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イサックとの近すぎる距離と、これまた近すぎる距離に差し出された高そうな指輪。
この世界でも、結婚をすると、左手の薬指に指輪をはめる。
つまり、これは、そういう指輪なのだろうか?
「あの、イサック? これは、どういう……」
「はい、準備しておりました。もし、結婚、という事になれば、滞りなく、進んだ方が良いかと思いまして」
つまり、結婚する気でいる、と?
「……返事は、明日、でしたわよね?」
念のため、確認する。
今日は、部屋のカミングアウトだけの予定だったのよ、と。
「仰る通りです。けど、俺が、この部屋を気持ち悪いと、思わなければ、結婚してくださる、と。そういう、お話でしたよね」
そういう、話だったかしら? カミングアウトするってだけの話では? 駄目だ、私の伝達力が低いのか。
「え、と。一回、整理したいわ。良く分からなくて、どうしていいか、困るの」
両手を挙げて、降参してみる。だから、退いてくれ。そう言いたかったのだけれど。
私の手を見て、眼を輝かせたイサックは、なんと。
「……シャンリ様、とても、お綺麗です。とても、似合っております!」
なんと。私の左手、薬指に、指輪をはめてきた。
ええええ! ま! え、待って! 何? 何が起こったの! 何が起こっているの!
頭の中が、パニックだ。私、良く分からないって、言ったよね? 困るって、言ったよね?
イサックに受け入れてもらえるか、なんて思っていた私が、どうかしていたのかしら。
数分前の、鼓動爆発しそうな時間が、懐かしい。今やイサックの言動に、頬を引きつらせている、私よ。
「あの、イサック? これは、どういう……?」
「あ、指輪のサイズ、違いましたか?」
「いいえ、ぴったりよ。とても、そう、測ったみたいにね」
「褒めていただき、ありがとうございます」
褒めて、無いよね? どうしてサイズを知っているのか、そう聞きたかったのだけれど。
それにしても、至極嬉しそうにそわそわしているイサックを前に、仕方なく指輪に眼を向ける。
本当に綺麗な指輪。高そう。電気代を気にしていたイサックが、こんな物をくれるとは。
「シャンリ様!」
突然、両手を包まれ、びくり、と肩が揺れる。
改まってどうしたのだろう、と、イサックを見上げると、予想以上に顔が近い。私は後退出来ないのだ、閉じ込められているも同然。
それなのに。あまりの真剣な顔に、何も言えない。
先程よりも近づいている気がする。いつの間に! もう、この距離は駄目よ! 反則だわ。
「な、ななな、何かしら!」
顔を離そうと、仰け反るが、背は壁に押し戻される。壁になりたいと思ったのは、始めてた。
「あ、改めまして、その、シャンリ様。どうか、俺と、結婚して下さい! 一生、大切にします。貴女の為に、尽くします。部屋に引き籠っても、構いません。そのままの、シャンリ様で、俺の側に居て下さい。なので、どうか、どうか! 俺と添い遂げて下さい」
添い遂げ、って!! イサックの頬も赤いが、私も負けず劣らず、染まっているだろう。
真っ直ぐな眼に、力強い眼に、逸らす事が出来ない。
本気、なんだ、イサック。そう、思わずには、いられない。どんなに、人との交流に乏しい私でも、分かる。
この部屋でも、こんな私でも、そのままでも、良いなんて。
そんなことを、オタクで腐女子に、言ってくれるなんて…………言われてしまったら。
「よ、よろしく、お願い、します」
言われてしまったら。
断れる人が、いるだろうか。嬉しくない、人なんて、いるのだろうか。
俯く様に頷くと、イサックはこれ以上ない、くらい、嬉しそうな顔をして、笑った。
私も、つられて笑った。
イサックに圧されるがまま、一日早まってしまったけれど、逆にこれで良かったのかもしれない。
いつまでもウジウジと悩み、またタイミングが……とか言うより、良かったのよ、たぶん。
強制、みたいなところはあったけれど。
それから、明日から忙しくなりそうなので、と。早々に部屋を出て行ったイサック。
本当に忙しくなりそうで、明日、まずは、お父様に報告する事になった。
主に緊張するのはイサックだろう。そう思い、聞いてみたのだが「俺は、シャンリ様より緊張しませんし、大丈夫ですよ」と余裕ぶっこいていたけれど、本当に大丈夫かしら。
何故だか私の方が緊張する。
それだけでいっぱいいっぱいなのに、イサックときたら「指輪は外さないで下さい」と言ってきた。
朝食前に、お父様の所に行くとはいえ、確実にお母様やリンに、何か言われる。
早朝。
イサックは、何故か早め早めと急いでいる。お父様への報告は良いとして、五日後に結婚し、そのまま別邸へ引っ越したいと、言い出した。
驚きつつも、お父様への報告に急いでいたので、まあ、いいか、と思ってしまったのだけれど。
この城に未練も無いし。リンもお父様もお母様も、五日あれば別れも告げられるし。あるとしたら、そうね、もう少し、街を見て回りたかったな、と、思うくらい。
もう、だいぶ街に行っていないから。
どんな街並みだったかも、覚えていないくらいだ。
「……良かろう。認めよう」
予想はしていたけど、あっさりとしたお父様の一声で、無事、許可が取れた。
イサックは、終始いつもと変わらず、涼しい顔をして、緊張など微塵も感じない。
「ありがとうございます」
イサックとお礼を言う。すると、イサックが私に向き直った。
「これで、俺達は、結婚するまで婚約者ですね」
「そ、そうね」
改めて言われると、照れる。お父様は本当に安心しただろうな、と思う。
まあ、これだけアッサリだものね。
朝食には、お父様と行くことになった。
イサックは、忙しいらしい。一体何をしているのやら。
「お姉様、その指輪、その位置!」
「シャンリ、あなた!」
食事塲に入った瞬間、予想通り目敏い二人は、食いぎみに言い寄ってきた。
「そ、そうなの、えっと」
「……まあ、わたしはこうなると、思っていたわ! あの、イサックからですもの! それも、相手が、一生無縁そうな、お姉様なのよ? 結果は、もう見えているわ」
「そう、そうよね」
リンは、相変わらず誇らしげにしているが、その顔は、どこか嬉しそうで、祝福してくれているのかな、と思う。
リンは、あれから少し変わった気がする。嬉しい。
「おめでとう、シャンリ」
お母様にも祝福され、こんなに嬉しい朝食を迎えたのは、始めてだった。
それから、本当に忙しいらしいイサックには、なかなか、会えない。
昼食も、夕食も。迎えに来ないし、もしかして、もう飽いてしまった、とか?
あり得る! あり得るわ! 婚約だけして、結婚だけして、後はポイッとか、あり得るわ!
あれでしょ? 結婚してからも、愛人とか作って、私なんかずっと引き籠ってろっていう、あれなんでしょ?
想像しただけで胃がやられそう。悲しすぎて、もう消えてしまいたくなる。
ひ、酷い! 喪女を弄んで何が楽しいの。
私の悔しがる顔なんてもっと酷いのよ? 見たい人なんていないわ。
モヤモヤとした心を抱えながら、過ごすこと数時間。
ふいに、扉からノック音が聞こえる。
「シャンリ様、俺です。夜分に申し訳ありません」
イサック! な、何かしら? 変に警戒してしまう。
ずっと会っていなかったせいか、あんな妄想をしたせいか。
「な、何かしら?」
扉を開け、イサックと向き合う。構えていた私の、予想に反して、何故か嬉しそうなイサック。
「あの、明日、予定はありますか?」
予定? 何だろう、突然。予定なんて、毎日無いし、部屋で寝ているか、溜まったアニメを消費するか、くらいだ。
「予定なんて、無いけれど……」
「そうですか! では、俺と街へ行きませんか? その、デート、です」
「は、え、で、でででデート、ですか、何故?」
「何故って、出会ったくらいの時に、仰っていたではありませんか。結婚前に数回は、デートをしたい、と」
「うっ!」
そ、それは、まだ私が、見た目や性格に、気づいていない時の話で! うわああ! 恥ずかしい! モテない喪女が何を言っているの、と、笑われたに違いない!
黒歴史だ、これは、完璧に黒歴史。忘れて欲しい、くっ、苦い過去の思い出。
でも、街へは行きたいと、思っていた。
「い、良いわよ、街、行きましょう」
「ありがとうございます! えっと、それと、俺達は、婚約者ですよね?」
「そ、そうね」
「でしたら、その、疑う訳では、無いのですが……浮気などは、しないと、約束して、欲しくて。あ、あの! 女々しいのは承知の上で、このような事を、ですね」
唖然だ。イサックに私は、どう見えているのだろうか。どう考えても、浮気の心配を私にするのは、お門違いだ。
私がその気でも、その気になってくれる人なんて、まずいないだろう。というか、絶対いない。
私が浮気など、出来る見た目だと思っているのか? それを言うなら、お前の方だろう!! 私よりも、イサックの方が断然、あり得る! 寄ってくる女の子なんて、腐るほどいる。男だっているよ、うん、絶対、いる!
「約束なんてしなくても、浮気しないわよ! それは……イサックの方じゃないかしら?」
「俺は死んでも浮気などしません。誓えます! それよりも、約束を、して欲しくて」
「分かった、分かったわよ、誓うわ。約束もする。浮気、しません」
誓うだけ無駄だが、そんな切羽詰まった表情で言われれば、こちらとしても、言うしかない。
「あ、ありがとうございます! では、明日のデート、朝食後に、お迎えに上がります」
「分かったわ」
嬉しそうに去っていくイサックを見て、私も悪い気はしない。
そうか、デートか。よく覚えていたわね、あんな昔の言葉。恥ずかしくて死にそうだけど、街に行けるのは嬉しいわ。
案内とか、してくれるのだろうか。イサックってエスコートとか、してくれるタイプなのだろうか? お店とか、詳しいのかしら?
それに、人生初のデート! デートって、普通は何をするのかしらね。
ドキドキして、部屋を意味もなく歩き回る。嬉しい。イサックは、きちんと、私を考えてくれているんだわ。
デートか、デートねー。リア充感溢れるわね、デート。
そこで、動きを止める。
「デート? デートって、何を着ていくの? おしゃれ、おしゃれ、するべきなの? あれよね、乙女ゲームとかだと、少しは着替えているわよね?」
やばい、そういう知識ゼロだったわ、私! 浮かれている場合じゃない! 街よ! 城内ではないのよ? ほとんど寝巻き同然の服で、日々、交互に着ている私。もちろん、こんな服で街を歩けば、笑い者よ!
もしかして、黒歴史更新の危機じゃない?
デート、なんて恐ろしいイベントなの! 口で言えば簡単で、リア充の仲間入り! なんて思うけど、いざ、ここに立たされれば、崖っぷちよ!
街の人々、私の服、イサックの引きつった真顔。うっ、想像しただけでも、吐き気と動悸が。
落ち着くのよ! まず、そう、まず。服がどれくらいあるか、その確認から始めましょう。
私も忙しく、なりそうね。
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