第十一章 やり直し

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第十一章 やり直し

河川敷で暴力事件があった。その日の夜は、街中でパトカーのサイレンが鳴り続けた。 帝が身を寄せるバーも、今夜は閉店を余儀なくされていた。そもそも怪しい店だし、奥の部屋の2人を庇う意味もある。 灯りを消した中で、帝とるりあは互いのスマホを凝視していた。 康太グループ、そして2人の悪友も河川敷から直行で逃亡し、無事逃げ切れた様だ。帝は連絡を受けて安堵した。しかし、何人かの若者は検挙されたらしい。るりあが観るネットニュースが伝えていた。 「今夜中には、俺達も街を出ないとな。マスターにもこれ以上迷惑掛けられないしな」 るりあは彼に顔を向けたが、頷きはしなかった。 「捕まった人から、あんたの名前が出る?」 「そうでなくても、俺は少年院上がりだから真っ先にマークされるな」 「そっか、困ったね」 るりあの言葉は、どこか他人事だった。「お前だって、霞城から訴えられるだろ?殺人未遂だって・・・もう学校にも行けないだろ?」 「う〜ん」しかし、るりあには確信があった。霞城は絶対に、この件を表沙汰にはしないだろう。 「いっそ、どこか遠くに行くか?誰も俺達を知らない所で、2人で暮らすか?」 冗談半分で言いながら、帝の声は僅かに弾んでいる・・・と感じ取れた。そして、るりあは思った。 (面倒くさいな・・・) 「あ〜でも駄目か。楠から離れる訳にはいかねぇんだった」 帽子を鷲掴みにして床に叩きつけた。免疫を宿す注射器が、るりあの前に転がり落ちた。 「どうすっか・・・あいつを頼り、頼るとかかな。隠れる、匿われる・・・か」 ドサッとベットに倒れ込む。起きているのがしんどくなる。僅かにロレツが回らなくなる・・・この症状は。 (免疫が切れかかってる)生活を共にする内に、るりあは学習していた。 帝も当然感じている。ほぼ無意識に、帽子を探して腕を床に伸ばした。 注射器を、るりあの手が拾い上げた。彼のサングラスをもう一方の手で外して、目の前で注射器を揺らす。 受け取ろうとした帝の手へ、るりあはしかし、それを渡す事はしなかった。 「ねぇ私達、あいつに騙されてるんじゃない?本当はこんなの意味の無い薬でさ、打たなくても平気なんじゃない?」 聞いた話によると、帝は免疫が切れると『魂が抜けていく感覚』に襲われるそうだ。そして意識は白濁になると・・・つまり、冷静な判断がつかなくなるのだ。 「試しにやってみようよ。楠から自由になれるかもだよ」 「そうだな。やってみりゅ、みるか」 るりあは注射器をベットの下に滑り込ませて、彼の手をぎゅっと握った。 「そしたらさ、どこにでも行けるよ。2人で働いてさ、貧しくたってきっと楽しいだろうね」 「ああ、いいなぁそれ・・・俺、言えなかったが、けど・・・」 次第に彼の顔は真っ白に、黒目が色を失ってゆく・・・ 「やっぱダメだ・・・くす・・・りを」 ベットから身を起こそうと試みる。だが、動きは緩慢で、力も湧かない。そんな彼の身体に、るりあは覆い被さって全身で抑えつけた。頬を寄せ、耳元に囁き続ける。 「子供とか出来ちゃうかもね。公園にお弁当持っていってさ、あっ料理勉強しなきゃね」 「ああ、いいなぁ・・・お前と、もう一度・・・やり直し・・・・・・」 長い時間は掛からなかった。帝は目を閉じて、いつもの皮肉めいた物とは違う笑みを浮かべて・・・まるで楽しい夢でも見ているかのように、深い眠りに包まれていった。 彼の上で、るりあは考えていた。 (私のしたことは何だろう。殺した?死なせた?それとも看取った?) 不思議だったのは、淋しいとか悲しいとかいう気持ちが湧いたこと・・・そうはならないだろうと思っていたから。 夜は明け朝を迎えた。長峰 遥は1時間目が始まる前に、理事長室を訪ねた。 (るりあに対して冷たかっただろうか?) ついさっきの、教室前での会話が心に引っかかってはいた。 しかし、これからとても大事な話をしなければならない。 数10分待たされたが、おかげで頭を整理し気持ちを落ち着けることが出来た。長峰が入室しドアを閉めると、理事長は立ち上がった。生徒に対して深々と頭を下げる。 「珠瑛琉を救ってくれたそうね。ありがとう長峰さん」 長峰は首を横に振る。 「私の行いが彼女を追い詰めてしまいました。私に責任の一端があります・・・彼女はどうするのですか?」 「退院したら離婚した夫の所へ行かせます。海外で暮らしているわ。最早、私の手元に置いてはいられ無くなったわ」 理事長の声からは、どっと疲れたという響きが感じられた。顔も急に老け込んでしまった様だった。 「私はあの娘の為に、この学園を立て直したかった・・・私もここの卒業生です。父が生きていた頃は、立派な学園だったのですよ。その後に経営を任された人間が無能で、すっかり荒れ果ててしまっていた。私は私が学んだ、栄光ある霞城学園を取り戻したかった」 『学園の在り方』を問う長峰にとって、理事長の告白は望むところだった。 「どうしたって資金が必要だった。焦っていた私は、ある男の申し出を引き受けてしまったわ・・・科学的研究への協力と言われてね」 「非公認の研究なのですか?・・・まさか楠教授!?」 「私達は『悪魔の研究』なんて言って揶揄していたけれど、本当のところは良く分からないわ」 ここで理事長は一息ついた。ここまででも、随分と喋ってしまった。一生徒にどこまで話すべきか、どこまで背負わせるのか・・・ 「どうやら成績を向上させる研究らしいわ。その為の『特待生制度』。不出来な少年を率先して入学させ、大学病院に通わせる」 「・・・るりあも、ここ数日で勉強が出来るようになった」 「そうですか。経緯は分からないけれど、次はその娘が研究対象になっているのね」 (『研究対象』?オブラートに包んだね。要するにモルモットでしょ??) るりあはこの会話を聞いている。盗聴器が音声を受信するのは、楠の研究室だけ。るりあは一人っきりで、パソコンに向かっていた。 (モルモットは死ぬ。『悪魔の研究』か・・・理事長もそれ位の認識はある。だから問題にならない人選をしたんだ。戸賀みたいな孤児院育ちとか、私みたいな家庭が崩壊している子供とか) 「資金を得る為に、非公認の研究に協力していた。勿論問題があると思います。でも私が伺いたいのは・・・」 長峰の瞳に静かに炎が滾る。 「貴方は以前言っていたわね。『いじめ』を増長する意図があると・・・その瞳に隠し立ては出来そうにないわね。 それは副産物のような物だった。殆どの場合、『いじめ』の矛先は彼らに向いたわ。だから失踪したり、自殺したり」 (うまい具合に隠したね。脳がいかれて死んでるなんて言えるわけないよね) るりあはパソコンのデータをパラパラと捲り、自虐的な笑みを漏らした。 「入学して直ぐに、珠瑛琉が小出という生徒に『いじめ』らしき行為をしていると聞いたわ。そして、その娘の親が問題視していると」 「小出・・・清香」 「3年でも同じクラスね。その娘も大事な、学園の生徒です。だから彼女を守って、珠瑛琉の『いじめ』を問題にしない為に・・・」 「矛先を別に向けさせた・・・ですか?」 「通常『特待生』はFクラス・・・成績を向上させて、クラスを上げる生徒はいたけれど。朽木 るりあはちょうど良い時期に現れたのです、敢えて最初からAクラスに入れた。『目につく』ことは百も承知だったわ」 瞳を激しく燃焼させ、長峰は拳を強く握る。 「分かって欲しいのは、悪意ばかりの処置では無いという事なのです。珠瑛琉だって根っから悪い娘じゃない。 優劣を持つ多人数が一同に集えば、どうしたって強者と弱者が生まれる。人間関係の性です・・・それを収める為に、最善の策を求めた」 「やめて下さい」遂に長峰は、我慢がならなくなって口を挟んだ。 「『いじめ』を肯定するような発言をしないで下さい。教育者として、あるまじきです」 今度は理事長が押し黙る番だった。 「解決が難しいとしても、常に問題として取り上げて模索し続けるべきです。安易な手段を講じることは、恥ずべきであり、教育者としての誇りを投げ捨てる愚かな行いです。苦しくとも、辛くとも、向き合って諦めずに・・・それが、無力な私達の唯一の誠意ではないでしょうか?」 場合が場合なら、拍手喝采を送りたかった。心から、この生徒にもっと早く巡り会いたかったと想う。 しかし理事長は、威厳ある態度を貫く責任から逃れる訳にはいかなかった。 「長峰 遥さん。貴方は私の言いつけを破って外出しましたね・・・退学です。手続きが済み次第、風架け橋高校へ戻りなさい」 「私はこの問題をうやむやには出来ません!今、ここを去ることは!」 「黙りなさい!これは霞城学園の問題です。全ては私が責を負う事なのです!」 (本当はあと半年、珠瑛琉の卒業を見届けたかった。その後で、何もかも終わらせるつもりだった・・・ムシが良すぎたわね。この娘の訪れは運命だったのかも知れない。僅かでも、自らの罪を償う機会が与えられた、貴方に感謝するわ) 理事長の心の声が伝わったのだろうか?長峰の炎は鎮まっていった。拳を解き、理事長に対しお辞儀をする。 「授業に出席させて下さい。せめて最後の時まで、霞城学園の生徒として過ごさせて下さい」 「・・・良い心がけですね、長峰 遥さん」 ともすれば、崩れ落ちてしまいそうだった。堪える為に気を張り詰めて、理事長は退出する長峰を見送った。 霞城学園の理事長室で緊迫したやり取りが行われていた同時刻、楠教授は呑気に大学病院に出勤してきた。 この男は自由人で、時間に縛られたりしない。気が向けば夜通し研究室に籠り、明け方ふらっと居なくなる。そして同じ様にふらっと病院に現れる。 それが許されているらしい。病院の人間も、殆ど彼とは接触しないし、素性も知らない。ただ特別な人間とだけ認識していた。専用の研究室を持ち、不可侵の研究を行う。時折、会議室や隔離病室の手配を要求してくる・・・そして患者は霞城学園の生徒ばかり。 『うさん臭い』上に、にまにまと気持ち悪い笑みを浮かべる変人ぶり。当然毛嫌いされているが、当人はまるで気にしていない。 鼻歌を奏でて軽いステップを踏みながら、自らの聖域である研究室へ向かう。 一見浮かれているようにも見えるが、別にそうでもない。これが普段の姿だ。ドアの前でカードキーを取り出し、ポンポンポンと暗証番号を入力する。入室すると、酸味を帯びた薬品の臭いに覆われる・・・なんと彼は、これで気分が良くなる。目を閉じて、深〜く深呼吸をした。 「おはようございま〜す」 「やあ、おはよう」室内から聞こえた女子の声には、にこやかな挨拶を返す。 だが次の瞬間、にまにました顔がひきつり始めた。 「・・・何をやっているんだ?」 楠は記憶を辿ってみるが、間違いなく今日は誰とのアポイントも入っていない。 それなのに、るりあが研究室内にいて勝手にパソコンを開いている。 「ちょっと薬品を貸して欲しくて、例の運動神経おかしくなる奴・・・これって酸性なんだね。気化しても効果及ぼせるよね?」 「僕が訊いているのは、どうやってここに入ったかだ!」 「え〜そう言ってないじゃん。ほらこれ」るりあは、カードキーを楠の足元に放ってよこした。 「借りて来た。帝には出入りを許していたんでしょ?」 「病院の出入りだけだ!研究室には勝手に入れない筈だ。暗証番号を教えて無い!!」 「ほらっ廊下に監視カメラあるじゃん。先にそっち入って、録画を覗かせて貰ったんだよね。警備室はカードキーで開いたから」 そう言われて思い返す。確かに廊下に監視カメラはあるが、カード読み取り装置の手元にはカバーが付いている。 「馬鹿な、カメラに入力した数字が映るわけ無いだろ!?適当な事言うな!」 るりあは一瞬きょとんとした。それから直ぐに大きな声で笑った。 「嘘っ嘘嘘!気づいて無いんだ!?え〜すっごい笑えるんだけど!!」 笑われて怒る・・・よりも、不安の方が沸き立った。「なに?どうゆうこと?」と小声で問いかける。 自らの口を指差しながら、るりあはいかにも楽しそうだった。 「顔は映ってるでしょ?ボタンを押す時、唇が動いてんの!『1・8・7・9・0・3・1・4』。あんたって意外に間抜けだよね!!」 楠は呆気に取られた。額から汗が滴り、流れ落ちるまで二の句が継げ無かった。 「し、しかししかし!パソコンはどうやって開いた!?それには3重のロックが・・・」 この問いかけにも、るりあは余裕の笑みを見せつける。 「1879年3月14日はアインシュタインの誕生日。そこから推察して、その辺の本ばらっと読めば簡単だったよ」 研究室の本棚には、楠の愛読書が並んでいる。それこそ何十冊と・・・それを『ばらっと』読んだ?? 「あははははっ誰が私を天才にしたんだっけ!?ほらっこんな事も出来るよ!」 鈴の音の様な声を響かせて、るりあがパソコン画面を楠へ向けた。 ポカンと口を開けた彼の目の前で、画面が白い霧に包まれた・・・と思うと、文字や数式が流砂のように消えていった。 「な、何をしたんだ〜」 「見たいとこ見たから、もう要らないって思ってさ。消しといた、ウイルス使って完全消去」 暫し言葉を発するのも忘れ、2人でデータが消えてゆく様を見送ってしまった。 「お前!こんな真似してどうなると思う!?もう免疫もやらない!脳が劣化して終わりだぞ!」 はーっと呆れたように、るりあは溜息をついた。 「これまでの研究データ見て理解したよ。私の症状は決して良好じゃない、4年なんて到底無理・・・あんただって分かってたんだよね」 「なんだよ、抗議のつもりかい?研究の進み具合からして、次は最長記録を出せる可能性はあった。君がそうじゃ無かっただけだ」 「まぁそうゆう事だよね。甘い言葉に騙された私が悪い・・・仕方ないよね、あの頃の私はバカだったんだから。バカは騙される。お母さんが『悪い奴に騙された』って言ってたことがある。借金背負わされたって・・・所詮は血筋かな。変な所で親子だって思い知らされたよ」 「そうだそうだ!僕は悪くないぞ!」 ふんぞり返る楠へ、るりあは笑顔から一転して感情の籠らない表情を向ける。 「なんだか余裕だね?研究データが消えちゃったってのに・・・ひょっとして、コピーを取ってあるからかな?」 途端にピクピクと痙攣する顔の、目が泳いで研究室奥の本棚に向いた。 「そう、本棚の裏に隠し金庫があったね。番号はアインシュタインの没日。そんなに憧れてたの?」 タイルの床を蹴って、楠が本棚へ駆け寄る。1冊の本を取ると、本棚自体が移動した・・・そして、姿を見せた金庫の扉は開いていた。 「どこにやった!!僕の研究の成果を!全てのデータが入っていたんだ〜!!」 喚き散らす楠に苛ついたのか、るりあは自分がそれまで座っていたデスクを、載ってるパソコンごと蹴倒した。 ガシャーンッ!!と大きな音を立てる。 「ひっ!」と後づさりし掛けたが、デスクの陰に隠れていたある物が露わになっているのを目にした。 大きな水槽が床に置かれていた。その中にびっしりと、何百というUSBメモリーが入っている。そして水槽は水に満たされて、ブクブクと泡を吹いていた。 「うわぁ〜!!」 我を忘れて駆け寄った楠は、るりあの足元で水槽に手を突っ込んだ。 途端に「ギヤァー!!」と悲鳴が響く。 両手に激痛が走る!引き抜いた手からは煙が上がった。そして焼ける様な痛みが、手から腕を蝕む。 あまりの痛みに耐えかねて、楠は床を転げ回った。 「大丈夫?強塩酸だよ。手が無くなっちゃうよ」 るりあは冷静な態度を崩していない。デスクを蹴倒したのは、あくまで水槽を楠に見せる為であって、キレたからではない・・・まだ、キレてはいない。 「貴様!何をしたのか分かっているのか!?いずれは本当の『天才』を生み出す、僕の偉大な研究を台無しに!」 この男が涙を浮かべている。痛みのせいか、研究を奪われた悔し涙か・・・るりあが返答をしないのは、どうでも良かったからだ。 「復讐か!?復讐のつもりなのか!?」 「さっき言ったじゃん。悪いのはバカな私、だから恨むのは筋違いだって。でもさ、聞いちゃったんだよね」 るりあが盗聴器に顔を向けた。楠には、その意味するところが分からない。 「霞城学園の『特待生制度』はあんたの研究に協力する仕組み。ってことはさ、突き詰めれば私の『いじめ』はあんたのせいじゃん。あの苦しみはさぁ・・・理屈で割り切れるもんじゃないんだよね」 「なに言ってんだか分からない。理解出来ない・・・『いじめ』だと?『いじめ』が何だってんだ?そんなクダラナイ話すんな!!」 「クダラナイって言った!?第三者の意見なんてそんなもんだよね!でもさ!『いじめ』で人生終わっちゃう人だっているんだよ!!」 遂にぶちキレた!るりあは足元の水槽の縁に片足を掛ける。 「これは復讐なんて立派なもんじゃない。ただの『腹いせ』だよ。何にしてもさ・・・あんたも終わっちゃえよ!!」 言葉と同時に蹴った。水槽は傾き、倒れた・・・溶け掛けたUSBメモリーを飛び散らせ、液体が床に流れ出る。 床を這っていた男に液体が押し寄せ、容赦なく襲う。もうもうと煙が上がり、断末魔の如き叫びが病院中に響き渡った。 研究室へ看護師や医師が詰め寄る。その全ての人達が、異様な光景に絶句した。 るりあは、素早く人並みを逆行して駆け抜けた。肩には重そうなトートバッグが揺れ、ガチャガチャと瓶がぶつかり合う音を立てていた。 病院を飛び出した。もはや後ろを振り返りはしない。後戻りが出来ない事を、るりあは誰よりも承知していた。 胸に訪れる想いは、たった一つだけ。 (取り戻すんだ、私の4年分の幸せ・・・私の一生分の幸せ・・・) 肉が焼ける様な異臭が漂う室内へ、立ち入ることに誰もが躊躇していた。 その白衣の人垣を掻き分けて、長身の女性が飛び込んでいった。ゴム手袋をはめた長い腕で、楠の身体を廊下へ引きずり出す。 楠はこの時点で悲鳴を上げる力を失い、瞳孔の開いた危険な顔をしていた。 「もうお終いだあぁぁ・・・僕の研究があぁぁ・・・」 「いえ、お終いではないわ。貴方には全てを話して貰う」 彼女の言葉を、近くにいた医師が聞き取った。 「白河さんは何かご存じなのですか?」 助手である白河は大学病院内において唯一、楠教授とコンタクトを交わせる相手として認識されていた。 「済みません。事情はおって署から連絡を入れますので、とにかく今は治療をお願いします」 『署』が何を示すのか不明だったが、医師や看護師は彼女の言う事を正論と受け止めた。 楠が運ばれてから、白河は一人研究室内へ入った。パソコンが壊れ、USBメモリーが撒き散らかされた惨状へ。 「こうなった以上、楠の証言だけが頼りか・・・やってくれたな」 彼女は言葉とは裏腹に、どこかすっきりとした表情を浮かべていた。
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