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最終章 出来ること
それから数日後、霞城学園は未だ閉鎖を余儀なくされていた。
シーンと静まり返って廊下を歩き、久しぶりの教室へ。長峰 遥は一人訪れた。
「身体は大丈夫?」
「はい、病院の診察でも問題ありませんでした。田山先生は平気ですか?」
「思い出すと、まだ震えがきちゃう」
そう言って、左肘を撫でる。
「あれは、私達への訴えだったのよね。朽木さんの気持ちをないがしろにしていた、先生やクラスメイトへの」
田山先生の笑顔は悲しさを漂わせていた。
「私も、るりあの気持ちを分かった気になって、解決出来るって・・・思い上がっていました」
長峰もまた、俯くことしか出来なかった。
彼女は自分を責めている。その気持ちを理解しているからこそ、田山先生は長峰を呼んだのだった。
(これから話すことは、恐らく彼女にとって辛いものだろう・・・でも伝えなくてはいけない)
「長峰さん、落ち着いて聞いて。朽木 るりあさんが見つかったわ」
はっとした顔を上げる。あれから行方不明だった親友のことを、ひと時も忘れたことは無い。
「隣り町の料亭の裏で見つかったって。ポリバケツの上にうつ伏せになってたって」
「今はどこに!?」長峰の瞳が輝いた。
反面、田山先生の瞳は曇る。
「警察病院よ。酷い食中毒だって・・・残飯を食べていたみたい」
「るりあっ!」血相を変えて席を立つ。
「長峰さんっ!!」
田山先生がその背中を呼び止めた。一層悲しい瞳をして。
「行っても辛いだけかも知れない。お腹だけじゃないって・・・頭を打ったか何かで、脳に障害が見られるって」
「えっ?」長峰の脳裏に、理事長の告白、楠の非公認な研究・・・そして、戸賀の死が過ぎる。
「症状は悪くなる一方だって。もう、自分が誰かも分からなくなってるって」
長峰 遥は立ち竦んだ。ある程度の真実を知っているが故に・・・
(もう、るりあが救われることはない。もう二度、私のことも・・・)
その確信が、思い碇のように彼女の脚を留めさせた。
それからしばらくして、霞城学園は再開した。
一時は不可能だと思われた。しかし何と言っても大きいのは、理事長が復帰したことだ。自殺未遂の理由は曖昧なまま。しかも、身体は完治には至らず、病室のベットの上からではあったが。
「いずれ私は職を辞します。しかしその前に、今いる生徒達を無事卒業させる為に最善を尽くすのです」
強い意志を持って采配を振るった。田山 茉由子をはじめ、先生達も奮い立ち、何とか授業を始められるに至った。
3-Aの教室で、久しぶりに出席を取る。
保護者の中には、未だ学園の説明不足を訴える方もいる。自分の子供を預けられないと主張してる。生徒の中にも、不安を感じて学校に来れない人もいる・・・そうゆう親や生徒には、誠心誠意、説明していくしかないと覚悟を決めた。
空席の目立つ教室で、それでも田山先生は全員の名前を呼んだ。
嬉しいこともある。副島さんと下谷さんの返事が返ってきた。菰野君の指から包帯が取れた。
(きちんと、この教室で前を向こう!)
その想いが伝わったのか、生徒達・・・清香さん、千里さん、奈緒さん、そしてみんなが微笑み返してくれた。
ただタケル君は落ち切っている。サッカー部の友達に励まされても、ガックリと項垂れている。
(だよね。やっぱり淋しいよね・・・一番前に空席が出来ちゃうと)
正直を言えば、田山先生自身も心にポッカリ穴が開いたようだ。
たった2か月だけなのに・・・この教室において、長峰 遥の存在はそれだけ大きいものになっていた。
月は替わり、秋の風に涼しさを感じるようになった頃、ある山間の病院を一人の女子高生が訪ねた。
そこは広大な敷地を持つ、緑に囲まれた立地で・・・精神疾患を持つ患者を専門とした病院だった。
白河は覆面パトカーの横で煙草を手にしていた。若い刑事が病院から戻り報告を聞く。
「ダメですね。楠は訳の解らないことを口走るばかりで、被害者の方はもう、すっかり・・・」
彼の言葉を遮るように、白河は煙草の火を消して灰皿に入れた。
「そうか、悪いがもう少しここで待っていてくれ」長い脚で病院へ踏み出す。
「でしたら、自分も一緒に」と言う刑事に手を振った。
「なに、懐かしい生徒を見かけただけだ。ちょっと声を掛けてくる」
彼は笑っていた「すっかり先生ですね」白河も思わず笑ってしまった。
白河にとっては見慣れない、紺のブレザーの制服、学校帰りか鞄を下げている。彼女は病院の受付を訪れた。
気のいい看護婦のおばさんは、丁寧に病室を案内してくれた。
「でも今の時間だったら、きっと小児科の遊び場にいるわよ。子供に混じって遊ぶのが好きみたいだから」
「ありがとうございます。行ってみます」「お友達も喜ぶわね」
『遊び場』はエレベーターで6階へ。出ると直ぐに、カードロック式の扉がある。受付で借りたカードで中へと進む。
各部屋ごとに大き目の窓が設えてあり、廊下から中の様子が伺える。一際大きい部屋がどうやら『遊び場』らしい。床にスポンジが敷かれて、カラフルなクッションやぬいぐるみが散乱している。
ちょうど小さい子達はお昼寝の時間を迎え、看護婦に手を引かれて病室に戻っていった。
一人だけ女の子が残った。うさぎのパジャマを着ているが、明らかに他の子に比べて身体は大きい。そう、高校生くらいの子が積み木で遊んでいる。三角の上に丸いのを乗せようと頑張っている。何度も落ちて、首を捻り続けていた。
見ている内に、長峰は辛くなってきた。ぎゅっと拳を握って後ろを向いた。
「どこに行く?」
いつの間にか、白河が後ろの壁に寄りかかって自分を見ていた。
廊下は人がギリギリすれ違える程の幅しかない。長峰は知らん顔で白河の横を通り過ぎようとする。案の定、腕を掴まれた。爪が食い込む程の力が込められている。
「理事長は全てを話している。これ以上問い詰めても苦しめるだけだ。警察に行ったところで、お前を相手にはしない」
どうしても手に力が入ってしまうのは、そうでなければ長峰を止められないからだ。放っておくと何をするか知れない。
「だからお前がしようとしてる事は、お前に出来る事じゃない。お前が出来るのは、そこのドアを開けて中にいる奴に顔を見せる事だ」
バッと腕を振りほどく、長峰の瞳にボッと激しく炎が灯る。
「貴女は警察の方なんですよね?事件が起きている事を承知していて・・・だったら何故、るりあを救ってくれなかったの!?」
「・・・この事件は、楠の単独犯ではない。莫大な資金の流れがそれを物語っている。恐らくは海外の組織だ。そして、そいつらにとって女子高生一人消すくらいは訳ない。だから首を突っ込むな、これは警察がやるべき事だ」
「答えになってない!!」
叫ぶと同時に正面を向く。しかしその瞬間に、白河の長い腕が首にあてがわれ、壁に叩きつけられる。
「いいか、聞け!私が命じられたのは、楠をマークし泳がせるという物だった。組織の全容を知るため・・・そうしなければ、日本のどこかでまた同じ研究が繰り返されるだけだ。それは既に現在進行中かも知れない。ここで抑えねば大勢の犠牲者が出続ける!」
身体の自由を奪われた・・・だがこんな目に合うのは三度目だ、いい加減慣れた!左腕に力を込め、鞄を相手の脇腹に投げつける。態勢が崩れて、腕の力が緩んだ。頭をするっと抜けさせて、胸元に頭突きを入れる。
(少しばかり、話に夢中になった・・・)
白河の油断を突いて反撃に成功した。
逆に壁に押し付けて、背が足りないから精一杯腕を伸ばす。白河のシャツの襟を掴んで、拳を交差させて十字に首を絞め上げた。
「職務に忠実!?いい警察官ね!せいぜい出世するといいわ!!」
首を抑えられてはいるが、手足は自分だ。その気になれば直ぐにでも振りほどける。だが、それをしない。
「と、言うのが建前だ。疑問に感じない時は無かったさ・・・その内に気づいたよ。誰かが動いてる、警察に影響を及ぼせる誰かだ。『天才を創り出す研究』に興味を持ち、楠に続けさせたんだ。私はそいつを炙り出そうとしていた」
白河の瞳が長峰から逸れた。後ろのガラス窓の向こうに向けられている。
「結局あいつに台無しにされたがな。それも止む無しか・・・」
「いくら聞いても納得なんて出来ない!貴女がした事は・・・!」
視線の先にるりあを捉える、白河の細い瞳の端からすーっと涙が流れた・・・破顔はしていない。ただ一筋の涙だけを流していた。
「ああ、見殺しにしてきたよ。あいつだけじゃない、他に何人もだ」
涙が長峰の拳に落ちた。それは温かくなくて、冷たい・・・この人の凍えた心の顕れだ。
「諦めはしない。残った証拠から組織と『誰か』を割り出す、必ずだ・・・それで自分の十字架を下ろせる訳では無いだろうがな」
「その通りよ。貴女は絶対に許されないわ」
両手から自然に力が抜けていった。白河を離し、同じようにガラス窓の向こうへと視線と気持ちを向けた。
るりあは未だに積み木を転がし続けていた。やるせない気持ちが湧き上がり、思わず目を逸らした。
今度は長峰が油断していた。後ろから長い腕が巻きついて、抱きつくようにしながらガラス窓に頬を押し付けられた。
「何よ!まだやるの!?」
「いいから聞け!聞け!!我々警察に出来るのは、起こってしまった事件に決着をつける事だけだ。それは根本的な解決とは成り得ない。社会に『悪』が潜み、犠牲者を生み出す・・・その連鎖をある程度食い止められるとしても、失くす事は叶わない」
暴れる長峰の顔に掌をあて、半ば強引にるりあの姿を見せる。
「見ろ!あいつを見ろ!!あいつは純粋な被害者だ!食い物にされた弱者だ!ああゆう可哀想な奴が生み出されない社会を創る・・・」
また一筋流れた。その涙は哀しみの故ではない、願いを込めた熱い想いの顕れだ。
「それが出来るのは、お前やお前達若い奴らだけだろうが!?それがお前に『出来る』!!・・・ことだろうがっ!!」
はっとした想いに駆られた。身をよじるのを止めて、白河と真っ直ぐに向かい合った。
「頼むから危険な真似をするな。感情に任せて、軽はずみな行動をとるな・・・未来を見ろ。それがお前の責任と胸に刻め」
(『教師になる』それはゴールじゃない。その先にある未来・・・私の責任、私の夢)
軽く涙を拭う仕草をした白河に、長峰は微笑みを浮かべた。
「言いたいことはそれだけですか?随分と乱暴なお説教ですね」
「相手がお前でなければ、こんな苦労はしない。熱くなって語る事もしないさ」
時間が、急にゆっくりと流れ出したようだった。
すでに白河の姿は無い。エレベーターが1階へ向けて動いている。
ゆっくりと、深々と頭を下げた。
(ああ、また大切なことを教えられた)
少しだけ回顧する。自分はこの短い期間に、どれだけの人に出会い、どれだけの事を教えてもらっただろう。
廊下に鞄が転がっていた。
(最近、めっきりお行儀が悪いわね私は)
鞄を拾い上げると、白いチャームが揺れた。
ドアノブに手を掛けて開く。甘ったるい子供の匂いがする『遊び場』を、懐かしい親友の元へと歩いていく。
転がってきた丸い積み木を拾って、手の届く所でしゃがんだ。
見慣れない人に首を傾げる少女は、初めて逢った時を思い出させる、ボサボサの髪の毛をしていた。
「はい、積み木・・・何作ってるの?」
手渡すと、子供のような笑顔を見せる。
「ありがとう!おうちの屋根。空にお月様が出てるの」
「そう、お月様ね。でも平たい屋根の方が、お月様は居心地がいいのよ」
るりあは三角の屋根を外して、四角い積み木を乗せる。丸い積み木は、その上で何とかバランスを保った。
「よかった。これでお月様とずっと一緒だね」
「おうちには、るりあが住んでるの?」
「るりあ?そう、わたしの名前、るりあって付けてもらったの。るりあとお友達!」
視界が揺らいだ。瞳に涙が浮かんで、言葉が出せなくなってしまった。
でも助かったことに、るりあは鞄の横に付いてるふわふわした物に気を取られたようだ。
「可愛い!」と喜ぶから、外して目の前で揺らしてあげた。
近くで、じーっと見た。
「同じの持ってる!ほらっ」
パジャマのポケットから取り出した物を見せてくれた。綿毛は全部失くなって、よれよれのストラップとチェーンの金具だけ。シミだらけで真っ黒になって、チェーンは錆びついてしまっていた。
それでも、るりあはこれを『同じもの』と言った。
(心のどこかで憶えてるんだね・・・)
「これね、るりあのお友達も持ってるの・・・」少し首を傾げた「同じの持ってると、お友達だよね?」
「そうね、1番のお友達、『親友』ってゆうんだよ」
「そっか!じゃあ『しんゆう』!」
るりあは笑った。無邪気に子供のように、嬉しそうに、幸せそうに・・・鈴の音のような笑い声を響かせて。
後になって、長峰 遥は思い返す。
(あの時自分は、きちんと笑顔を返せただろうか?)
涙声になってしまったように思う。目が真っ赤だったように思う。
随分と後になってからも、ずっとずっと・・・その想いが胸を離れない。
『続 いじめ研修』おわり
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