21 八月十日、始まった約束

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「――えっ」 「だめ……かな?」  いきなりの蒼太の告白に、碧理は驚きすぎて言葉を紡げない。  その沈黙の時間が蒼太を不安にさせた。  肩を落として項垂れる蒼太に、碧理は勘違いしていることに気づく。 「ち、違うから! だ、だめじゃない! 私も……森里君のこと、気づいたら好きになっていたから」  顔を真っ赤にさせた碧理は、恥ずかし気に海へと視線を戻した。  まさかの展開に頭がついていけないからだ。  海は大荒れだが、二人の空気は甘いまま。  しかも、お互いに照れてしまってどうしようもない。 「花木さん。……僕も出来る限り協力するから願い事は止めてくれないかな? だって、この記憶が無くなったら……悲しい。それに、また……僕の片思いになってしまうから」  神妙な面持ちで、蒼太が碧理の手をとる。その手は震えていた。 『願いが叶うと、記憶を一つ失う』  管理人である榊は、どの記憶を失うかまでは言っていなかった。  皆で過ごした、この三日間の記憶ではないのかも知れない。でも、この記憶なのかも知れない。  碧理は、この三日間の記憶を失ってまで自由になりたいとは思わない。なぜなら、かけがえのない仲間が出来たから。  碧理は、蒼太の願いに頷いた。 「――わかった。願いは止める。皆で帰ろう」  あんなに悩んでいたのに、ずっと我慢していた思いは、蒼太に癒され仲間に救われた。 「良かった」  晴れやかに蒼太が笑った。  屈託のないその笑みは、碧理に向けられた後、その後方へと注がれた。 「……なんで」  途端に蒼太が顔を手で覆った。  不審に思った碧理が後ろを見ると、なぜか美咲、翠子、慎吾がいる。  三人共、にまにまと生温かい視線を碧理と蒼太に向けながら。  いつの間にか三人が来ていて、一部始終を見ていたようだ。 「良かったね! 上手くいって。起きて碧理がいないから焦ったよ。……洞窟へ行ったんじゃないかって。慌てて翠子と赤谷を起こして窓の外を見たら、森里といるから急いで来たんだ」  美咲が二人の元へと走って来ると、思いっきり碧理へと抱き付いた。  嬉しそうな笑みを浮かべる美咲は、自分のことのように喜んでいる。 「おめでとうございます。二人は付き合うと思っていました」 「まあ、最初からお互いの気持ちは駄々漏れだったけどな」  翠子と赤谷も嬉しそうだ。  そんな三人とは反対に、碧理と蒼太は居心地が悪そうにしている。いきなりの祝福に頭がついていかないらしい。 「これで皆、帰れるね。残りの夏休みも楽しみ。皆で勉強しよう」  美咲がこれからの予定をたて始める。 「それは帰ってからだな。一番早い電車で帰ろう。朝から親の電話で俺はもう面倒だ」  慎吾の手にあるスマホを見ると、着信履歴が凄まじいことになっていた。  このままでは警察沙汰だ。 「皆、荷物を纏めよう」  蒼太がそう言うと、各自が頷いた。  告白され両想いになった余韻も一気に消え去る。  そんな時、碧理は気づいた。翠子の膝に血が滲んでいることに。 「翠子さん。足どうしたの? 血が少し出てるよ」  爽やかな青のチュニックに白の膝丈のスカート。ファストファッションに身を包んだ翠子は、自分の膝を見て苦笑した。 「さっき、そこで転んだんです。でも、少し血が出ただけなので大丈夫ですよ」 「……痛そう」  碧理は自分の服のポケットを探る。  そこには、一枚のハンカチがあった。  廃校でサラダを作っていた時、包丁で怪我をした。その時、蒼太が貸してくれたハンカチだ。角に猫の刺繍が入っている。 「あ、森里君。このハンカチ貸してあげて大丈夫?」 「大丈夫だよ。痛そうだね、翠子さん」  昨日、寝る前に管理人の榊から、乾燥機つきの洗濯機を借りていた。 綺麗に洗ったハンカチは、朝、起きると碧理の枕元に置いてあった。榊がアイロンをかけてくれたらしい。  それを翠子へと渡す。  だがその時、なぜか突風が吹きつけ、碧理の手から離れるとハンカチが舞い上がる。それは意志を持っているように、ふわふわと弧を描き海へと飛んで行った。  荒波が押し寄せる波打ち際へと。 「――あ」  失くしては大変だと碧理はすぐに走り出す。  蒼太のハンカチを捕まえようと、荒れ狂う荒波の方へと。  上ばかり見ている碧理は気が付かない。  足首まで海水に浸かっていることも、その行為がどれほど危険だと言うことかも。 「花木さん! 危ないから戻って――碧理!」  美咲と翠子の悲鳴に混じって、蒼太の切羽詰まった声が碧理の耳に届いた。  だが、その瞬間、黒い高波が碧理をのみ込んだ。 そのまま海の中へと引きずり込む。  さっきまでは、陽の光がわずかにあった。だが、今は雨がぽつりぽつりと降ってきて、辺りはまるで夜のようだ。 「花木! 二人は誰か呼んで来い。蒼太戻れ!」  慎吾が翠子と美咲に声をかけた。  碧理を助けに海の中に入ろうとしている蒼太を、慎吾が必死で止める。  そんなことは何もわからずに、碧理は冷たい海水に飲み込まれたまま意識を失った。
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