦笑いをして口を開いた。 「……昨日の夜と今日の朝。夜は遅かったから止めた。朝はパンケーキ食べ終わった後に着信があった。それと、移動中の電車で二回。計、四回だね」 「何ですぐに出ないの? 話していれば私の家に連絡なかったのに」  咎めるような美咲の言い方に、碧理は口を閉ざす。  拓真が碧理のスマホに電話をかけて来たのはこれが初めてに等しい。それほど、二人の関係は気薄なものだった。  だから、碧理は迷ったのだ。  電話をかけて最初に何を言えば良いのかを。そして、どう言う会話をしたら良いのか朝から考えていたら時間だけが過ぎて今に至る。  それほど、電話を拓真にかけるハードルは、碧理にとって遥かに高い。 「深く考えすぎなんだよ、碧理は。ただ、元気で楽しく過ごしてるって言えば良いのに。電話してくれるだけマシだよ。ほら、電話かけなよ。でないと……兄貴が困る」  そう助言する美咲の言葉も一理あると、碧理は頷く。  だが、そこで気づいた。  美咲も電話をどうするのかと。  さっきから黒川健人の名刺を手に持ったままで、時折り気にする仕草を見せていた。  本人は無意識かも知れないが、碧理と話している時も、目線が手元にいっている。 「美咲はかけないの? 黒川さんに。モヤモヤしているならかけて見たら? 結婚したいんでしょ?」 「か、かけないよ。それに、結婚する相手はケン君じゃなくても良いの。特定の人と結婚したいんじゃなくて、素敵な人と結婚出来ますようにだよ」  美咲の言い訳は苦しい。  だが、碧理はあえて指摘しないでおいた。 「健人君に電話したって、どうせ誰にも言わないでって口止めしてくる気だよ。……言わないわよ。三年も経っているのにね。言える訳がないじゃない……母親に若いツバメがいるって。恥ずかしいもん」  眉間に皺を寄せて、怒ったような様子を見せる美咲だが、碧理は「若いツバメ」の意味が分からなかった。 「なに? ツバメって」 「昔の西洋ヨーロッパで使われていた言葉よ。貴族は政略結婚が多いから、跡継ぎ生まれると、男性は若い愛人を。女性は、ステータスの一種として、若いイケメンの愛人を持つの。それを『ツバメ』って呼ぶの。愛人になる代わりに仕事に出資したり、お金や家を貰う感じ。今で言うヒモ男ね」  どこで知ったのか知らないが、美咲が得意げに知識を披露する。  現代日本で、特に必要ない知識を。  それに黒川健人は無職ではなく仕事をしている。しかも、碧理でも聞いたことのある製薬会社だ。ヒモではない気がしたが何も言わなかった。 「美咲が電話しないなら私もしない。だって、好きなんでしょ? まだ黒川さんのこと。じゃなきゃ、都市伝説信じてこんな所まで来ないよ。美咲ならすぐに彼氏が出来そうだし、こんな面倒な真似しないでしょ」  そう言うと、美咲の目に迷いが出たのを碧理は見逃さない。 「たった一日一緒に過ごしただけで私の性格わかるの? ……それにさ、碧理もわかっているんじゃない? 都市伝説なんて、願いが叶う洞窟なんて嘘だって。なのに、何で付いて来たの?」  やっぱり、美咲も頭ではわかっていたらしい。  願いが叶う奇跡の洞窟など、都市伝説であり存在しないと。それでも、まだ希望を託した。蜘蛛の糸に縋るように。  真剣な美咲の様子に、碧理は笑った。 「私は信じてる。だって、その方が、夢があるじゃない。それに、洞窟を目指さなきゃ、美咲や皆ともこんなに話さなかっただろうし。私は新しい出会いがあっただけ嬉しいよ。探すだけ探そう。ここまで来たんだから」  皆が言うように、嘘でも迷信でもタイムリミットいっぱいまで探したかった。いつもの日常に戻る前に。この出会いに感謝して。  偶然出会った旅仲間とは、普段から話すことは無いに等しい。  美咲は引きこもり。慎吾は学校に寄りつかず、蒼太はクラスが同じだが親しい訳ではない。五人揃うことは、もうないだろう。  旅が終わると、また単調な毎日がやって来る。  学校へ行き、授業を受けて終わる平凡な日々。わかってはいるが、碧理はもう少し、この仲間と一緒に居たかった。  高校最後の夏の思い出に。 「……よし。なら電話するわ。だから碧理も家に電話して」 「えっ……。なんでそうなるの? あんまり話に関係なくない?」  あんなにも連絡するのを渋っていた美咲が、吹っ切れたようにスマホを手に取る。  美咲は思い立ったら即行動する性格だ。電話をかけるのは決定事項だ。 「私も洞窟の奇跡を信じてみようと思って。新しい友達も出来たしね。それと、私はこの旅が終わっても碧理と遊ぶ予定だからよろしく。家にも遊びに行くから。お義母さん紹介してよ」 「……それはちょっと」  美咲の言葉は嬉しかったが、まだ新しい家族にどう接して良いのかわからない碧理は難色を示す。  その時、悶々と考えている碧理のスマホが音を立てた。 「あ……」  スマホを見ると「父」の文字が。  初めてかかってきた父親からの電話に、碧理が迷うようにじっと見つめる。 「碧理。出ないと捜索願い出されるかもよ。それでも良いの? ……私も電話かけてくるよ。お互い頑張ってみない?」  じっとスマホを見つめたままの碧理の肩を美咲が叩く。「頑張って」と励ますように。  そして、美咲も立ち上がり、スマホを見ながら碧理から離れていく。  あんなにも拒否して、不登校になるくらい三年も避けていたのに美咲は強い。そんな姿に勇気を貰いながら、碧理は鳴り続けるスマホの通話ボタンを押した。 「……もしもし」  固く緊張した声は暗くなった夏の空に消えていく。
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