19 八月九日、美咲と家庭教師

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 急に潮風が強まり体温を奪い出す。  吹きつける風に、全員が海へと視線を向けた。 「花火大丈夫かな? 風が強いと中止なんでしょ?」  碧理は暗くなる空を見ていると不安にかられた。  飛ばないようにと、急いでゴミをかき集め袋に入れた。 「このくらいの風なら大丈夫だよ。それよりも移動しよう。慎吾も翠子さんも寝ていないから眠いでしょ? 電車の仮眠じゃ落ちつかないよね」  蒼太が碧理の片づけを手伝い、ゴミを半分受け取る。  翠子は電車や移動に慣れていないらしく疲れているようだ。  花火は遠くからも見えるからと、蒼太を先頭に、賑やかな屋台を目指す。  すれ違う人々は、皆が笑顔で幸せそうだ。  色とりどりの熱帯魚のような浴衣を身に纏う女性達は勿論、家族ずれも多い。皆が楽しんでいる。  そんな光景を視界にいれながら、碧理は羨ましいと思った。  四歳の時に両親が離婚した碧理は、賑やかなお祭りに行った記憶がない。成長してからも、隣に住む瑠衣に何度か誘われたが、適当な理由を付けて断っていた。だから、実質、これが初めてのお祭りだ。  その光景を夢中で目に焼きつける。 「花木さん、お祭り好きなの? すんごいキョロキョロしてる」  美咲や慎吾、翠子達三人は揃って碧理達の前を歩いている。たまに足を止めて買い食いをしているのは、慎吾と美咲だ。それを翠子が呆れた様子で見ていた。  二人はまだお腹に余裕があるらしい。 「あ、うん。私、お祭りって来たことなくて……凄いね。見ているだけでも楽しい」  陽が落ちた世界は、暗闇の中、そこだけが煌めいている。  まるで、世界から隔離されたように。 「なら……帰ったらまた行かない? 十日後に地元で花火大会あるから……どうかな?」  遠慮がちに、碧理の様子を伺うように告げた蒼太の顔は少し赤い。照れているようにも見えるが、緊張しているのか手を強く握っている。  蒼太が誘った花火大会は、美咲が家庭教師と三年前に行った、地元で一番有名な花火大会だ。 「え……。あの、行きたいけど、私と一緒で良いの? バスケ部の友達とかは?」  素直に「行きたい」と伝える碧理に、蒼太は嬉しそうに笑った。 「花木と一緒に行きたいんだ。……二人で」 「えっ……?」  てっきり、またこの五人で行くとばかり思っていた碧理は、いきなりの蒼太の言葉に驚いた。そして、その意味を噛みしめて恥ずかしそうに俯いた。 「ダメかな……」  そんな碧理の姿を見て、蒼太が沈んだ声を出す。  誤解させたと感じた碧理は、慌てて顔を上げた。その顔は林檎のように真っ赤になっている。 「行きたい! 私で良いなら行きたいな」  全力で碧理が伝えると、蒼太は顔をほころばせた。  そんな二人の甘い空気は、遠くから見守っている三人にも伝わる。  美咲は「早く付き合えば良いのに」と小声で囁き、慎吾は美咲に「余計なことは言うな」と小言を言っている。翠子は「素敵です」と目を輝かせ拝むように手を合わせた。  初々しい二人の姿ににまついていると、美咲はふと視線を露店に向けた。 「ねえ。あそこでおもちゃの指輪買おうよ。記念に!」  目に入ったのは、縁日に良くあるおもちゃばかり取り扱っている。  そこで見つけたのは、プラスチックのおもちゃの指輪。  銀色のリングに石の色だけ違っている。  小学生以下の子供がメインターゲットだろう。そこに高校生の碧理達が引き寄せられる。女、三人ではしゃいでいる後ろで、男二人が呆れたように見守っていた。 「いらっしゃい。お嬢さん達。その指輪にイニシャルも彫れるよ。十分あれば出来るからどう?」  目を輝かせている女子三人に、愛想の良い店の主人は声をかける。 「名前彫れるの? それ凄い。記念に三人で買おう。あ、石の色はね……それぞれが好きな人の色ね」  男二人に聞かれないように、美咲が声を潜めた。 「えっ? 好きな人の色?」  碧理が何のことかわからずにいると、翠子が短く声をあげる。 「私はわかりました。名前に入っている色ですね」 「そうよ。翠子は赤谷の赤。碧理は森里蒼太の青。そして私は黒よ」  どうやら、美咲はまだ黒川健人が忘れられないらしい。吹っ切れたように見えたのは強がりだったようだ。 「碧理……。何よ、その顔。別に良いでしょう」  碧理の気持ちをよんだのか、美咲が頬を膨らませる。 「何も言ってないじゃない。それに良いんじゃない。私も失恋したら引きずるもん。帰ったら残念会しよう」 「……碧理。自分は上手くいくからって。絶対に私も頑張るんだから。おじさん、この三つ頂戴。それと、イニシャル彫って欲しいな」 「まいどあり! 紙にイニシャルと、どの石に彫るか書いて」  美咲が紙を受け取り代表して書いていく。  どうやら、機械ですぐに彫れるようだ。十分待つと、それぞれの指輪を渡された。 「お嬢ちゃん達、指に合うか合わせてみて。今なら調整出来るから。おもちゃの指輪は簡単に大きさ変えられるからね」  どうやら、調整出来る機械もあるようで、今の縁日は凄いと三人は心の底から喜んだ。そして、受け取った指輪をその場で嵌めて歩き出す。 「可愛いです。おもちゃの割にしっかりした作りですね。大切にします」  右手の薬指に合わせた翠子は始終ご機嫌だ。  どうやら、この指輪で疲れも吹っ飛んだらしい。  美咲も満足な様子で小指に嵌めた。そして、碧理もまた左手の薬指に指輪をする。 「何で、翠子が薬指で、お前ら二人は小指なんだ?」  慎吾が不思議そうに聞いてくる。 「あら、赤谷。これ、指によってそれぞれ意味があるのよ。所説はいっぱいあるけど、翠子の右手薬指は心の安定や恋を叶えるため。私達の左手小指はチャンスと恋を引き寄せるためよ! ……碧理は翠子と同じでも良いと思うけどな」  にやにやと笑みを浮かべる美咲を見て、碧理は何も言えないくらい顔を赤く染めた。傍にいる蒼太に余計なことを言うな。と言うように。  男子二人は、指輪の色に気が付いていないようだ。それぞれが好きな人の色を選んだことに。 「あ、あそこじゃないか? 元民宿って」  しばらく五人で歩くと、屋台を抜けて海の側までやってきた。  海沿いに建てられた家々の中で、趣のある和風建築に五人は足を止める。  立派な門に、建物の周りは中が見えないように囲われている。元民宿と言うよりは、由緒正しい旅館の造り。  思っていたよりも厳かな日本建築に、五人の歩みが止まる。 「えっ……。紹介されたの、本当にここ? かなり立派なんだけど……間違ってない?」  美咲が蒼太や慎吾に不安げに確かめる。  どう見ても、高校生が泊まるにはハードルが高い。  誰かに聞こうにも、なぜかこの周りに人がいない。そして、他のお店は全部閉まっていた。 「……だよね。スマホで調べた宿と何か違う気がするなあ。でも、他は民家や飲食店、雑貨屋しかないし、ここかな?」  蒼太もスマホを片手に困惑気味だ。  周りを見渡しても、この場所だけ異質に思えた。まるでタイムスリップしたように、この建物だけ周りから浮いている。 「ここで話し合っていても仕方がないから中に入ろうぜ。間違っていたら戻れば良いだけだし。行くぞ」  物怖じしない慎吾は、率先して歩き出した。  インターホンが見当たらないので、普通の家には到底あり得ない立派な門をくぐる。  敷地内に入ると、手入れの行き届いた和風庭園が広がっていた。 「凄いね……。私達、場違い感が半端ないんだけど」  美咲の言葉に、碧理や蒼太は同意する。  だが、翠子は慣れているようで、庭の説明をしてくれた。 「素晴らしいお庭ですね。今は滅多に見ることが出来ない鹿威しや岩灯籠もありますし、木々の剪定も丁寧ですわ」  さすがはお嬢様だ。碧理達が歩いている、敷岩の説明までしてくれる。  庭に圧倒されていると、玄関へと辿り着いた。  そして、躊躇する暇もなく、慎吾が豪快に戸を開けた。 「すみませーん。ごめんください」  大声で中に呼びかける慎吾の声に、すぐに反応が返ってきた。 「はーい。どなた?」  中から出て来たのは、三十代と思われる女性。  髪を一つに纏め、黒いワンピースに白いエプロンをつけている。どうやら料理中だったようだ。  その女性は碧理達の姿を見て、とても驚いている。
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