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第十章 償い
霞城 珠瑛琉が何よりも頭にきたのは『この学園は最悪』という言葉だった。
自分だけじゃなく、お母様が大切にしている学園を悪く言われた。更に、そこまで言った長峰は、この学園の生徒では無いという。
(じゃあ何なのあいつ!?ただ引っ掻き回しにきただけなの?どれだけ迷惑な奴なの!!)
彼女の周りには、常に付き従っている者がいる。彼らは命じられるまま、霞城に段ボール箱を渡した。
中から微かに「ミィミィ」と鳴き声がする。それはあまりにも儚く哀しげだった。時々箱が揺れ、一度はぴょんっと飛び出そうとした。蓋を抑え、ぎゅっと閉じ込めた・・・その時の霞城は、普通ではなかった。
驚くほど無感情で、表情を失っていた。色の無い唇で呟き続けた。
「思い知らせてやる、思い知らせてやる・・・」
学園の裏口から出て、橋へ・・・いや、川へ向かった。足取りは泥沼を行く様に重い、だが引き返す選択肢は無い。心の中から響いて唇をつく声が、どうしても足を止める事を許さなかった。
橋の中央に辿り着いた。赤い欄干に身を寄せるようにして、真っ直ぐに川に目を向けた。両手を前に伸ばした。さっきまで自分の胸でカサカサと音を立てていた・・・それが、随分と遠くに離れたと感じた。
パッと両手を開くと、箱はあっけなく落ちていった。力なく真下に目を向ける。思った以上川の流れは早い、小さな箱はあっという間に見えなくなった。
(終わった・・・)と感じた。
目的を達成して、意気揚々と・・・とはならなかった。さっき以上に重い足取りで、どこへとも無く歩き出した。
『霞城が動いた』と報せを受けると、るりあはにやりと笑った。
『4時間後に決行。大丈夫?』
『ああ、どいつもこいつも暇だからな』帝からの返信はすぐだった。
るりあは鼻歌を唄って、くるりと回った。学校へ行くのはやめにして、霞城と違いはっきりと目標を持って歩き出す。
2〜3時間、霞城は繁華街をうろついた。ブティックを巡り服を物色しても、ゲーセンに入っても気が晴れる事は無かった。昼食を食べる気にもなれなくて、ただイラついて髪をぐしゃぐしゃにした。
時折スマホが鳴った。でも流れてくるのはメルマガばっかりで頭にきた。道路に投げつけてやろうとした所で、またプルプルした。
相手が下谷だったので少し嬉しく思ったが、ただ画像を送ってきただけだった。
誰か知らない人物があげた画像。風景からこの街だと知れる・・・能天気な散策日記で興味も湧かない。
だがその人物は、河川敷に立ち入った。赤い欄干の橋の下流域は、広い浅瀬となっている。そこで何かを見つけた。
『あ〜猫ちゃん死んでる〜可哀想〜』
というコメントと共に添付された、白い子猫が横たわる画像。学校の備品の空き段ボール箱が見切れている。
次に上空を映し出した画像。
『カラスとかいるし、食べられちゃうのかな(泣き)』
着かず離れずで霞城に従っていた男は、お嬢様が急に走り出したので少々慌てた。どこに向かうのかと後を追ったら、学園に戻った。しかし校舎では無く、彼が良く知る用務員室横の倉庫へ入った。
出てきたと思ったら、お嬢様は金色のスコップを抱えていた・・・明らかな違和感を覚えた。
(スコップって案外重い・・・)
霞城はイラついた。しかし、手の物はどうしても必要だし、どうしても河川敷に行かなければならない。
川沿いの道を進むと、下流に行くに従って土手が広がる。道は土手の上に伸びて、浅瀬の下流域を見下ろす形になる。
今は午後2時位。もう少し時間が経つと、小学生が残暑に涼しさを求めて遊びに来て鬱陶しくなる。
(多分この辺り・・・)
記憶をあの画像と重ねてみる。子猫は水際にいた筈・・・土手を降りて、靴が濡れる辺りまで川に近づいた。視界の先に、放置された粗大ゴミが入った。何故か横長のソファが川に向いて配置されている。
(あんな物は画像に無かった。だから、やっぱりこの辺りのはず)
そう思った時、例の空き段ボール箱を見つけた。身体が反射的に飛び出した、バシャバシャとくるぶしまで水に浸った。
空き箱の隣に子猫の死体は無かった。呆然とびしょ濡れの箱と靴下を見つめる。
気が抜けて、手にしたスコップを水の中に落とした。拾う気力が出なかった。
川に入った状態で、岸に目を向けた。誰かが呼ぶ声がしたからだ。粗大ゴミのソファに誰かが座っている。
良く知ってる顔が立ち上がって、こっちに手を振っている・・・その手に下谷のスマホがあった。
「霞城さ〜ん!何してるの〜!!」
舌打ちをした。霞城はどうやら、るりあにおびき出されたらしいという事に気づいた。
時間は午後1:30頃、学園の生徒達のスマホに動画が送られていた。
最初は下谷のスマホから、番号の知れる生徒達へ。そこから拡散して、ほぼ全校生徒へと広まった。
霞城が子猫の入った箱を川に捨てる姿を捉えた画像・・・長峰だけでは無く、多くの生徒がショックを受けた。
口々に彼女を悪く言う。『いじめっ子』『女王様気取り』『ヒステリー親子』留まるところを知らない。
清香も千里と奈緒に相談して、女子寮にいる長峰にも伝えることにした。それでも清香は、霞城を悪く言うことには躊躇いを感じて、あやふやな文章で送信したのだった。
長峰は寮の裏で打ちひしがれてしまう。
例の『子猫が水際で横たわる画像』も、更に追い打ちをかけるように送られてきた。最早、意識を失いかけていた・・・胸が締め付けられて、眩暈がして。最後に、るりあからのメッセージが届いた。
『酷いよね。もう許せないよね。私が、きちんと償いをさせるからね』
午後2時。るりあは、長峰が全ての画像を目にした頃合いを見計らって、自身のスマホからメッセージを送信した。
神妙な表情でスマホを見つめる。予想通り、長峰は返事も出来ないらしい。
(遥の気持ちを思うと心が痛む・・・でも、もう少しなんだ!)
「随分と回りくどいやり方だな」
ソファ席を共にする帝は、相変わらず皮肉めいたセリフを吐く。
「仕方ないの。これでさすがに遥も納得する・・・どうしても、遥にだけは分かって貰いたいの」
るりあは振り切った風に立ち上がり、スコップを落とした霞城へ手を振った。
「子猫探してるんでしょ?安心して、私がもう埋めといたからさ・・・しかし自分で死なせといて、いい気なもんだね」
鼻で笑ってやがる・・・霞城はぎりぎりと歯をくいしばった。
「気持ちは分かるよ〜本当は気の弱い人だもんねぇ〜化け猫に祟られたくないよねぇ〜」
霞城はるりあを睨み、その横で横柄に座っているダサい帽子の男を見て、ようやく確信した。
(変な奴らとつるんでやがる。やっぱり何もかもあいつの仕業なんだ)
粗大ゴミの後ろにも、何人か男がいる。やたらにすらっとしたヤサ男ばかり。
(特に金髪を風になびかせてる奴。なにカッコつけてんだか。ゴミの横でアホみたいに)
霞城の心の声が聞こえたのか、康太グループが川岸に歩み出した。それに呼応するように、土手を駆けて5人の男が現れた。遂に姿を現した、霞城 珠瑛琉を守護するボディガードだ。用務員の作業着で、屈強な肉体を覆う男達。躊躇なく川へ長靴で入り、お嬢様を囲んで星型の陣形を取る。
「げぇ〜」気持ち悪そうにして、康太グループは川から引き返す。
ボディガードに囲まれて、霞城はにやりと笑う・・・だが、るりあもまた愉し気に笑うのだった。
彼らが向かい合う川岸の対岸の土手に、帝の悪友2人がいる。彼らは帝から、スマホで合図を受けた。土手の反対側へ向かい、大声で叫びながら腕を振り回す。
すると、1人また1人と素行の悪そうな若者が現れた。最終的に、対岸の土手は30人以上で埋め尽くされた。
各々が金属バットや鉄パイプを手にして、雄叫びを上げる。昼日中の河川敷は異様な光景に包まれた。
ボディガード達は対応して陣形を変える。お嬢様の背後に廻り、扇型に広がった。隠し持っていた短い警棒を握り締め、臨戦態勢を整える。
霞城は再び歯を食いしばって、るりあを睨む。るりあの顔からも笑顔が消えた。
帝がダルそうに腕を挙げる。しかし、態度とは裏腹な怒号を轟かす。
「ヤレーッ!!」
激しい水飛沫を飛び散らせ、若者達の先陣がボディガードに襲い掛かる。
この逞しい男達は、やはり各々が精鋭であった。接触した途端に、数人の若者達は弾き飛ばされる。2〜3人に囲まれた程度ではビクともしない。やたらに殴りかかる若者達を冷静に見据え、短い警棒で急所を捉えて倒す。
しかし、ボディガード達にとって想定外だったのは、若者達が仲間では無いという点だった。第2陣、3陣が戦場に至る頃にはそれがはっきりとする。こいつらは、他の若者が前にいても構わずに鉄パイプを振り回し、岩を投げつける。水中に倒れた奴を足蹴にして向かってくる。卑怯卑劣も念頭にない。倒れた振りをして水中に潜み、ナイフですねを切りつける。
互いに背を庇い、円形の陣を取ろうとする。だがそれも、誰か頭のいい人間が想定していたようだ。若者達の内、数名はロープを手にしていた。闘わずにボディガード達の間をかいくぐり、ロープを彼らの間に通していた。水中に隠し、頃合いを見て引き上げる。ロープを数人で引き、ボディガード達の動きを封じる。
次第に戦局ははっきりしてきた。如何に屈強な男達とはいえ、まさしく多勢に無勢・・・2人3人と川底に没してゆく。
倒れたと見ると、引き摺って運ぶ。既に骨折、内臓破裂多数の体をブルーシートでぐるぐる巻きにして、対岸に転がす。辛うじて命はあるが、ピクリとも動かない・・・さながら、打ち上げられた鯨の如き塊が4つ出来上がった。そして最後の一人も虫の息だ。抵抗する腕に、もう力は込められていない。
喧騒は収まりつつあった。この間ずっと、2人の制服姿の女子は睨み合い続けていた。
最初に沈黙を破ったのは霞城の方だ。
「ねぇ知ってる?あんたって、わざわざ『いじめ』られる為に入学させられたんだって。笑うよね?学校公認の『いじめられっ子』てさ」
るりあは首をひねるような動作をしてから、平然と言葉を返す。
「う〜ん、でもさ・・・それに乗っかっちゃう人もどうなんだろうね?」
霞城は黙ったまま、苛立ちを露わにしてゆく。
「ママの思った通りに勉強して、ママの思った通りの学校入って、ママの思い通りに『いじめ』する・・・何て言うか、もうお人形さんだよね」
るりあの口調は軽い。自分の言葉に満足する様に、笑みを浮かべた。
「もっといい例えがあるか、そう・・・『ロボット』とか」
「お前ぇ〜!!」
遂に怒りの形相を露わにし、るりあに襲い掛かろうと踏み出した。その霞城の目前に、すらりとした長髪の男が割って入った。
彼は霞城の背に手を回し、腰を抱き寄せる。続いて顎を撫でくいっと持ち上げる。この間、動きに全く淀みが無い。恐ろしい程女の扱いに慣れている。
霞城が我を取り戻した時には、顎を掴まれ無理矢理口を開けさせられていた。いつの間にか、彼女を取り囲んでいた康太グループの他のイケメンが、薬の小瓶を取り出す。抵抗の隙なく、それを口へ喉へと流された。
事が済むと彼らはすーっと離れる。水に濡れた靴を振るいながら岸に上がって、ソファの背に寄り掛かる康太の元へと戻ってきた。
「くそっ!くそっ!何飲ませた!?」
視界がぐにゃっと歪む。上も下も右も左も分からない。脚がいうことを訊かなくて、何度も水面に身体が落ちてしまう。
一人で水飛沫を上げながら、霞城はもがき喚く。
「大丈夫、大丈夫、死にはしないからさ・・・えと・・・だよね?」
るりあは霞城のあまりの窮状を目の当たりにして、僅かに疑問を持たざるを得なかった。
「楠の話ではな。あいつは変な薬作るのが趣味で・・・前のゲロ薬とか。まぁ間違い無いだろ」
帝の返答も適当だ。でも、考えてみればどうでも良い事だった。
「ねぇ霞城さん!私に何か言う事あるよね!本当は思ってるんだよね?『いじめ』なんていけない事だって、反省してるんだよね!?」
「ああ〜なに言ってんだぁぁぁ・・・」
川底の石に片手を着いた姿勢で、るりあの声の方を睨みつける。
「だからさぁ、謝ってよ。そしたら許してあげるからさぁ」
るりあは、わざと甘ったるい声で呼び掛ける。それが逆に相手をムカつかせると心得ている。
「気ィ狂ったこと言ってんじゃねぇよ!るりあー!!」
「あははははっ!気ィ狂ってんのそっちじゃん!自分の立場分かってんの!?」
バシャバシャと音を立て、るりあが川へと入ってゆく。
「霞城ーーーーーーっ!!!」
最後のボディガードが岸に打ち上げられた。ここまで彼はよく持ち堪えた。彼がいなければ、猛り狂った若者達の誰かが、霞城に襲い掛かっていたかも知れない。彼のおかげでそうはならなかった。
川の浅瀬では、女子高生2人が争っていた。互いに髪を引っ張り、ポカポカと殴り合う。
その様子を第三者的に眺めて、若者達の殆どが・・・
「なんだいあれ?まるで子供のケンカだね」と言う康太と同じ感想を抱いた。
ソファの背から身体を起こし、グループのメンバーに『行こう』と合図する。
「冷めるね。僕達は手を引かせてもらうよ」
「ああ、悪かったな・・・」
帝は少女達をぼんやりと眺めている。
るりあが霞城の後頭部を掴んで、顔を水に浸す。数秒開けて、霞城が苦しそうに顔を上げる・・・それを繰り返していた。やはり薬の効果が大きい。霞城の身体は大きな人形のようだった。るりあの叫びが響く。
「手ぇついて謝れよ!!許してやるって言ってんだろ!?」
「だ・・・れが、お前なんかにぃぃぃ」
恐らくそれは彼女の最後の意地だ。今、現実に命の危機だと分かっていても、認められないものが心にあった。
「いいのかい?あれじゃ本当に殺しちゃうよ」
康太は帝の背中越しに眺めていた。
彼はどう思っているのか?表情を見ようと覗き込むが、サングラスで隠してる。
「まぁ死体の処理くらいはしてやるさ」
「なんだって!?」
帝の返事に康太は素で驚いた。
「本当は殺したいのさ。『いじめ』が始まって2年以上、あいつの毎日は地獄だったんだ・・・その原因があの女なんだ。『許してやる』なんて口では言っちゃあいるが、本当は謝って欲しくなんか無いのさ。殺しても殺し足りない程憎いのさ」
「へぇ〜へぇ〜驚いたな。るりあって子に本気なんだ・・・君がそんな気になるなんて事、もう無いと思ってたよ」
茶化す様な口振りにちょっとイラッときた。康太のジャケットの内ポケットに、ある物を見つけて抜き取った。彼が女の子を脅す時に愛用している写真だと知っていた。血みどろの女性の写真・・・
「これお前ん家の隣のよっちゃんじゃねぇか。血はトマトジュースか?変な事に協力して貰うなよ」
「それが結構ノリノリでさ。出来も綺麗だって喜んでたよ・・・ところでさ」
康太の瞳に真剣な色が指した。
「あの学園の事が詳しく分かったら教えてくれよ。僕もあそこのOBとして、知る権利があるだろう?」
「ああ勿論だ。そうゆう条件で協力して貰ったんだしな」
ふっと笑うと、康太は帝に分かれを告げる仕草をした。
一人が動くと、他の者達も従う。康太と彼のグループが土手を登って行くのを見て、他の若者達も『帰っていい』と判断した。
結局彼らは金を受け取って集まっただけの集団で、仲間意識は皆無だ。それでも方向が一緒だから、土手の上の一本道に列が出来た。モラルに欠ける彼らは、道いっぱいに広がってずらずらと歩く。康太は、図らずもその先頭に立っていた。
彼の涼し気な瞳が、遥か先の人影を見つけた。午後の穏やかな光の中を、制服姿の女子高生が一心不乱に駆けてくる。
長い髪を風にたなびかせ、きらきらとした汗を空に舞わせて、はっはっと短く息を切らせながら。
彼は後ろを向いて、声を掛けた。
「お〜いみんな〜道を開けてやろうじゃないか!」
康太がすっと身体を道の端に寄せて、道に対して正面を向く。他の者もこれに従う・・・すると、素行の悪そうな若者達によるプロムナードが出来上がった。
彼女は眼鏡の奥の瞳を真っ直ぐに前に向けて、彼らの真ん中を走り抜ける。
「正義のヒロインの到着だ」
長峰の後ろ姿を見送る康太の瞳は、何故だかとても輝いていた。
終焉を、独り残った彼は感じていた。だんだんと水飛沫が上がらなくなってゆく。霞城の体力が限界を迎えている。
はーっと溜息をつく。帝自身、死体の処理を担当してはいるが殺しの経験は無い。人殺しになったら、どんな人生が待つのか想像出来ない。
だから、るりあの復讐に乗り気では無かった。だが、決着をつけなければならない事もあるのだと知っている。
(せめて俺がとどめを刺すとか・・・)そんな考えが過った時、事態が急変した。
霞城は人形を通り越して、ただの棒の様になっていた。まるっきり無抵抗で水に顔を浸けられても、数十秒動かない。
『死んだ?』と思う頃に、ろうそくの残り火の如く力を振り絞って顔を上げる。でもその後、また無抵抗に沈められる。
狂気の笑みを、るりあは絶やさない。霞城のあがきを愉しむ様に、何度も棒っ切れの先を水底に押さえつける。
(・・・30秒、40秒これまでで最長記録・・・50秒、さすがに終わった?もうすぐ1分になる!)
ドンッ・・・横から突き飛ばされた。そんなに強くでは無い。痛い程じゃない。でも、るりあは悲鳴を上げそうになった。
自分を突き飛ばしたその手が、水底に沈む身体を抱き上げた。彼女は自らもびしょ濡れになりながら、霞城の身体を必死に支える。霞城が水を吐き出し、彼女はそれを頭から被った。
「なんで!?なんでだよ!遥!!」
長峰は顔に滴る水に不快感も顕さずに、静かに口を開いた。
「るりあ、これは違う。違うよ」
「なんで?動画見たんでしょ?ここに来たんだから見てる筈・・・そいつのしたこと、全部分かってるんだよね!?」
霞城の身体が痙攣している。早く岸に寝かさないと・・・長峰はるりあに背を向けた。
「そいつがミチカを殺したんだよ!ミチカの為にも償いが必要でしょ!?」
「・・・違う」
「なにが違うって言うの!?命のことは、命でしか償えないじゃん!!」
振り返った長峰の瞳に、炎が滾った。
「猫の子の命と、人間の命は違う!」
「違わないよー!!命の重さはおんなじじゃん!たった一つの命じゃん!!」
「違う!!」
それを最後に、長峰はるりあに顔を向けはしなかった。石ころのない芝生を選んで、霞城の身体を横たえる。
(それはどういう意味?人によっても命の価値が変わるって言うの?貧しい家の子は、命の価値も低いって言うの?)
るりあは両の拳をぎゅっと握った。
「酷いよ、遥」
小さな呟きは、長峰の耳まで届きはしない。るりあは大股で川から土手に向かっって歩き始めた。その後姿は、とても淋しく思えた。帝はつい皮肉を言ってしまう口を押さえて、るりあの数メートル後ろに着いて行った。
救急車に連絡はした。向こう岸に、何故か用務員さん達がみんな大怪我をして倒れている。
(助かるといいけど・・・)事情は知れないが、純粋にそう思った。
横たわる霞城の、身体の痙攣は収まったようだ。呼吸も落ち着いてきているし、取り敢えずは一安心だ。僅かばかり苦しそうな表情が見て取れた。顔を横に傾けると、口から水がすーっと流れ出した。
「ゴホッゴホッ」咳をして、霞城が上半身を起こした。
吐くようにして、口から・・・いや、肺から水を出す。全てを出し切ろうと、激しく咳き込む。その間、長峰はそっと彼女の背中をさすっていた。
水と一緒に、薬も吐き出せたのかも知れない。ようやく視点も定まってきた。霞城にはここまで一切余裕が無かった。目も耳もまともに機能していなかった。でも何故か、助けてくれたのは長峰に違いないと思っていた。
すぐ目の前に彼女がいる。霞城は反射的に目を逸らしてしまった。
「大丈夫?」とても優しい声、心からホッとさせられる。
「うん・・・」それに比べて自分は目も合わせられない、恥ずかしいことだ。
「良かった」伝わってくる。心から思ってくれてるって・・・
「あの・・・ありがとう」良かった、素直な気持ちを言葉に出来た。
「お願いがあるの・・・」なんだろう?意外な言葉だった。
霞城は改めて長峰に顔を向けて、ハッと息を飲んだ。
きっとした表情だが、瞳が揺らいでいた。大粒の涙がボロボロと流れ出して、眼鏡を押し流してしまいそうだった。
「叩かせて。ミチカの哀しみを晴らしてあげたいの・・・」
言葉なくゆっくりと頷いた。パンッてゆう音が響いた後、長峰は両手で顔を覆って泣き出した。
彼女を見つめながら思った。頬を平手で打たれたというのに、全然痛くなかった。ただ音だけが心の奥底まで響いた。
(この人は、なんて人なんだろう・・・身体じゃなくて、痛みじゃなくて、心に訴えてくる人)
途端に記憶が蘇ってきた。あの時、自分の胸元で小さく鳴いていた。怖くて、小さな手でカリカリと音を立てていた。明るい外に出たくって、必死で飛び出そうとしていた。
(小さくて儚い子猫・・・その命を奪ってしまった!私は、私はなんて酷いことをしてしまったの!!)
後悔の涙が押し寄せた。肺から出た水よりもっと勢い良く、もっと多く。
「ごめんなさい、ごめんなさい・・・ごめんなさあぁぁぁぁい!!」
翌日の学園では、多くの生徒達が昨日の出来事を引き摺っていた。
未だ霞城 珠瑛琉の話題は絶えない。更には河川敷で起きた暴力事件で、用務員があわや命を落としかけたショッキングなニュースも重なる。全ての元凶を彼女にみる噂が広がっていた。
勿論、3-Aの教室でも、あれこれ言う声は収まる気配をみせなかった。しかしそれは、副担任の朝の連絡で決着をみる。
「突然だけど、霞城 珠瑛琉さんが海外留学することになりました」
教室中がどよめく。田山先生は困ったような顔をするが、言葉には出さずに、静まるのを待った。
「急に決まっちゃって、みんなには挨拶も出来なくて残念だったと言ってたそうよ」
「うそうそ、居られなくなったのよ」そんなひそひそ話が聞こえる。
田山先生はうっすらとした笑顔に、悲しそうな色を示した。
「・・・なんか教室に空席増えちゃったね。なんだか寂しいね」
先頭の長峰も田山先生の視線を追って、後ろを振り返った。霞城の席を中心に左右と真後ろが空いて、教室にぽっかりと穴が開いてしまったようだった。
ふぅっと溜息をついて前を向く。その背中にやるせなさを醸し出した。
そんな長峰 遥を、廊下側の1番後ろの席で、るりあは穴が開く程見つめていた。
廊下で呼び止めると、長峰は戸惑いの表情を見せた。
「あの、遥。話がしたいんだけど」
「ごめん、るりあ。今は話せないわ」
「なんで?遥は、遥だけは何時だって私から目を背けないでいてくれたのに!」
「私の中に疑念があるの。それはもしかしたら、私の勝手な思い込みなのかも知れない。でも、どうしようもない」
「私を疑ってるんだね。いいよ、ちゃんと話そう!確かに私、いじめに仕返ししたいって思ったよ」
「・・・その気持ちは責められないわ」
「でも霞城のことはさ・・・それだけじゃないってゆうか、許されないことをしたでしょ?」
「許されない事なんかじゃない。彼女は心から反省していたわ・・・私はミチカも許してくれたって信じてる」
「命ってそんなに軽い?それとも小さい物には、小さい命しかないの?人間でもそうだと思ってる?」
「軽くない。だから奪っていい命なんて無い。理由が復讐なんだとしても」
「・・・分かった、やり過ぎたよ。は、反省するから・・・これでいい?」
「るりあ、私の疑念を確かめさせてくれるのよね」
息を飲んだ。長峰が自分を見てくれるのは嬉しい。しかし、真っ直ぐなその瞳はふつふつと・・・燃え滾るような輝きを帯び始める。
(これまでに何度か目にしてきた瞳だ。遥が絶対的な意志を示す時の瞳。それが私に向けられるなんて)
「あの動画を流したのは、るりあのスマホからじゃない。私にも直接では無かった」
「そうだよ。私もさ、別の人から流れてきたのを見たんだよ。それで、あの橋だって思って川の下流に向かったんだ」
「清香達に聞いたら、どうやら下谷さんのスマホかららしいって」
「ああ成る程ね、彼女休んでるもんね。暇潰しに動画送りまくったんだね」
「下谷さんは、ネットカフェでスマホを失くしたって言ってたわ」
「え・・・(なんで?康太グループが拾ってきて、好都合だから使ったけど。遥との接点って?)」
「だから下谷さんじゃない誰か。そして、あの動画は誰が撮ったものなの?」
「さあね、ストーカーでもいたんじゃないの?霞城って見た目だけはいいから」
「あれはハンディカメラで追った物じゃない。設置してあった隠しカメラの画像を編集したんだわ。
学園の裏門から出て、川の方向へ歩く。そして橋の真ん中から投げ捨てる、と予測して配置していた」
「それはつまり、何が言いたいの?」
「霞城さんがミチカのことを知っていたのは、用務員さんと仲が良かったから」
(仲がいいって言うのとはちょっと違うんだけどね)
「そして、その事を承知の上で霞城さんの行動を予測した。教室で追い込まれた彼女が、私に報復する為に何をするか」
(まいったなぁ必死でプラン練ったのに、全部見抜かれちゃったよ)
「るりあ。私には、あなたが霞城さんの行動を予想していたとしか思えない。
・・・これが私の疑念なの」
「それじゃあ、私もミチカを死なせる手伝いしたことになるね」
「違うわ。あなたがしたのは傍観よ。『いじめ』を傍観したクラスメイトと同じよ」
「・・・あいつらと同じ。私が・・・」
るりあの瞳が震え始めた。長峰の瞳を直視出来ずに目を伏せた。
「(私も言われたわ。立場が変われば『いじめっ子』になる・・・この問題に『答え』を見出すことは出来ないの?)私、理事長に呼ばれてるからもう行くわ」
(遥が後ろを向いてしまった。もう後を追うことも出来ない・・・)
るりあは激しく頭を横に振った。
(嫌だ!!)そして何かを決意して、廊下の反対方向へと走り出した。
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