第十二章 願い

1/1
前へ
/13ページ
次へ

第十二章 願い

黒板に向かっている時、田山先生はうっかりアクビをしてしまった。 (まずい・・・)と思ったが、生徒が何も突っ込んでこないので(よし、ごまかそう!)と思った。 (それにしても、こんな眠気に襲われるなんて・・・なんだか身体が怠いなぁ) お昼が終わって午後の授業。そりゃあ今までも、ちょいちょい眠気が差したことくらいはあった。 しかし、今日のは度が過ぎてる。 ちなみに、田山先生は現国の先生だ。授業で『吾輩は猫である』のラストを題材にしていた事は、全くもって間が悪い。 長峰 遥は授業が始まってから、ずっと俯いていた。 俯いている内に、机に突っ伏してしまった・・・彼女が授業中にこんな姿を見せるなんて、異例中の異例だ。 (前の体育の授業がよっぽどきつかったのかしら?) 一番先頭の席の長峰は、どうしても視界に入ってしまう。注意しようか迷ってる内に、田山先生はある事に気づいた。 隣の席の清香も突っ伏している・・・どころか、スヤスヤと寝息を立てている。 (あれ?みんなきつかったのかな?) そう思って教室を見渡した。 最初に目に入ったのは、体育の前まで居なかった筈の朽木 るりあが席についている姿。それだけなら、特に気には留めないけれど。彼女はハンディタイプの加湿器みたいのを机に置いていて、噴出する水蒸気に顔を当てていた。 そして、彼女以外の生徒で起き上がっている者はいない。 必死に目を開こうとする生徒、身体を起こそうともがく生徒、そして眠ってしまった生徒多数。 「えっ?えっ?えっ?」さすがにびっくりした。 教壇で慌てる田山先生へ、苦しそうに顔を上げた長峰が呻く。 「・・・先生、なにか・・・おかしいです」 コツコツと足音がした。長峰には振り向く力が出せない。田山先生は、近づいてきた生徒が薄っすら微笑んでいるのが不気味だと思った。 「遥、苦しい?これ吸うと楽になるよ」 るりあは長峰の机に加湿器を置いた。彼女の顔に向くように傾かせる。 だが、長峰は顔を背けた・・・この事態が、るりあの仕業なのだと確信したが故の行動だ。 「自分だけ助かるのは嫌?やっぱりね。きっと遥はそうだと思ったよ」 そして長峰に頬を寄せて、るりあは水蒸気を深く吸い込む。 「朽木さん?貴方が何かしたの?」 恐る恐る・・・田山先生は声を掛ける。 「先生がさ、比較的無事なのは何でだと思う?1番遠いからだよ。掃除用具入れから」 教壇の反対側には、教室の壁に設えた掃除用具入れがある。僅かに隙間が開いていた、そして隙間から流れる空気が蜃気楼のように揺らいでいた。 「その中で、ある薬品を気化して教室中に充満させてる・・・いつの間にって?体育の時間に決まってんじゃん」 田山先生は教室の扉に走った。取っ手を引こうとして、鍵が掛かっていると知った。当然内側からだけども。 (いつ閉めたの?私が背を向けている時?全然気がつかなかった) 激しく息を吸ったせいか、急激に眩暈が襲った。鍵を開けようと、手で探っていたら・・・ ジリリリ・・・廊下で警報が鳴り始めた。現場で耳にするのは初めてだったが、これはガス探知機の警報だった。 「開けたら死ぬよ」 るりあの低い声が、恐怖を帯びて教室中に響いた。 「廊下にプールで使う消毒液を噴霧しておいた。勿論それだけなら、人体に影響ないけどね。でもこの教室に充満してるのは、濃度の高い酸性物質。混ぜるな危険って奴、この二つが混ざると・・・毒ガスが発生するよ」 「窓を開けて!」 いち早く、長峰が叫んだ。 生徒の幾人か・・・まだ意識を保っていた者が、力を振り絞って立ち上がった。 「え?あれ、これなんだ?」 窓枠に寄った生徒達は、一様に戸惑いの声を上げる。鍵の部分が粘土のような物で固められている。手に力が入らない彼らでは、それを剥ぎ取る事が出来ない。 「窓を割ってやる!」 タケルは威勢良く言ったが、イスを持ち上げようとして、ヘナヘナと崩れた。 「キャー!!」今度は女子の悲鳴。 るりあの手にナイフが光ったからだ。 この騒ぎに苛立って、るりあは自分の席に戻った。そして鞄から、刃渡り20センチのサバイバルナイフを取り出した。 ただのナイフだったら、これ程の悲鳴は起こるまい。周りの女生徒達が恐怖したのは、その刃にべっとりと血糊がついていたからだ。 るりあはナイフを手に教壇に赴いた。やはり指示を出すには、この位置が好都合だった。 「はい、じゃあみんな聞いてくれるかな?これから、クラス一丸となって力を合わせてね。先ず窓側の机をずらしてスペースを作って。そこに寝ちゃってる人達を運んで、壁に寄りかからせる。終わったら、動ける人もみんな並んで座って・・・ずらーっと一列にね」 続けて、るりあは扉の方に目を向ける。 「それから先生、インターフォンで職員室に言っといて。教室の扉を開けないようにって」 インターフォンは扉のすぐ横にあった。激しい倦怠感に襲われながらも、ほぼ最後の力で何とか受話器を取った。 職員室も大騒ぎだ。全校生徒を教室から出し、校庭に避難させる段取りをしていた。当然ながら3-Aにもそれを要求してくる。 「そこに化学の先生がいるなら教えて貰えと言って。次亜塩素酸ソーダと高濃度酸性物質を混ぜたらどうなるかって!」 田山先生が、るりあの言葉を伝えると職員室は一層ざわめいた様だった。化学のじいさんの、のんびりした講義が漏れ聞こえる。 意識のある生徒達は戸惑っていた。るりあの言う事に従うべきがどうか・・・判断がつかず、動けずにいた。 るりあが彼らの背を押す。ナイフをドカッと黒板に打ち込むと、右上から左下へと一文字に切り裂いた。 悲鳴を上げる者、声も出せず青ざめる者・・・彼らへ冷酷な指示を伝える。 「早くしてくれるかな?」 恐怖に支配され動き出す。机を引きずってずらし、眠っているクラスメイトを2〜3人がかりで窓側へ運ぶ。 千里と奈緒が清香を抱えた時、長峰も手伝おうと思った。立とうとするが、両肩を上から抑えられた。 「遥はいいの。遥はここにいて」 るりあは後ろに回り、抱きつく様にして長峰の肩口に顔を寄せた。再び水蒸気を深く吸い込む。 「朽木さん・・・」田山先生は床に倒れて、身動き一つ出来ない。 それでも、教師として(この状況を何とかしなきゃいけない・・・)と思った。 「クラスの皆は反省してるわ。あなたに謝りたいって・・・だから、こんな事もうやめて」 「・・・反省して謝ったらそれでいいのかな?私の気持ちも、それで収めなきゃいけないのかな?」 「気持ちは分かるわ。皆も分かってる。本当に申し訳ないって」 「ふ〜ん分かるんだ・・・毎日毎日びくびくして、なに言われてもゲラゲラ笑われても我慢して。怖いことされても痛いことされても、土下座して『ごめんなさいごめんなさい』って。鼻水垂れ流して『許して許して』って。毎日毎日、それが当たり前みたいになって・・・」 田山先生はようやく気づいた。 (そうだ、やられていた人の気持ちを聞いていなかった・・・) 「ただただ『いじめ』られるのが嫌で、自尊心とか失くして・・・心をぐちゃぐちゃに踏み潰されて!毎日毎日・・・」 鬼気を帯びた表情が、逆にその辛さを物語っていた。 「毎日毎日、屋上に行ったよ!!柵を越えて、下を見下して・・・でも怖くてすごすご戻って!毎日毎日・・・誰か見つけてって思ってたよ!!誰か助けてって!そう思ってたよ!!」 クラスメイト達は皆んな、それが自分達に出来る唯一の償いだと思い、るりあの言いつけに従った。誰もが目を伏せ、冷たい壁と床に身を寄せて・・・るりあの気持ちを思い測ろうとして、それが無理だと悟っていた。 泣き叫ぶような告白の後、るりあは口をつぐんだ。その数十秒は、空気が張り裂けんばかりの緊張感に包まれていた。 だが次の瞬間、けろっとした顔で教室を見渡した。 「でも、もういいの。私、学園には感謝してるんだぁ・・・だって」 るりあはまた、長峰の横顔に頬を寄せた。それはどうやら、水蒸気を吸い込むのとは別の意図を持っていたらしい。 「こんな素敵な友達に逢わせてくれたんだから」 るりあが見つめても、長峰は瞳を逸らし続けた。唇をぐっと閉じている。 「こうして近くで見ると、本当に綺麗な肌。髪もさらさらして。それに瞳、澄んでいて、美しくて・・・」 頬を紅潮させて、まるで夢を思い描くように、るりあは続けた、 「初めての時、本当に天使に出会ったって思ったんだよ。光に包まれて、私の所に降りてきてくれたんだって。 遥の強くて優しい瞳が好き、はっきりと意志を示す唇も好き・・・全てが好き。きっと心に天使を宿してるって、そう信じられるの」 唇を、長峰は開かない。瞳を動かすこともしない。 すっと、るりあは身体を離した。長峰の真後ろに立って、薄っすらとした笑みを浮かべる。 両手で長峰が座るイスの背を掴む。そしてカタン・・・カタン・・・と静かにイスを揺らし始めた。 「ねぇねぇ遥。お願いがあるの・・・今度は遥が、私の好きな所を言ってみて」 イスを揺らすのは、『ねだる』仕草だった。長峰はぐっと唇を閉じたままだ。 「ねぇねぇお願い・・・う〜ん恥ずかしいの分かるよ。でも、聞きたいの。遥の口から聞きたいの」 カタン、カタンとイスを揺らす。長峰は黙っている。 「私のいいとこなんて難しいよねぇ。だから一つでいいの。一つだけ言ってくれたら、もう聞かないからさぁ・・・ねぇねぇ」 カタンカタンカタンカタン・・・次第にイスを揺らすのが早くなる。強くなる。 「ねぇねぇねぇねぇ・・・ねぇ」 るりあから笑みは消えていた。次第に感情を殺した顔へと変貌してゆく・・・ 「ねぇ・・・ねぇ・・・」 ガタガタ・・・ガタガタガタガタガタガタ!!長峰の身体も、激しく揺らされ続ける。 静まり返った教室に、振動音が鳴り響く。それは既に拷問でしかない・・・誰もが、不快感と恐怖に苛まれる。 田山先生は、るりあに負い目を感じていた・・・しかし、さすがに気持ちを抑えることが出来なくなった。 「やめて!友情は、そんな風に強制するものじゃない!」 「うるせぇぞ!このブタ女!!」 るりあの怒号は凄まじい。それは、怒りのぶつけ所を求めていたが故だろう。 「私と遥の何が分かるってんだよ!チャランポラン教師が!!私は遥の為なら何だって出来る!何だってやった! 好きでもない男と寝たし、そいつが用済みで、邪魔になったからバラバラにして捨ててきたし・・・」 「ば、ばらばら・・・?」田山先生の顔から血の気が引いた。 その怯える顔を見て、るりあはまた楽しくなってきた。 「・・・死体の始末は、実はその男に教わったんだ。指定の小袋に分けてゴミ処理所に放り込む。せめてものお礼に、お気に入りだったダサい帽子も一緒の袋に入れてやったよ」 「嘘よね?でたらめな話してるんだよね?」 怯える仔羊のような先生を見下ろしてると、どんどん気持ちが上がってきた。 「私さぁ実は才能あったんだよね。初めてにしては、上手く出来たんだよね。 こう、関節部に切れ目を入れて、骨に合わせて切断して・・・そうだ!」 ここで、るりあはにんまりと笑った。スキップを踏んで田山先生に近づくと、左手首を鷲掴みにした。 「え?なに!?」慌てる声を無視して、黒板の下まで引き摺る。 黒板の左下には、先程切り裂いた時のナイフが突き刺さったままになっていた。 ナイフを、るりあが力任せに引き抜いた。刃に残る血糊が、るりあの発言を裏付けている。 田山先生は仰向けに寝かされた格好で、ナイフの刃を目の当たりにした。恐怖で呼吸が激しくなり、余計に薬が全身を巡る・・・完全に身体の自由を失った。 まるで物を扱う様に、るりあは田山先生の手首を引っ張って、真横に伸ばした腕を床に叩きつける。 「痛い!痛い!」動かなくても感覚はある。田山先生は悲鳴を上げた。 るりあは自らの左膝を床に落とすと、容赦なく先生の二の腕を右足で踏み、手首は掴んだまま固定する。 それはまるで、木材をノコギリで切る時の姿勢だった。血色の冷たいナイフが、田山先生の肘にあてがわれる。 「あんたの腕でやってみせてあげる!」 狂った言葉に、田山先生は我を忘れた。 「いやあぁぁぁーーーーっ!!」 最早、るりあの凶行を止める術はない。次に起きる惨劇を想像して、生徒達がぎゅっと目を閉じた時・・・澄んだ声が聞こえた。それは決して大声ではない。けれども、誰の耳にも届く真っ直ぐな響きだった。 「一緒に湖を眺めて、きらきら瞳を輝かせた・・・子供みたいな、るりあを可愛いと思ったわ」 ぴたり・・・と動きは止まる。るりあは長峰に対して後ろを向いている。小さな背中で、その声を受け止めている。 必死で、長峰は加湿器の水蒸気に顔を向けた。すぅーはぁーと激しく呼吸する。 さっきはあれだけ声を発するのが精一杯だった。ようやく余裕を取り戻し、微笑みを浮かべられた。 「神話を自分なりに解釈して、世界を広げるなんて素晴らしいって感心したわ。それを、頭の固い私にも解るように話してくれて・・・」 るりあは動かない・・・空気は未だに張り詰めている。 「きっと感性が豊かなんだね」 すーっと、るりあが立ち上がった。両腕から力が抜けて、ただ真っ直ぐに。 そして振り返った。その時の顔は・・・るりあの顔は・・・ 『この世界にこれ以上の幸せはない』 そう物語る満面の笑顔だった。 「そんなことないよぉ」 カラ〜ンとナイフが床に落ちる音がした。るりあは無邪気に、長峰の席に駆け寄る。長峰はずりずりとイスをお尻で動かして、横を向いて迎えた。 ペタンと床に正座して、るりあは手を伸ばした。長峰の手には力が入らず、だらんと垂れ下がっている。その手を拾い上げて、長峰の膝の上でぎゅ〜っと両手で包んだ。 「湖綺麗だったよね!お花もいっぱい咲いてて。あの後カフェにも行ったね!」 「そうそう、流行ってるって言うからタピオカミルクティーを飲んで。いきなり固形物が飛び込んできたからびっくりしたわ」 「私も飲んだことなかった。2人で吹き出しそうになったよね」 「帰りにはコンビニに寄って・・・」 「そう!肉まん食べたかったのに、前のカップルに先越されてさ」 「ちょうど残り2つだったね。でも私、豚角煮まんも美味しかったわ。いろんな種類があるのね」 「あれから遥、コンビニのまんじゅう制覇する勢いだったよね」 「食べ歩きって楽しいのよね。はまっちゃった」 校庭に整列した生徒達は、ものものしい雰囲気にざわめきあった。 校門口に数台のパトカーが並び、救急車まで到着した・・・誰かが担架で運ばれてゆく。 若い刑事が、教頭をはじめとする教師を集め話を伺っていた。しかし「何が何だか分からん!」と喚く教頭と、首を横に振るばかりの教師達相手では、埒が明かなかった。 校門に一人の背の高い女性が現れた。外から来た彼女を目にして、教頭は怒鳴り声を上げる。 「白河先生!こんな時にどこに行っていたんだ!?」 白河は長い脚でつかつかと歩み寄ると、教頭をスルーして若い刑事に向かった。 「状況は?」 彼は彼女に対し、当たり前の様に手帳を開いて情報を伝える。 「現在3-Aの教室で立て籠もりが続いております。教室内の気体と、廊下に充満する気体が混ざると毒ガスが発生すると脅しています。その為、廊下側は塞がれています。また窓は閉ざされ、内側からも鍵が開かないようです・・・それと」 彼はそっと白河に耳打ちする。 「理事長が自室で自殺を図りました。薬を飲んで気を失っていたとの事ですが、この騒ぎで発見されました」 救急車に視線を移すと、白河は憐れみを込めて呟いた。 「そうか。あの人は最初の被害者が出てからずっと、自責の念に囚われてきた。遅かれ早かれと言ったところか・・・」 だが感傷に浸っている場合ではない。毒ガスの危険に、生徒が晒されているのだ、彼女は直ぐに行動に踏み出す。 「屋上からベランダに降りる。ロープを用意してくれ」 「巡査長がゆかれるのですか?何でしたら自分が」 「私が一番この学園を知っている。なにせ10年も教師として勤めたのだからな」 爽やかな笑顔で、彼女は校舎を見上げた。それを傍目に見る教師達は、やっぱり首を横に振るばかりだった。 楽し気なガールズトークが続いていた。 先生の事も、他のクラスメイトの事も忘れて・・・2人だけの世界が、そこに繰り広げられていた。 「私ね、買い食いとかガチャガチャとか、全然やったこと無かったの。前の学校では生徒会入ってたしね・・・なんか悪い事?みたいな。そのせいか、すっごいテンション上がってたの。気づかれたら恥ずかしいって隠してたけど」 長峰の声は弾んでいた。こうして何気ない会話をする内に、胸に訪れる想いがあった。 (『友情』とは、時間の長さで決まる物じゃない。共に過ごした中で、どれだけ気持ちを寄せ合って、どれだけ相手を想い、想われるのか。そうして決まってゆくのだわ。だとしたら!私達以上の関係は有り得ない!もう疑いようもない、私とるりあは『親友』だ!!) 今こそ長峰は確信を得ていた。自然と笑顔が溢れてくる。 会話は何時しか様相を変えていた。今、喋っているのは片方だけだった。 るりあは長峰の膝に顔を埋めて。 「うん・・・うん。楽しかったね。楽しかったね・・・」泣きながら頷くだけだった。 (この時間が永遠に・・・)そう思いかけた長峰の瞳に、不意に人影が映った。 (ベランダに誰かがいる!) 「るりあ!」 突然の声に驚いて、るりあはぐしょぐしょの顔を上げた。 長峰の瞳は真っ直ぐに自分に向けられていた・・・口元には笑みを称えて。 彼女の言葉には、一切の嘘偽りはない。一点の曇りもない。その言葉は、本当の心からの言葉に違いない。 「もう行く所がないんだったら、私の家にきて。大丈夫、両親は説得するから。一緒に暮らして、一緒に学校に行こう!休日には、ちょっと家の手伝いして親の機嫌とって。それから遊びに行こう!そうやって一緒に生きよう!」 ・・・涙はもう枯れ果てたと思うほど流した。それなのに、今またどっと溢れ出した。(気持ちが嬉し過ぎるよ・・・) それと同時に、るりあは長峰が窓の外を気にしていると気づいた。 彼女の指が、弱々しく自分の指を抑えようとしていた。もう一度握りしめてから、膝の上にそっと置いた。 意を決して立ち上がり、両手を肘まで使ってめちゃくちゃに顔を拭った。涙を晴らして、精一杯の笑顔を作る。 「ありがと遥!でももう私なんかに関わっちゃダメだよ。遥はしっかり生きて、遥らしい道を歩んでね!」 「いやよ、るりあ・・・待って、行かないで!」長峰の瞳にも涙が込み上げる。 (ダメだ!決心しなきゃダメなんだ!) 弾け飛ぶように、るりあは走り出した。それこそ死にものぐるいだった・・・長峰の涙を振り払うことは。 「るりあーーーーー!!」 白河はベランダに達したら、直ぐに窓ガラスを割って踏み込むつもりだった。しかし、内側には生徒達が窓に沿って並んで倒れている。これではガラスを割るのは危険だ。止む無く彼女は、レーザーナイフでガラスを切り、割れないように細心の注意を払って外した。 突入した時、るりあは教室の後ろ扉付近にいた。そこは彼女の席だと知っていた。見ると、鞄から何かを外してポケットへ。それから机に手を入れた。机の中にあったのはガスマスクだった。素早く装着して扉を開く。途端に扉周辺の空気が、変色して黄色味を帯びた。その中を、るりあは駆け出してゆく。 生徒達が怯えて悲鳴を上げた。その黄色い揺らめきは、ゆっくりと自分達に迫ってくるようだった。 「ちっ!」白河は、るりあを追うのを断念せざるを得なかった。優先順位は生徒達の安全だ。 「窓を割るぞ!!全員、鼻と口を塞いで伏せていろ!!」 次々とガラスが外側に破片を散らす。そしてガスは外からの風に掻き消された。 一息ついて、白河は教室内を見回した。幸い怪我人を出さずに済んだようだ。 次第に薬の効果も切れてゆく。身体が動くようになった生徒は、まだ動けない生徒を気遣った。清香と千里、奈緒はガタガタ震えている田山先生に寄り添った。 長峰は・・・身体が自由にならない内からもがいていた。イスごと倒れて、眼鏡が飛んでしまった。両手を床に着いて、必死で身体を起こしても、下半身が動かなくって。汗がポタポタと垂れて、気持ちばかりが焦る。身体を引き摺って這って進もうとした。 どこを見ても何も見えない。るりあの姿を見つけられない・・・汗に混じって、涙が床に落ちた。 「・・・るりあ」小さな呟きは、誰の耳にも届かない。 廊下を走り、階段を駆け下りる。昇降口には向かわない・・・校門も裏口も警察が抑えているだろう。 1階の廊下の窓から外に出て、校舎裏に廻る。隠しておいた梯子をかけて、校舎を取り囲む塀を乗り越える。 夕暮れ間近の、人影のない路地をひたすら走った。川が近くなると、建物が姿を消し空が見えるようになった。暗くなりかけた空に、夕月が丸く輝いていた。 走る脚を止めて、激しく息をつきながら・・・るりあは制服のポケットから、白い綿毛のチャームを取り出した。 空にかざして、夕月に重ねる。色も形も同じだと思えた。 思えばあの夜から、月の光の中で出会ったその時から。ずっと、胸の中に明かりが灯されていた。それは、優しく暖かい月の光のようで・・・絶え間なく自分を照らし続けてくれた。 最後の最後の、彼女の言葉を思い返す。『一緒に生きよう』と言ってくれた。 (・・・充分、もう充分だよ。一生分なんてもんじゃない・・・) 「百年の幸せだよ。遥」
/13ページ

最初のコメントを投稿しよう!

1人が本棚に入れています
本棚に追加