21 八月十日、始まった約束

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21 八月十日、始まった約束

 次の日は、朝からどんよりと厚い雲が空を覆っていた。前日までの晴天が嘘のようだ。  天気予報ではお昼から雨。 風も強く、そして何よりも蒸し暑い。  雨が降る前の独特なジメジメ感は、慣れない旅をしている碧理達の体力を奪って行く。 「……嫌な雨だな」  時刻は朝の五時。  早くに目が覚めた碧理は、まだ寝ていた美咲と翠子を起こさないように部屋を出た。そして海に向かった。  宿から道を挟んですぐが海だ。  昨日まで穏やかだった青い海は波だっていて、近づくのを躊躇するほど。まだそこまで危険ではないが、気を付けるにこしたことはない。 しかも建物が何もない場所は遮る物がなく、突風が砂を舞い上げる。  碧理はまだ迷っていた。  紺碧の洞窟に願うかどうかを。  海から離れた安全な砂浜に腰を下ろす。  白い砂浜は観光名所としても有名だ。土産物店では砂を瓶詰にして「星の砂」と名売って販売していた。  その砂を碧理は手で掴んだ。粒子は細かく、指の隙間からすぐに流れ落ちてしまう。  砂を何気なく見ていると小さな貝殻を見つけた。  白い巻き貝や割れた貝殻は、迷っている碧理の心を穏やかにする。 「可愛い。写真撮ろう」  思い出にと、右手に砂と小さな貝殻をのせて、左手にスマホを持つ。慣れない片手での撮影に四苦八苦していると、後ろからシャッター音が聞こえた。  驚いて後ろを振り向くと、いつの間にいたのか、蒼太がスマホを手に立っている。  どうやら奮闘していた碧理を撮ったようだ。 「森里君。勝手に撮らないで……。知らない人だったら警察に通報する所だよ」 「ごめん。一人で何やっているのか気になって。あ、そのままでいて。もう少し近くで撮るから。貝殻を映え風に撮れば良いんだよね?」  碧理のやりたいことがわかったらしく、蒼太が隣に来るとスマホを構える。  すると何やら気にいらないようで、ちょこちょこ碧理に注文をつけていく。「貝殻をもう少し右」「明るさが足りないから手を前に出して」など。 「……慣れているね。森里君」 「よく弟達を撮っているからね。画像は花木さんに送っておくよ」 「ありがとう。可愛く撮れてる」  蒼太のスマホを覗き込むと、碧理が嬉しそうに笑った。  どうやら満足がいく出来だったようだ。  考えすぎて塞ぎ込んでいた気持ちが少しだけ晴れやかになる。 「……願い事するか決まった?」 「……まだ迷ってる。それよりも、森里君、どうして私がここにいることがわかったの?」  そのことを聞かれたくなくて、碧理は話題を変えた。 「起きて窓の外を見たら、花木さんが見えたから追い駆けて来た。慎吾はまだ寝てるよ。僕は枕が変わると眠れないんだ」  一人で海にいる碧理を見て、蒼太は心配した。悩んでいる碧理の気持ちを察して。 「美咲と翠子さんもぐっすり寝てた。昨日もいっぱい歩いたからかな。……森里君は一人になりたいって思ったことない? 誰にも会いたくない時とかなかった?」  碧理は聞いてみたかった。  友達もいっぱいいて家族関係は良好。いつも笑顔で幸せそうな蒼太に。 「あるよ。誰でもあるんじゃない? 俺は弟達が煩くて、良く一人になりたいって両親に言ったことある。お互い喧嘩もするし……でも、それが家族じゃない? 言いたいことが言い合えるって大切だよ」  蒼太の大人な考えに、碧理は目を丸くする。  今まで拓真と喧嘩をするなんて思いつきもしなかった。  顔を合わせないようにしていた碧理には新鮮な答えだ。 「僕が言うことじゃないけど、もう少しお父さんと話してみたら? そしたら少しずつ変わるかもよ?」 「……そうかな」  碧理は昨日の電話を思い出す。  心配してくれた拓真は、碧理と共に外食へ行こうと提案してきた。  そのことは長年顔も合わせない状態だったことを思えば奇跡に近かった。  今までの会話不足を一気に埋めることは不可能かもしれないが、碧理もまた、歩み寄る努力をする時が来たのかも知れない。 「僕の家、家庭円満に見えるかも知れないけど、五年前は酷かったんだよ。両親が毎日のように喧嘩してさ」  考え込む碧理に、蒼太が話し出す。  海を眺めながら二人が並んで座っていると、厚い雲の隙間から、少しだけ太陽が顔を見せた。二人を見守るように。 「森里君の家って共働きだったよね?」 「うん。今でこそ落ちついているけど、五年前から母さんが働き出して、最初は大変だった」  五年前というと蒼太は十三歳。  一番下の弟が六歳の時、小学校に入学すると蒼太の母は仕事に復帰した。  毎日、家事や育児に追われ、そこにフルタイムでの仕事。最初は何とかこなしていた蒼太の母にも限界が訪れて爆発する。 「よく聞かない? 夫が何もしなくて、妻が一人で全部背負い込んで切れる話。それ、僕の母親。あんなにブチ切れて大泣きした母さんを見るのが初めてで、子供心にショックだった」  苦笑している蒼太だが、一時は離婚危機まで母親は追い込まれた。  それを何とか回避するように頑張ったのが蒼太だ。 「毎日帰ったら弟達と協力して掃除や洗濯ものを片づけたりして頑張った。それに料理も」  確かに廃校でカレーを作った時、蒼太は手際が良かった。  あれは、そういうことがあって培われた技術なのだと碧理は納得する。 「今は父さんも料理をするまでに成長したんだ。……本人がやる気を出せば変われるよ、花木さん」 「そうだね……。そうかも知れないね」  逃げてばかりいたのは拓真だけではない。碧理も同じだ。その事実が突き刺さる。 「そうだよ。それに、僕の癒しは部活と図書室に行く時。そこで花木さんと話すようになって……嬉しかった」 「……えっ?」  碧理は緊張した。  まさかここで自分が出てくるとは思わなかったから。 「僕が図書室に行く時って、家に帰りたくない時が多いんだ。だって、家に帰っても弟の世話に家事。さすがに嫌になるよ。花木さん、最初はぎこちなかったのに、話すようになったら気になって仕方なかった」  碧理の頬が赤くなる。  話す内に気になったのは蒼太だけではない。碧理も同じだ。  同じ気持ちだったことが嬉しくて、碧理は恥ずかしくなり目の前の海をジッと見つめた。  そして、勇気を出して言葉を紡ぐ。  逃げないで伝えようと。 「私もだよ。……私も森里君と話すようになって、図書室に行くのか楽しみになったの」  碧理がそういうと、蒼太も照れたように手で口元を覆う。  どんよりとした荒れている海とは違い、二人を包む空気は初々しいほど新鮮で生温かい。  見ている人がいたら、チョコレートより甘くて溶けてしまいそうだと言うほどに。  しばらく二人とも黙り込んだ後、蒼太が緊張しながら口を開く。 「花木さん。俺と付き合わない? けっこう……ううん。凄く好きなんだ」
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