第八章 すれ違い

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第八章 すれ違い

3-Aの教室へ生徒達が戻ってきた。前の時間は化学実験室での授業だった。 霞城 珠瑛琉は見るからに不機嫌な顔をしている。以前から教室移動を面倒臭がっていたが、今はそれをネタにぐだぐだ文句を言う相手すらいない。 両脇と後ろが空いている、ど真ん中の席にどっかと座って教室を見渡す。 唯一残った仲間の筈の菰野は、一切彼女に近寄ってこない。未だに指に包帯を巻いていて、自分の席でどんよりとしている。 サッカー馬鹿の男子共はギャーギャー騒がしいが、彼女と目が合いそうになると慌ててそっぽを向く。それは大概のクラスメイトが同じ事で、不機嫌な霞城と敢えて関わろとする者はいない。 ちらっと教室の最前列に視線を送る。転入生とかゆう奴の姿は見えない。最後に斜め後ろを向いた。廊下側の最後尾で、るりあはしれっと参考書を開いている。 (いつの間にか髪型を変えて、制服も新しくしてやがる!) ぎりっと歯ぎしりをする・・・苛立つばかりだ。 だが今のところは。あと何日かすれば、両隣の奴らが登校してくるだろうし、それからだ・・・そう思って堪えていた。 実際のところ霞城は、副島・下谷・菰野の身に何が起こっているのかを知らない。そして戸賀の死に関しても、母親から「あなたが気にする事じゃない」と言われてしまっては、聞き出す術もない。 何も知らない『裸の王様』状態と言えた。 「くそっ!」小さく吠えてはみるが、返事があるでもない。仕方なく次の授業の準備を始めた。 机に手を入れ、英語の教科書と辞書を取り出す・・・「ん?」僅かな違和感を覚えた。霞城は割と神経質な性質だ。 (辞書の位置が違ってる?誰かが触ったのか?) 疑心暗鬼に囚われて、机の中を全部出してチェックしてみた。 霞城が他の生徒の様子を伺っていたように、逆に彼女を盗み見ている者もいた。 一通りチェックを終え、(気のせいか)と安堵する霞城を後にして、るりあは教室から出て行った。 化学実験室は、他に音楽室等の特別教室が入っている校舎の別棟にある。特に1階は、物理室や薬品倉庫といった化学系の教室が並ぶ。授業が無ければ、まず生徒の姿を見かけないエリアとなっていた。 その廊下を、長峰は一人で歩いていた。前の授業の終了後に質問をして、化学実験室に留まっていたが故だった。それ自体は実に有意義だった。だが化学の先生は爺さんで、話すのがゆっくりで・・・次の授業に遅れてしまいそうになっていた。 廊下は走れないので、早足で進む。真っ直ぐに続く廊下の曲がり角までは、随分と遠くに感じられた。 不意にその曲がり角から人影が現れた。背の高い白衣の女性。 「物理の白河」るりあから教えられた。あの夜以来初めての遭遇だった。 長峰は僅かばかり緊張した、この人はどういう人なのか? (大学病院で助手をしながら、高校の教師を兼任する。ありそうな話だわ。あの夜学校にいたのも、研究で遅くまで残っていたからと考えれば・・・) そう、即ち疑念を抱く相手という事はない。彼女は長峰と同じく、真っ直ぐ前を見据えて視線を落とすことなく向かってくる。このまま進めば、ちょうど物理室の前あたりですれ違うだろう。 (話しかける理由を持っていないわ) 長峰は軽くお辞儀をして、教室へ戻る足を進めようと思った。 だがお辞儀をするということは、相手から視線を逸らす行為だった。その一瞬に、白河の長い腕が長峰の喉を捉えた。 「ぐっ・・・」声が出せない状態で腕を曳かれ、物理室に引き込まれた。 物理室は昼間でもカーテンが敷かれ、常に薄暗い。外から見られないのが好都合なのだろう・・・白河は長峰を、教室の奥で壁に押し付けた。 喉にあてた腕を少し緩めて、長峰の眼鏡の下の瞳を覗き込む。 「・・・なにを?」必死で声を出そうした長峰は、今度は鎖骨の辺りを強く押されて壁に叩きつけられた。 「いっ痛い・・・」 苦しく呻く長峰を見据える瞳は、しかし凶暴な物ではない。冷静に何かを見極めようとしていた。 「お前、楠に会ったな?何を話した?」 白河は逆の手を長峰の前髪に入れ、こめかみを探った。続けて後頭部、延髄の辺りに手を廻した。 訳が分からないままに、頭中を探られることに不快感を抱き、長峰は抵抗を試みた。しかし暴れる身体を押さえつける為に、白河は膝を腹部にあてがう。長峰は余計に苦しむことになった。 「・・・離して、下さ・・・い」 遂に懇願する様な言葉を漏らす。 白河は力を緩め、同じ質問をした。 「楠先生からは、戸賀君の死因の話をされました・・・脳の病気だったって」 「それだけか?『研究』については言っていなかったか?」 「『研究』・・・そう言えば何か口にしていたと思います。でも、理解が出来ませんでした」 「・・・お前じゃないのか・・・」 最後の言葉の意味は分からない。長峰は自由になった身体を、ずるずると壁から引き剥がし床に這いつくばった。 顔を上げた時には、乱暴者の姿は消えていた。代わりに外の廊下から、足音と話声が聞こえてきた。 恐らく白河は、その音を耳にしたから立ち去ったのであろう。 「だからさぁ何でちゃんとできなの?」 るりあの声だ。その後から2人の足音がする。 「いや、確かに机から辞書とか抜いて隠した筈・・・」 「そう、用務員室の隣の倉庫に・・・ねぇ?」 2人の声にも聞き覚えがある。 「まぁいいや、じゃあ次は靴持ってきて。私が自分で焼却炉に入れるから」 るりあが言うと、相手は明らかに戸惑っているようだった。 「勘弁してよ。霞城に手を出したりして、ばれたら・・・私達退学になるよ」 物理室の扉は開け放たれたままだった。長峰の目に、話しながら歩いてきた3人の姿が映った。 るりあは2人に対して、スマホの画面をこれ見よがしにしている。勿論、距離があるので長峰が読み取るには至らないのだが、『誰か』とラインのやり取りをしていることが伺えた。 「あんた達が使えないから、なんとかしてって言っちゃおうかなぁ」 「その『帝』って人って、まさか?」 2人は声を揃え、揃って青い顔をする。 「仲間からそう呼ばれてる人。でもイメージだよね?綺麗な顔してるのに、冷酷で残忍で・・・」 2人は声にならない悲鳴を上げて、手を取り合う。満足気な笑みを浮かべる、るりあの耳に微かな声が届いた。 「る・・・るりあ?」 声のする方・・・物理室の奥に目を向けて、るりあはあまりに意外な光景に驚いた。長峰が床に倒れて、苦しそうにしているなんて。 「遥!どうしたの!?」 慌てて駆け寄るが、長峰は飛び越えて後ろの人物を指差した。 「副島さん、下谷さん・・・」 るりあはハッとした。この状況を見られた・・・今の話を聞かれてしまった? 「うん、そう・・・私もね、たまたま昇降口で出くわしてさ。久しぶりってんで話してたんだけど・・・」 頬を冷や汗が滴り落ちる。必死で頭をぐるぐるぐるぐる回転させる! 長峰は弱々しいながらも、きっとした瞳をるりあに向ける。 「るりあ、なにを話していたの?・・・霞城さんに何をするって?」 (ダメだ!ダメだダメだダメだダメだ!察しのいい遥に、誤魔化しなんて通じない!どうしたら!?) キーンという痛みが頭を突き抜けた。 「あっ!!」両手で頭を抱える。 楠が言っていた事を思い出した。 「いいかい?理性で割れきれない事に悩まされないように。考えても仕方がない事に、脳を使うと消耗が激しくなる」 どうやらこう言う事のようだ。こうも言っていた。 「キーンときたら、直ぐに免疫を使うんだよ。でないと脳が弱って小さくなって、小さな子供の頃に戻っちゃうよ」 さすがに恐れていた。この状況では、薬を打つのが最優先とされた。注射器は教室の鞄の中だ。 後ろ髪引かれながらも、長峰を置いて走り出す。行きすがらに、ボサッと立ってる2人だけに聞こえるように苦々しく言った。 「どうしてくれるのよ?変に思われたじゃない・・・あんた達のせいで」 副島と下谷は真っ青な顔を突き合わせた。よろよろと物理室に入ってくると、長峰に合わせて膝をついた。縋り付くような目で這い寄る。 「な・・・長峰さん?違うのよ・・・私達、意地悪なんかされてないからね」 「そうよ、るりあとはうまくやってるから・・・ちょっと冗談言ってただけで」 2人は長峰の足に触れ、土下座みたいな格好で無理に笑顔を作っている。 その様は、あまりにも気持ち悪かった。 「本当・・・本当だから!お願い信じて!!」 「やめて!!」堪らずに手を払った。 2人は軽く悲鳴を上げながら、物理室から逃げ出した。 残された長峰は・・・(るりあは負の感情に突き動かされている!)叫び出したい気持ちを、必死に耐えていた。 それから10数分後、副島と下谷はコソコソと昇降口に向かった。授業中で誰もいない下駄箱の列に身を隠す・・・2人は未だ自宅待機と見なされているので、教師達にも見つかる訳にいかない。 ヒソヒソ話す声は半泣き状態だ。 「だってもう、やるしか無いよ。るりあを怒らせちゃったし、どんな目に合わされるか・・・」 彼女達が怖れる相手は『帝』と呼ばれているらしい。そして、るりあと繋がりがある事もはっきりとした。 という事は住所も知れているのだから、家に隠れていても安全とは言えない。怒りを回避することが唯一の解決策だ。 下駄箱の列から、3-Aのエリアへと入る。そして最上段の、手がぎりぎり届く位置に目指す相手の名がある。 副島がそうっと霞城の靴に手を伸ばす。下谷は後ろでキョロキョロしていた。 実行犯と見張りという役割分担だったのだが、その見張りの方が先にやられた。 「きゃっ!」という短い悲鳴と、ガンッという音。背中から突き飛ばされ、下駄箱に頭を打った。下谷は額を抑えてうずくまる。 後方の異常に反応しようとした副島は、後頭部を鷲掴みにされて振り返れなかった。そして、靴に伸ばした手首をも掴まれた。手首に、握り潰されるんじゃないかと思う程の圧力を掛けら、痛みと恐怖の悲鳴をあげる。 悲鳴の響き渡る昇降口で、再度ガツンッと大きな音が鳴った。今度は2人揃って、顔から地面にぶつかった。泣き叫んで地面に這いつくばる。そして顔を上げた時には、そこに誰も存在しなかった。確かに誰かがいて、自分達を攻撃してきた筈なのに・・・忽然と姿を消した謎の存在に、身の毛がよだった。 そしてその謎の人物は間違いなく、霞城に手を出す者を襲ってくるのだと直感した。 「ギャー!!」恐怖に駆られ、2人は昇降口から校門から逃げ出した。 一連の悲鳴や大きな音を聞いて、ようやく教師達がのっそり様子を見にきた時には、最早誰も存在しない。教師達は首を捻って、ぞろぞろと戻って行った。 能無しの教師達には、何の興味も無かった。だから、るりあは柱の陰から出てこなかった。軽い頭痛はまだ残っていた。だがそれをおして、ずっと潜んでいた事は無駄では無かった。 るりあは口元に笑みを浮かべた。 副島と下谷が見逃した『誰か』を、るりあは隠れて見ていたのだった。 頭痛を理由に、るりあは学校を早退した。今や自宅代わりとなった、繁華街の路地裏のバーへと帰る。昼間は何せ客はいない。帽子の男と悪友2名がダラダラと過ごしているだけだった。 マスターは相変わらず目つきが悪く、ぎょろっと見てくる。しかし、黙ってオレンジジュースを出してくれるのだった。 こんな連中ではあるが、仲間として認められている感はあった。 カウンターに座り、今日の出来事をとりあえず愚痴として帽子の男にこぼした。 「そりゃまずいじゃねぇか。眼鏡との仲もお終いだな」 笑えない冗談は無視すると決めている。代わりにしかめっ面をする。 「前から気になってたんだけど。『眼鏡』『眼鏡』って、遥のことそれしか憶えていないわけ?」 はてなぁ・・・と考える男に、イラッときた。 「綺麗な子でしょ?色が白くて、細身でさぁ・・・えっ?私のことはどう思ってたの?」 「ボサボサのポニーテール」 「もういいよ!」 つんっとして考えを巡らし始める。理性的な思考に脳をシフトする事にしたのだ。その横顔に、帽子の男は思うところがある。 「お前さぁ髪型だけじゃなくて、感じが変わったよな?何考えてんだ?」 彼の懸念は察知することが出来る。だがそれは秘密だ・・・この男ですら、楠の研究の全容を聞かされてはいない。 実際に経験しない限り、理解するなど到底不可能なのだ。『天才を創る』なんて言葉にしたところで・・・ 「遥にはその内ちゃんと話すよ。全部終わったらね」 「・・・って言うと、もう一人か?しかし、そんな嫌がらせみたいな真似して満足なのかよ?」 「な訳ないじゃん、今日のは下調べだよ。その為に副島と下谷を呼びつけて使ったの」 「まめなこったな。何を調べたって?」 「前に霞城にカッターで切りかかったのよ。でも『誰か』に阻止された。あの学校には確かに潜んでる・・・霞城を守る『誰か』が。教師でも生徒でも無いことは明らか。でも、学校内のどこにいても不審に思われない奴ら」 男は、軽くついて行けなくなっていた。そんなオカルトめいた話されてもなぁ。 「普通さ、学校の用務員なんてよぼよぼの爺いじゃん。でも霞城学園のは、屈強なおっさん共なんだよねぇ・・・私が調べたところでは5人は待機してる」 るりあは誰に言うとでもなく喋っているように見えた。帽子の男が横顔を見ていると、急に顔を向けられた。 「ねぇあんたの仲間って何人位集められる?」 「あん?仲間なんて、そこの2人と古い友人のグループで6人ってとこだな」 「それじゃあ2対1にもならないのか。心もとないな・・・もっと集めるには?」 「金でもばら撒けばな」男は皮肉めいた笑みを口元に見せた。 つまり冗談めかして言った言葉だ。るりあに金なんて無いのだから、何にしろ諦めろってのが本音だ。 「やっぱりお金かぁ」 しかし、るりあは更に思考を巡らし始めた。 日が落ちて間も無い時間、女子寮の夕食を長峰は断った。 食欲が湧かない。着替えもせず、ボーッとしていた。それ程までに昼間の出来事を引きずっていたのだ・・・るりあと話せないままで。 「長峰さん、電話ですよ」寮母に呼ばれた。わざわざ寮の電話に掛けてくる相手に、心当たりが無かった。怪訝な表情で受話器を取る。 「はい・・・」 しかし電話の向こうから返事は無く、ガサガサと騒音が鳴るばかりだった。 不穏な雰囲気・・・それは、騒音に紛れて微かに聞こえる女子の悲鳴で確かな物となった。耳をぎゅっと受話器に押し当てた。副島と下谷が悲鳴を上げながら遠ざかってゆく。その後の音にも耳をすませた。 ガタ・・・ガサ、ガサ・・・『エリシオン』に連れてけってさ・・・ 男の声をはっきりと聴いた。長峰は食堂に行って、清香達を見つけた。 「『エリシオン』って潰れたクラブでしょ。駅裏のコンビニが入ってるビルの地下」 千里が知っていた。ついこのあいだ駅で待ち合わせした時に、コンビニに寄ったから場所は検討がついた。 後から思えば考えなしだった。清香達が呼び止める声を聞くべきで、先生や警察に連絡すべきだった。 その時の長峰は、気持ちに急かされるままに駅へと走っていた。 ・・・30分前のこと。副島と下谷は町外れのネットカフェの一室にいた。 身を隠しながら怯えきっていた。 「長峰だよ!もう長峰に頼るしかない。あいつに、るりあをなだめて貰うしかないって!」 「でもスマホの番号知らないよ」下谷は首を横に振る。 「寮の電話!あいつ夜は絶対、寮にいるって!」 電話するのは下谷の役だった。副島の手首には、くっきりとあざが残り痺れてスマホすら持てない。 寮母が呑気に長峰を呼びに行った。そして次に受話器が持ち上がるまでの間に、男達が乱入してきた。 下谷のスマホは手から滑り落ち、カフェのどこかに紛れ込みながら音を拾っていた。拉致されてゆく悲痛な持ち主達の叫びを、忠実なスマートフォンは辛うじて繋いだのであった。 駅裏のコンビニには、会社帰りのサラリーマンなんかがひっきりなしに出入りしていた。 されど、正面側に地下への入り口は見受けられない。ビルの側面に周ってみた。裏手は信じられない程の寂しさと暗さだ。ビルの上階はアパートの様だが、殆ど明かりが見えない。 アパートの入り口と並んで、ひっそりと下へ続く階段がある。勿論、電灯は光っていない。長峰もさすがに息を呑んだ。階段の入り口まで行って、躊躇した。 (せめて、下の様子が伺えないものかしら・・・) 覗き込もうとして、階下を注視していた長峰の後ろに人影が現れた。 気配に気づいて振り向くと同時に、視界がぼやけた。白いもやが掛かったみたいに、何も見えなくなった。素早い手の動きが、長峰の視界を奪った・・・正確には眼鏡を取られただけだが。 途端にふらふら、きょろきょろし出す彼女を面白がるような声が聞こえた。 「はいはい、こっちだよ〜」 軽妙な声の男は、長峰の肩を抱いて真っ暗な闇の階下へと誘ってゆく。 薄暗い室内に、ぼんやりと人影が揺らめく。4〜5人に囲まれている・・・どうやら全員、男のようだ。気丈な心にも、不安が沸き立ち始める。 (さっき扉と鍵が閉まる音がした・・・閉じ込められた?) 「なにこれ!度強ぇ〜ぐっらぐらする」 男の内、一人だけの声が聞こえる。察するところ、さっき取られた眼鏡をかけて遊んでいるようだ。 スッと別の男が接近してきた。長髪が揺れて、長峰の頬に触れる。 「君、美人だね〜良かったよ。あっちの2人が相手じゃ俺達もテンション上がんなくてさぁ」 男は自分の顔を、身体を、品定めするような眺めている。しかし男の視線よりも気になったのは、『あっちの2人』とゆう言葉だ。見回しても見えないが、副島と下谷がいる。 「長峰さん」声が聞こえた。今の今まで、口を塞がれてたのだろうか。 (ナガミネ?・・・眼鏡ね。あ〜そういうことか) 金髪の男が小さく呟いて眼鏡を外した。露わになった美しい顔に、歪んだ笑みを浮かべる。 彼が近づくと、長髪の男は身を引くように後ろに下がった。金髪の男は長峰に顔を寄せる。本当にあと数ミリで、口づけを交わす位までに。 「君は彼女達を助けに来たの?立派だね・・・強くて美しい、正に正義のヒロインだ」 甘い息のかかる方へ、長峰は強い瞳を向ける。 「綺麗な瞳をしているね。僕の顔は、君の瞳に映るだけの価値があるのかな?」 答えはしない。ただぎゅっと拳を握る。 「きっと醜い物を映したことが無いんだね。いい機会だがら見廻してごらんよ。地下で蠢く醜い世界をさ」 それでも視線は動かさない。彼はそれに満足したように、口元を歪める。 「・・・怖くないの?」 彼の瞳が残酷な光を帯びる・・・彼女はなんと答えるだろうか?試して愉しんでいる。 「怖いに決まってるじゃない。大勢で取り囲んで・・・」 長峰の言葉に、彼は身悶えする・・・(ああ、この娘をもって苦しめてやりたい!!) 「だったら泣き叫んだら?『いや〜やめて、許して〜』ねぇ言ってよ。聞きたいなぁ正義のヒロインのそんな台詞。言ってくれたら家に帰してあげるよ・・・勿論、あっちの2人も一緒にね」 これを聞いて副島と下谷は、長峰に哀願する。「お願い〜長峰さん〜」弱々しい声が耳に入る。 瞳が震えた。心が激しく動揺する・・・決断するのに数十秒を費やした。 次の言葉を口にする時、瞳は震えていなかった。 「卑怯者」 「ははっははははっいいね!いい答えだ!!それでこそ正義のヒロインだよ。確かに君に対する僕は、卑怯な悪人だ。下劣極まりない、ただのいじめっ子だ!でもさ!!」 ぐわっと金髪を振り乱して、再び顔を近づける。そこには先程までの甘さは欠片もない、目を吊り上げた狂気の表情だ。 「立場が変わればどぅ〜だろうねぇ?君はきっと、さぞかし立派な大人になるんだろうねぇ。その時僕らを見てどう思う?『あんな人達、まとめてゴミ箱に叩き込んでしまえば良いのに』そんな事を口走るんじゃないかな〜!?」 長峰の瞳に陰りはない。しかし、彼に対する気持ちは変化しつつあった。 「その時君は・・・僕ら社会的弱者を、蔑み、見下し、踏み躙る!そうだ・・・今度は君がいじめっ子になるんだよ」 (この人は・・・すごく可哀想な人なのかも知れない) 最早接近の限界は超え、彼との距離は0ミリになっていた。長峰の瞳を見つめる彼の瞳は、ぴったりと重なっている。 だが長峰は、彼を手で振り払うことはしなかった。 (とても大切なことを言っている)と感じていた。 「いずれ君に逢いに行くよ・・・その綺麗な瞳が、どれだけ濁るか見に行くよ」 帽子の男が「便所」から戻った時、るりあは悪友の2人となにやら盛り上がっていた。 訊くと、るりあが提案してきたらしい。 「金が無くて遊びにも行けない。『親父狩り』でも行くか〜って言ってたらさ」 「只のサラリーマンなんて襲っても数万円程度でしょ?やるならでっかい標的にすべきだよ。だって考えてみて?捕まったらどっち道同じことなんだよ」 「なるほど」帽子の男も何となく頷く。 「ほら、隣町に料亭があるでしょ?ああゆうとこって、政治家とかが利用するじゃん」 悪友共は縮み上がる「政治家なんて無理でしょ」「SPとかいるし」 「違うって!政治家を襲う必要は無いんだよ。政治家と会う奴らを狙うんだよ、賄賂とか持ってくるわけじゃん。そいつらにはSPなんていないんだから、いいとこ3〜4人の会社員。計画さえしっかりしてればいけるって!」 そう言って社会科の地図を広げる。 「裏手で車を降りたところを狙って、逃げるルートを決めて・・・」 「いや、監視カメラとかあるぜ、絶対」 帽子の男は水を差そうと試みる。 「それは警察が動いたらの話。そうゆうお金って、警察に言えないでしょ?」 これもまた「なるほど」だった。 「内部の見取り図が欲しいよね。あと来客の情報・・・ねぇあんたの友達のイケメン集団に頼んで、適当に仲居とかひっかけさせてよ」 彼らの事を話題にして、るりあは昼間の副島達とのやり取りを思い出した、いい機会だから、確認しておこうとゆう気になった。 「あの金髪の綺麗な人は、なんて名前なの?」 「あん?あいつは康太ってんだ」 「ふぅ〜ん」気の無い返事をして、ついでの質問を続けた。 「あんたは何で『帝』って呼ばれてるの?」昼間のは、あいつらを脅す為の適当な嘘だった。本当の所は? 「呼ばれてるも何も本名だ」 「本名かよ!!」 素の表情を垣間見せたるりあに、帽子の男・・・帝は、少し安心して微笑んだ。 「悪かったな。名前負けで」 『月夜が美しいから出てこないか』 そんなキザな呼び出しをする男に、帝は一人しか心当たりがなかった。 川辺に放置された粗大ゴミの中から、ソファを引っ張り出して、夜のリバーサイドビューを気取って缶ビールを飲む。 イケメン集団のリーダーにして、金髪の美男子・・・康太は、友人とのそんな語らいを好む男だった。 帝と彼は幼馴染だった。小・中・高と同級生で、一緒に少年院にも入った仲だ。 彼の折角の雰囲気作りをぶち壊すように、帝はビールを吹き出す。 「なに!?まさか、あの眼鏡に!?」 康太はふぅ〜と呆れた様に溜息をつく。 「何もしてない、直ぐに解放したさ。彼女に手を出したら、君のお姫様がブチ切れるんだろう?」 「ブチ切れるなんてもんじゃねぇよ。想像するだに恐ろしいぜ」 帽子を被り直して、残ったビールを一気飲みする。その横顔を康太は見ていた。 「最近のあいつ、何考えてんだか。犯罪計画なんか練ってやがる・・・復讐も諦めてないようだし」 「理事長の娘はさすがにガード固いだろ?学校までは車で送り迎えだし、夜一人でウロつく事もしない」 彼らは10年前、霞城学園から追い出された事を恨み周囲を探っていた。以前、理事長の娘に目を付けた事もあった。 「だから、やるなら昼間学校で。あいつもそう思っているようだが・・・その為に金がいるんだと」 「君も厄介事に首を突っ込んだもんだ」 康太は違和感を感じていた。彼の友人は、皮肉屋で投げ遣りな人生を過ごしてきた筈だった。 「まさかな・・・」小さく呟く。帝が、るりあという少女と出会って・・・ (やり直そうとしている?)と一瞬思ったからだ。 「どうした?」という帝の問いには、金髪を横に振って答える。 「とにかく、お姫様のご要望通り同級生2人には脅しを効かせた。しばらくは家で引き籠るだろうよ」 「ああ、悪かった。あと、ありがとな・・・あの眼鏡は、るりあにとってよっぽど大事らしいからな」 「いや・・・」夜空のスクリーンに、康太は数時間前に出会ったナガミネという少女の姿を投影した。 華奢な身体に力強さを秘め、真っ直ぐに前を向く・・・揺るぎない意志を示す、綺麗な瞳。 「・・・そうでなくても、手は出さなかったかな」 「なんでだよ?お前は女なんて、どうなってもいいと思ってんだろ?」 それは心外だな・・・という意思を、肩を窄めて表現する。そして、遥かに闇夜を見つめる。 「壊したくない・・・と思ったのかな?今はまだね。でもまあ、いずれその時が訪れたなら・・・」 最後の言葉を口にした時、彼の瞳はぎらぎらとした光を放っていた。 「めちゃくちゃにしてやるけどね」
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