第三章 月明かり

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第三章 月明かり

涙に濡れる瞳を、るりあは空に向けた。教室の窓の先には星ひとつ見えない・・・暗闇が広がるばかりだった。 戸賀は学生服の上着を脱ぎ、ついでベルトに手を掛けている。 はぁはぁ・・・という息遣いをさせながら、よろよろと気配が自分の足元から登ってくる。 怖くて見れない。男の手が、自分のスカートを捲り上げたと感じた。 (ああ・・・もう・・・) るりあの心は悲しみで満たされた。悲しみやら嘆きやらで。 ・・・確か1年の6月からだ。別に自分は何をしたつもりもない。ただ家にお金が無いから、制服は一着だけで洗えなかったし、給食費が払えないからおにぎり持ってきた。勉強なんて全然分かんないから、テストの点も悪かった。それだけ。 小学校も中学校も同じだった。TVもゲームも持って無いから、輪から外れて・・・こんなもんだって諦めてた。 霞城って人に睨まれた。それから酷くなった。 (私はただ諦めて、じっと我慢して。何が悪いのか分からなくても、謝って。時には土下座して、許しを求めて。 我慢して我慢し続けて・・・いつか終わる筈って信じて・・・なのに、その結果がこれなの?こんな風にして・・・) 女性として大切な物まで、当たり前のように奪われてしまう。それでも我慢し続けるしかない? 次にるりあの心を満たしたのは『絶望』だった。目にする空に、僅かな光を見い出すことも出来ない。 (こんなの酷い、酷すぎるよ・・・) その時だった。突然、るりあの身体を金色の光が覆った。 るりあの脳裏に、幼い頃に児童図書館で見た絵本の一場面が浮かんだ。 貧しい可哀想な女の子の元に、天使が降りてくる・・・それは眩い光に包まれ、真白く輝く羽をひらめかせて。 天使が女の子の頬に優しく触れると、女の子も美しい天使の姿になった。二人の天使は手に手を取って、眩く柔らかな光の彼方へと飛び立ってゆく・・・ この夜の月は、校舎の廊下側に出ていた。廊下にずらりと並ぶ大きな窓からは、月明かりが射し込んでいた。 だから、真っ暗な教室に月の光が入り込んだという事は、誰かが扉を開けたという事を意味していた。 教室の扉に手を掛けたまま、長峰 遥は呆然とした。 目の前の光景に面食らった、これはどうゆう事なのかと・・・ (机に女子が寝ていて、男子がその上に覆い被さろうとしている?) だが次の瞬間、月明かりが机の脚元を照らした。縄で縛られた女子の手首が、長峰の目に飛び込んだ。 状況を理解すると同時に、彼女が元来持ち合わせる正義感に火がついた!長峰は教室に飛び込み、この短い距離を全速力で走った。その勢いで、男子の身体を側面から両腕で突き飛ばす。 彼の身体は何だか軽く、ひらひらと風に舞うように飛んだ。そしてゆっくりと落ちていった。 窓側に積んであった、机と机の間に落ちたらしい。それを確認した上で、長峰は女子の傍らに膝をついた。 手首の戒めを解こうと手を掛けたが、思わず震えが走った。 月明かりに浮かぶ女子の手首は、固結びでギウッと縛られ、指先が第一関節まで紫に変色していたのだ。 (ここまでする?同級生の女子に・・・なんでこんな事が出来るの!?) ガタン・・・と音がした。机に手を掛けて、男がゆらゆらと立ち上がったのだ。 闇に包まれて、表情を確認することは出来ない。上半身をふらつかせながら、ゆっくりと近づいてくる。 「なんだぁ?お前・・・」発した声までゆらゆらしている。まるで酒に酔っているかのようだ。 「ルールを知らないのかぁ?『いじめ』の邪魔すると、お前が『いじめ』られるんだぞぅ」 この男の言い草を聞いて、長峰は立ち上がった。瞳に炎が燃え上がる。 「これが『いじめ』!?ふざけんじゃないわよ!こんな真似して、ただで済むと思ってんの!?」 言葉と同時に行動でも怒りを示す。再び突き飛ばし、男はまたも紙屑のように舞っていった。 長峰は素早く動き、両手首の縄をなんとか解いた。正面に回ってみると、足の戒めは更に強烈で、足から脛までを縄が覆っている。脛やふくらはぎの辺りには、縄で擦れたであろう内出血の跡が痛々しく浮き出していた。 目を覆わんばかりだが、まごまごしてられない。男がまた立ち上がるかも知れないから。 (でも・・・)長峰は机の上の女子をちらっと見た。 (自分でも少しは助かる努力をしてくれないものかしら?) るりあは自由になった両手で、顔を覆ってめそめそ泣いている。 (よっぽど怖い目にあったのだから、まぁ仕方ないんだろうけど・・・) 長峰は軽く溜息をついた。その瞬間、僅かばかりの油断をしてしまった。 男は、今度は物音ひとつ立てていなかった。いつの間にか後ろに立ち、長峰の両脇を抱えた。 とっさに抵抗しようとする長峰の身体を、床に引きづりながら、壁へと放り投げる!壁にぶつかって転がった身体を起こし、首に両手を掛ける。そして壁に押し付けた状態で、高く持ち上げた。 戸賀という男は背が高い。その背を超える程に持ち上げられ、長峰の足は宙ぶらりんになった。 さっきまでのふらふらした姿からは、想像も出来ない力強さだった。そして首吊りを解こうと、両手で抗うが敵わない・・・次第に息が絶え絶えになってゆく。 「・・・ただで済まないって?いいんだよ、もう俺は」 震える声が聞こえてきて、初めて男の顔を直視した。 彼は激昂しているのでも無く、嘲笑っているのでも無かった。何かに怯えるかの様に、青ざめていたのだ。 「どうせもう終わりだ。俺の脳はもう限界なんだ・・・」 長峰の意識も薄くなっていた。彼の言葉を殆ど理解出来なかった。 不意に、首を掴む手が少し緩んだ。長峰は最後の力を振り絞って、宙に浮かんだ足を振り回した。足は壁を強く蹴り、反動で二人の身体は倒れた。男は背中から真っ直ぐ、硬い床へと落ちていった。 身体を起こし、長峰は激しく咳き込んだ。息が繋がって、ようやく生きた心地がした。倒れた際のダメージは無かった。戸賀の身体がクッションの役割を果たしてくれたのだ。 だが倒れた時に、確かに『ゴツン』という鈍い音を耳にしていた。 長峰は、自らの下敷きになって横たわる戸賀に目を向けた。仰向けに目を閉じている表情は、不思議と穏やかだった。 血の気が失せ、月明かりに真っ白く浮かび上がる彼の顔は『安らかな眠りについた』という表現がぴったりに思えた。 長峰は、怖る怖る彼の手首を取って脈を診ようとした。続けてシャツの胸に耳を当てた。 『ドクン!ドクン!』という音・・・だがこれは戸賀の物ではない。彼女自身の心臓の鼓動が高まっているのだった。 「・・・死んでるの?」 後ろからの声に、その心臓が飛び出そうになった。すぐそこに、ピタッと寄り添う程近くに、るりあがいた。 脚の戒めは自分で解いたらしい。涙は治まったようで、今は目の前の状況に興味深々となっていた。 長峰はしゃがんだまま後づさった。次第に事の重大さが意識の中に芽生えた。 「・・・死ん・・・でる・・・」 震える声で繰り返した長峰は、その言葉に言いようもない恐怖を感じた。全身の血が引いて、流れ出ていくかのような感覚! 「いやーーーーーーー!!!」 両手で頭を抱えて床に伏した。長い髪を振り乱して嘆き続ける。 「いやーーー!いやぁいやぁーー!!」 (私のせいだ!私が倒したせいで、頭を打って・・・死なせてしまった・・・殺してしまった!!) 「せ、正当防衛だよ!!」 るりあが反射的に叫んだ。 (だってこれは・・・そう、そうだよ!これはどう考えたって、あっちが悪いんだし!!) 「私のこと助けようとしてくれたんだし、倒れたのは事故みたいなもんだし」 彼女の嘆きは留まるところを知らない。るりあは必死で考えて、言葉を探した。 「私がちゃんと言うよ!先生にも、警察にも!ちゃんと説明する!あなたは悪くないって・・・例えば裁判でも!!」 声は響いていない!それは明らかだ・・・でも、なんとかしなきゃ! この人が壊れちゃう!! 「私が・・・私が・・・」 その時、るりあの瞳は目の前の少女の姿をしっかりと捉えた。 (こんなに震えて・・・こんっなに小さくなって・・・) るりあの心に、今まで感じたことのない感情が芽生えた。何より勝る強い意識が、心を全身を満たしてゆく。 ・・・とても、とても幸せな感覚だった。 すーっと両腕を広げた。それはまるで、親鳥が雛を包み込むように・・・るりあは背中から少女の身体を抱いた。 「私が守ってあげる・・・守ってあげる・・・」 るりあは、少しずつ彼女の身体が暖かくなってゆくように感じていた。 抱き合ったまま、二人の時間がずっと続いていくような幻想を、何故か違和感なく信じていた。 だが、それはやはり幻想でしか無かった。教室の中に音もなく現れた人影が最初に向かった先は・・・ 横たわる男子生徒でも無く、抱き合う女子生徒達でも無い。三脚のハンディカメラだった。死角から近づき、RECを停止する。 その後ようやく、倒れた男子の様子を伺う。るりあが人影に気づいたのはこの時だった。月明かりのおかげで、その女性が誰かは識別出来た。ただ同時に、(なんでこの人が?)という疑問が湧いた。 「おい、運べ」 闇に向かって彼女は言った。 「へえ〜い、ごみ捨て場っすか?」 闇に姿を隠した状態で、もう一人男がいる。彼女はまるっきり冷淡に、闇の男と会話をする。 「いや、まだ息がある。病院だ」 その言葉に反応したのは、小さくなっていた長峰だった。 「えっ?生きてる!?」 身体を起こし、タタッと前に踏み出しかけた。 その長峰のお腹を、細長い腕が捉えグイッと押し戻した。長峰は後ろ歩きの体勢で、るりあに迎えられた。 びっくりして目をぱちくりさせていると、謎の女性からの詰問が飛んできた。 「お前は誰だ?見ない顔だけど?」 「ながみね はるかです。2学期から転入してきました」 戸惑いながら答え、救いを求めて同級生に視線を送った。 「物理の白河・・・先生。2学期は化学だから、あなたは知らないと思う」 白河先生は片膝をつきながらも、背筋をすっと伸ばしている。そして長峰を突き返したにも関わらず、姿勢を崩していない。 長峰とるりあが白河先生に気を取られている内に、男が闇から姿を現した。 ぐるりとツバのある平たいハットを深く被り、バイザーみたいな大き目のサングラスで目元を隠した男だった。唯一露出している口元に、皮肉っぽい笑みが見て取れる。 「息がある?生きてるって言えるのかねぇこれ」 男はさして逞しくは見えないが、ひょろ長い戸賀の身体を軽々と担ぎ上げた。 そして長峰とるりあには、まるで無関心で前を素通りして行った。この時長峰は少し眉をしかめた。るりあは「あっ」と思った。 強い香水や、変わった煙草が混ざったような匂いがした。恐らく男の服に染みついている物だろう。それに対し、少しだけ懐かしい記憶を、るりあは思い起こしていた。 男が再び闇に消えると同時に、白河先生が長峰とるりあの前に立ちはだかった。 長い脚を伸ばすと、身長は170センチ以上に達する。小柄な生徒達を優に見下ろす体勢で、今後の指示を出す。 「転入生の話だけは聞いていた。寮生だな?すぐに帰れ・・・それからお前」 るりあはビクッとした。他の多くの生徒同様、この怖い先生が苦手だった。 「もう遅いから寮に泊まれ。寮母には話を通しておく」 「あ、あの!」 これで終了っぽい雰囲気に、長峰は慌てて声を発した。 「戸賀君は本当に大丈夫なんでしょうか?病院ってどこの・・・」 「私は医者じゃないから何とも言えない。詳しい話は明日になるだろう」 心細い生徒に対し、とても先生とは信じ難い冷たい言い草だった。 しかし長峰は「分かりました」素直に従った。 生徒達がすごすごと寮へ向かった後、白河はスマホで誰かに連絡を取り始めた。 「はい、被害者は予見通りです。そちらへ搬送しました。理事長は事前に了解済みです」 白河は少し前を空けて、次の報告に入った。 「イレギュラーが一点あります。被験者が倒れた際に目撃者がいました。はい、何故か被験者は学校にいたので。2名の女生徒です。今夜のところは所在を抑えていますが・・・」 彼女の次の言葉は、途轍もない闇を含んでいた。 「処理しますか?」 電話の相手は少し考えたようだが、逆に質問を返したらしい。 「そうですね・・・私の見解では、事実を知ってはいないと思われます」 「・・・無闇に死体を増やしたく無いしなぁ」 妙に『軽い』男の声が返答した。 「では、後の事は私にお任せ下さい」 白河は月の光を嫌うようにして、暗闇の中へと足を進めていった。 女子寮で寮母に迎えられた。るりあは3階の空き部屋をあてがわれた。 長峰の部屋は1階の一番奥だと聞いた。既に23:00、部屋の行き来は禁止されている時間だ。すっかり落ち込んでる長峰の事が気にはなっていたが、なにせ自身にとっても大変な一日だった。ベットに横たわると、るりあは直ぐに眠りに就いた。 長峰は・・・長峰は眠れずにいた。眼鏡を外した瞳をぱっちりと開いて、真っ暗な闇を見ていた。 (大変な事をしてしまった。私はもう・・・もう、教師にはなれないかも知れない。この夢を抱いてから今まで、私は幾人もの先生達にお世話になってきた。その気持ちに答える為にも、立派な教師になろうと決意してきた) 涙が浮かんできた。でも闇はぼやけることも無く、彼女の周りを覆っていた。 (もうそれも叶わない。なんてお詫びをしたらいいのだろう・・・) 涙が流れる感触がした。それでも真っ直ぐに闇を見つめ続ける。 不意に、『闇』の持つ属性である『静寂』に歪みが生じた。 長峰は身体を起こし、ベット脇の机から眼鏡を手に取った。机の正面に大きな窓がある。 カーテンを引き、窓に顔を寄せる。続いて錠を外して外の世界に意識を向けた。 微かだったその『声』は確かにしていた。寮の建物の陰、校門との間の芝生の中から聞こえてくる。 確信を得た長峰は・・・なんと!優等生なのに!寮内用のスリッパを掴んで、机に乗っかった。そして窓から外に飛び出した。 外に出てみると、夜の世界に月の光が暖かく降り注いでいた。 スリッパの足音を忍ばせて芝生に入る。『声』がはっきりと聞こえる程に近づいた。長峰は思わず頬をほころばせた。白い仔猫が、低木を覆う蔦に絡まって抜けなくなって鳴いていたのだった。 蔦をちょっと払ってあげると、自由になった仔猫は校門の方へぴょんぴょん跳ねて行く。校門下に小さな穴があって、そこから入ってきてしまったらしい。 穴に入ろうとする寸前に、仔猫は足を止めた。まん丸くなった瞳で、助けてくれた人間をじーっと見つめる。長峰はしゃがんで仔猫を見送っていた。 涙の跡は残ったままだった。でも自然と微笑みを浮かべられた。月明かりが映し出す仔猫の姿は、とても可愛いらしかった。 『小さな命』に触れることで、僅かばかり心が軽くなった。 翌日、長峰とるりあは学校を休むこととなった。そして昼過ぎに女子寮を訪れたのは、田山先生だった。 「何があったのか、私も詳しくは聞いてないんだけど・・・」 相変わらずの頼りない発言を口にしつつ、男子生徒が昨晩急に入院したという、大学病院へ連れ立って行く。 どうやら誰かに指示されてるらしい。そう感じたるりあは、副担任の先生に質問してみた。 「白河先生に頼まれたんですか?」 「白河先生?なんで?理事長からよ。あなた達が心配してるだろうからって・・・たまたま居合わせたのよね?」 「・・・まぁ(じゃあ本当のところは聞かされて無いんだろうな)」 るりあは基本的に、この先生をあてにしていない。もっとも先生全てが、るりあにとっては同類だが・・・ 長峰は言葉少な目に、道をしっかりと確認しながら歩いていた。 徒歩15分程で到着すると、会議室に案内された。広い会議室に3人でポツンと座って暫し待つこととなる。 説明にきたのは年配の看護婦で、担当医師の代理ということだった。 「残念ながら芳しくはありません。集中治療室に入っていて、面会謝絶です」 ずうーんと長峰が落ち込む姿を、るりあはちらちらと見ていた。 「ではこれで・・・」田山先生が立ち上がったタイミングで、別の人物が会議室を訪ねた。 スーツに眼鏡、髪は七三分けの中年男性が、生徒達と話をさせて頂きたい、と丁寧に申し出たのだった。 田山先生は戸惑ったが、「理事長の了解を得ている」と言われて、「それなら」と引き受けた。でも問題が一つ・・・ 「先生、午後の授業があるのよね」と、困ったような声を出す。 「大丈夫です、先生。道も憶えましたので、私達だけで戻れます」 はっきりと宣言する。そして長峰は、青ざめてはいるものの、顔を上げてしっかりと前を向いた。 中年男性が何者かは、この時点では分からない。しかし、自分に話があるというのなら謹んで聞かねばならない。それが例え、自身を糾弾するものであるとしても・・・長峰はどんな事だとしても、甘んじて受ける覚悟を決めていた。 るりあはその辺ピンときてはいないが、長峰と一緒にいなければと思っていた。 こうして、田山先生と看護婦が席を立ち、女生徒2人だけが男性と向き合う事となった。 「私は弁護士です。戸賀君のご両親から依頼を受けました。あなた方へお願いがございます」 『お願い』というのが良く理解出来ない。長峰は男性の真意を掴めずにいた。 「今回の件を公にしないで頂きたいのです。勿論、警察に連絡する事もです」 「そんな訳には!」 長峰は思わず立ち上がった。そんな彼女に対し、弁護士は平伏するかの如くに頭を下げた。 「彼は現在植物状態です。しかし、目を覚ます希望をご両親は捨てていないのです。その時もし、今回の件が知れ渡っていたらと・・・」 続いて弁護士は、るりあに向いて頭を机に押し付けんばかりに下げた。 「あなたにとっては、到底納得出来ない事とは思います。しかし、何卒ご了承願いたいのです」 るりあは今までの人生で、こんな風に人から頭を下げられた経験は無い。どうしたらいいか分からずに、目をぱちくりさせていた。 弁護士は少し顔を上げ、憐れみを抱かせる表情を作った。 「あなたも昨夜の事件を、あまり大っぴらにしたくは無いのではないですか?」 るりあは特に何とも思って無かった。ただ、長峰が無事ならそれでいい・・・だから、この申し出に乗るのが正解だと思った。 「うんっやだ!誰にも知られたくない!!」 多少大げさに言ってみて、長峰の反応を伺う。 ドサッと長峰が椅子に腰を落とした。彼女の心に様々な想いが交差する。 (私は自分のことばっかりで、自分の仕出かした過ちを償いたい一心だった。 戸賀君の気持ち、ご両親の気持ち・・・そして、るりあの気持ちにも心を配ることが出来なかった) 深く俯き、自己嫌悪に苛まれる。 (私は恥ずかしい!自分が楽になることばかり考えて・・・なんて身勝手な人間なんだろう!) 「気持ちは分かります。黙っている事の方が辛いでしょう。それでも彼とご両親を救って頂きたく、お願いいたします」 弁護士の言葉が、遠くに聞こえてきて・・・長峰は声も無く、項垂れるかの様にして頷いた。 帰り道の間、長峰は無言だった。るりあは実は、大変な焦りを感じていた。 15分の道のりを、何の会話もせずに、もう10分歩いてしまった。ついさっき、自分の家に向かう為の曲がり角を通り過ぎた。 学校の建物は既に視界の中にある。校門をくぐって直ぐ横に女子寮・・・間もなく到着してしまう。 女子寮の前で、「じゃあね」と言ってお別れ。それでお終い。 ちらっと、横を歩く級友の顔を伺う。長い綺麗な髪に隠れんばかりの小さな顔に、憂いを帯びた表情を浮かべている。 (・・・明日学校で会ったら、彼女は私と話してくれるだろうか?それどころか、目も合わせてくれないんじゃないだろうか・・・他の同級生に言われて、私を避けるようになるかも・・・いや、きっとそうなるに違いない!) 校門が見えてきた。あと何メートル?あと何十歩で着くの? (ダメだ!このまま別れたらダメだ!何とかしなきゃ・・・なんとか・・・) 「あっ!あーっそうだった!どうしよう!!」 突然突拍子もない声を発した。驚いて、長峰は顔を上げた。 「明日、数学の小テストだ〜どうしよう、全然勉強してないよ!」 独り言のようなスタンスではあるが、るりあは必死で長峰に訴えている。実際は小テストなんか、どうでもいいのだが。 (そう言えばそうだったわね) 長峰はぼんやりと思っていた。 「どうしよう!?また20点とか取っちゃうよ!」 この言葉に、長峰は意識を取り戻した。 (20点!?見たことも聞いたことも無い点数だわ!) 嘆くるりあの手を、長峰が両手で包んだ。 「まだ時間があるわ。公立図書館に行って勉強しよう」 長峰持前の行動力が発動した。スタスタと寮へ入り、互いの鞄を持ち出すと寮母に「出掛けてきます」と宣言する。 そして再出発、今度は病院とは反対方向の図書館へ向けて、20分程歩く事となる。 これで時間延長・・・るりあはホッと胸を撫で下ろしていた。 自分で言い出した事とは言え・・・るりあは参っていた。なにせ問題が全然分からない。熱心に教えてくれる長峰に申し訳なくて、冷や汗ばかりが滴り落ちる。 「少し戻ってみる?」 参考書の最初のページを開いて見せられたが、やはり分からなかった。 「じゃあね・・・」 長峰がさらさらっと、ノートに問題を書いた。けれど・・・ 「分かんない・・・」 るりあは、いい加減呆れてしまっているだろうなと思った。 しかし、長峰は諦めない。一度席を立って、別の参考書を携えて戻ってきてくれた。るりあは嬉しく思う反面、ガックリきた。彼女が持ってきたのは、中学一年の参考書だった。 (情けない、申し訳ない・・・) るりあはすっかり自己嫌悪に陥った。しかも、もう夕方の閉館時間が迫っていたのだった。 「じゃあ借りて、家で勉強してくる」 精一杯明るく言った。 心の中では、祈るように想っていた。 (どうか、彼女が自分に呆れて嫌いになってしまいませんように・・・) 溜息をつきながら受付へ。その間に長峰は、ふと出口付近に何かを見つけた。小学生なんかが良く溜まっている場所に、数機のガチャガチャが据えてあった。 こんな平日の閉館間際では子供達はいないので、高校生2人でじっくり眺めることが出来た。 「お金を入れてハンドルを回すのね?」 この発言からして、どうやら長峰はやった事がないらしい。るりあは(いい機械・・・いや、機会を見つけた!)と思った。 可愛いらしいチェーン付きの小さなチャーム・・・たんぽぽの綿毛みたいな、ふわふわした丸い飾りが付いた景品を指差して、長峰の顔を覗き込む。 「じゃあやってみよっか」 そう言って小銭入れを取り出した。でも中身は・・・銀色のコインが2枚。あとは10円玉と1円玉。 (これ使っちゃったら、今夜のご飯・・・) 頭を過ぎった思いを、すぐさま否定して100円玉を摘まんだ。 (いいんだ!食べなきゃ) じーっと物珍しそうに見つめる長峰の視線を感じながら、ハンドルに手を掛け、 「赤いのがいいなぁ。赤いの出ないかな・・・赤いの、赤いの・・・」唱えながら回す。 出てきたカプセルを開けて、溜息混じりの声を発した。 「あ〜あ白だった〜」 一連のるりあの様子を眺めていた長峰が、「私もやる!」と言い出した。 「赤いの出たら交換しましょうね」 微笑み掛けてから、るりあに習ってハンドルに手を掛ける。 そして、これもるりあに習って祈りを込める「赤いの、赤いの・・・」 長峰の後ろで、るりあはぐっと両手を合わせた。まるでマリア様に祈りを捧げるように・・・真剣に願いをかけていた。 ハンドルを回し、緊張の一瞬。長峰は息を飲んでカプセルを開いた・・・そしてチェーンに指を掛けて、景品を引っ張り上げた。 2人の視線が絡まる中心に、ふわふわした綿毛が飛び出した。長峰は呆然と見つめる。 「・・・白」 「あははっそんな物だよねっ!」 るりあは笑いながら、白い綿毛のチェーンを自分の鞄に取り付けた。 「そこに付けるのね」長峰も早速、るりあに習うこととした。 茜射す夕暮れの帰り道。図書館から学校へ向かう道筋には大きな川があり、川沿いの土手の上の道をしばらく歩く。 清涼感に富んだ川の流れは、夏の暑さを和らげてくれる。爽やかな風も心地よく肌にそよぐ。 川幅は広いが浅いようだ。学校帰りの子供達が、半ズボンでバシャバシャと遊ぶ姿が目に入る。 遠目に子供達を眺め、頬をほころばす長峰の横で、るりあも笑顔だった。 「子供は元気よね」 「えっ?あーそうだね」 (子供達を見て笑ってたんじゃないのかしら)長峰は少し不思議だった。 るりあは笑っていると言うより、何だか嬉しそうだった。勉強の事も、夕ご飯の事も頭から消えていた。 そんな事は、もうどうでも良くなっていた。 ただ夕陽の中を並んで歩いて。夕焼けに照らされ、長く伸びる2つの影が寄り添うように見えて。 シルエットの中で、小さなふわふわした物が揺れている・・・鞄の端っこで。 るりあの願いは叶っていた。 真っ白い、2つのお揃いのチャームが、風に吹かれて揺れていた。
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