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四角いテーブルの他には人生ゲームのようなボードゲームが置いてあるだけの部屋でオレは目覚めた。目の前には二十歳くらいの男が一人、イスに座っている。酩酊しても記憶をなくすことがないことが自慢だったが、自分がなぜここにいるのか?ここがどこなのか?何も思い出せなかった。
「おっ、気がつきましたね」向かいの男が話しかけてきた。
「私はどうしてここに……」部屋を見渡しながら答えた。
不思議なことに部屋にドアがない。ただ8畳くらいの真四角な部屋にテーブルとイスがあるだけだった。
「おとうさん。自分の名前わかりますか?」
そう聞かれて思いやる。ん〜?さて?。全く思い出せない。 その様子がおかしかったのか向かいの男が笑った。
「ハハハッ、やっぱりわからないか!いやオレも自分がだれなのかわからないんすっよ」
「なんだろ、なんか今そういうの流行ってるの?」
「ハハハッ、この状況でウケ狙いにくるなんて余裕っすね」
「いや、ウケ狙いじゃないんだけどね」
私は気さくに話しかけてくる若者に好感を持った。髪が茶髪の話し上手な若者はあらゆる空気を読んできた経験値がにじみ出ている。なにかの傷なのか目の上の一部が陥没していて、眉毛が生えてないところが特徴だ。
「君も自分がだれかわからないなら、これから【まゆ】って呼んでいいかな?」
「そうっすね。なんでもいいっすよ。でもなんでまゆなんすか?」
「君の眉毛が印象的だからさ」
「はぁ?オレの眉毛ってなんかあったっけかな?」
彼は指で眉毛を擦るが形まではわからないようだ。
その様子を見ていて気がついたのだが、自分の爪の形に覚えがない。自分の身体ではない錯覚を感じた。
あれ?オレって?こんな爪だったっけ?頭を抱え込むと髪がない!
「髪がない!」
「あれ?今気づいたんっすか?」
「いつからない?」
「いや、最初からっす」
大真面目でも言っていることはネタだった。
突然、ガーという車のスライドドアの音がしたと思ったら、さっきまで何もなかった部屋にドアが現れてガチャリとノブが回った。 小太りの化粧の濃い20代前半の女が入ってきた。下着姿で大きなカバンを持っている。
入ってくるなり「ここはどこですか?あなた達は……」
自分でドアを開けて入ってきたのに自分はどうしてここにいるの?と聞いた。
「やっぱ全員記憶喪失だわ。おとうさんウケますね」 イスにもたれながら膝を叩いた。
「それとまゆ君、イスが増えてるよ」
「ホントっすね」そのイスに座りながら女が言った。
「ここにいる人が全員記憶喪失ならなぜあなたには名前がわかるの?あなた達親子なの?」
「あっ?そこ?いや、もっと聞くことあるっしょ。オレならなぜ自分だけ下着姿なのか聞きたいけどね。まあでも聞かれても全然答えられないけどね」
「私とまゆ君は親子ではないと思う。それに呼び名もさっき適当につけただけだよ」
「じゃあ、この状況を説明してくれる人はいないのね」
先程の私はもっと狼狽していただろうに、この女の子は冷めきっているのか、諦めたのか、この異常ともいえる環境に順応しようとしている。
彼女がテーブルに目線を落して言った。
「なぜここに人生ゲームみたいなものがあるの?」
「そうだね。じゃまならどけよう」
そう思ってゲームの箱を持った途端、私の身体は心とは反対にゲームを開け始めた。すべての準備を終えたあたりで自分が何をしているのかおぼろげにわかってきて驚いた。
「おおっ!開けている!」
「おおっじゃないっすよ。おとうさん」
「いやいやいや!ホントにどかそうとしたんだよ。そしたら身体が勝手に!」
こういうボードゲームは始めようというきっかけが難しい。こんなので遊びたいわけ?というゲームしたくない派が必ずいるからだ。しかし、この不思議な部屋に元々あったゲームに何か意味があるのかもしれないとすれば、脱出につながる何かがあるかもしれない。
「せっかく並べたし……皆さんちょっとやってみませんか?もしかしたら脱出するヒントとかあるかもしれません」
「あっ、いいっすよ」 まゆ君がすぐのってきてくれた。そして、すかさず彼女を見た。彼女は軽く口の端で笑った。そして赤い車を手にした。
「私、フェラーリがほしかったの」
「オレは白にする、オレはホンダ党だから」
私は何色にしようか。そう思ったとき自分の車を持っていたことを思い出した。「私の車はダイハツの軽だった……色は……黒色だった」
さっきまで誰にも記憶がなかったのに、このゲームを開いたとたんに、自分の記憶が戻ってきている。やはり何かこのゲームは我々に深く関わっているという感じがした。
★
まゆ君がルーレットの調子を確認している。
「このゲームってLIFEゲーム【リアル版】って書いてますよ。こんなバージョンありましたっけ?」それを受けて女の子が言った。
「人生ゲームを全部知っている人は、ほとんどヲタクよ。うちにはないけど、友達の家にあるのが人生ゲームでしょう?」
そのとおりだ。私の家にはなかったな……と思い出した。やはり記憶が戻って来ている。
彼女を見ながらまゆ君が興味深いことを言った。
「このテーブルって四角ですよね。さっきもこの子が突然現れてイスが増えたでしょ?もしかしてこの空いてるとこに誰か来るかもしれないっすね」
そうかもしれない。皆の手が止まった。ほんの3秒くらいだろうか、部屋に音がしなくなった。三人がくるくると部屋をみわたしながら、誰か来るのではないかと息をこらした。
「プハー……こないっすねー」変な笑いが起こりゲームをしていく雰囲気が出来上がった。
最初は私だ。安心コースと波瀾万丈コースがある。迷わす安心コースだ。ルーレットは 3 。仕事は【銀行員】だ。
すると頭のなかで朝礼をしている記憶が蘇った。
「マイナス金利が続き銀行の魅力がなくなって久しい。しかしどんな時代も好不調があるものだ。女性の花形職業がバスガイドだった時代もある」そこでふっと我に返った。女の子がこちらを見て言った。
「急にどうしたんですか?」
「えっ……と、今私は何してた?」
「なんか急に語り始めて」
「マジに銀行員だったんじゃないっすか?」
「いや、そうなんだ。私は板橋の銀行で支店長だった」
「マジっすか?記憶が戻ったんっすね?」
まゆ君が手を叩いてはしゃいだ。
「このリアル版は本当にリアルだよ」
次はまゆ君だった。彼は迷いながらもわ波瀾万丈コースを選んだ。ブルルとお約束の暴走ルーレットで2回転して止まった。出た目は 4 。仕事は【フリーター】だ。
「マジかーっ!宇宙飛行士とジャーナリストの間をぬうかなー」
彼女の目が『意義あり!』と言っている。
「リアル版なんだからアンタ宇宙飛行士にもジャーナリストにもみえないわよ。やっぱりフリーターだったんじゃない?」
私のように喋り始めないので聞いてみた。
「まゆ君。記憶は戻ったかい?」
「えっ?、はい……記憶が戻ったことは戻ったんですが、ガソリンスタンドの店長から天ぷらの揚げ方が悪いって怒られてるんっすよ」
部屋が笑いに包まれた。すっかり皆が打ち解けたような気がした。
最後に女の子が遠慮がちに回した。ルーレットはその割によく回転し 7 で止まった。ラッキーを引き当てたが、なぜか職業ではなく【学生】だった。
すると急に立ち上がりテーブルに両手をついた。
「アンタね!そういうところがウザいって思われているんだよ!早く死ねブス!」
「カス!カス!カス!」
勢いよく唾が飛ぶ。ひとしきり悪口を放ったあとに何事もなかったように「次の人はだれ?」と言った。あまりのギャップにまゆ君は無い眉根をよせた。
「何かえらい荒んだ学生生活っすね」
「イジメてたのかしら?それともイジメられてたのかしら?なんかとにかく悲しかったわ」
私も電車の中で激しく罵る学生を見たことがある。決まってブス!とかウザい、キモいと代わり映えのしない悪口を言っていたのを思い出した。アンタより私のほうがカワイイんだからとか、オレはお前よりも強いんだからオレの言う事を聞けという考えは男女ともに迷惑につきる。この濃い化粧も少しでもキレイになりたくて彼女なりに頑張って来た証拠なんだろうなと思った。
★
「次は私だよ」8 が出た。車を進める。【銀行詐欺にあう】に止まった。記憶が一気に遡る。
「支店長!ときわ台で1億下ろした方がいてこちらにある現金をときわに回してほしいそうです」
「うちには回せる分は2000万くらいだと伝えて下さい」
そうこうしている間に通用口に男が一人慌てて入って来た。
「ときわ台です。お電話しておいた2000をとりにきました。二人できたのですが、信号で離されました。ハンコは後の者が持って来ますので、先に2000を頂きたいのですが」
ときわ台でお客様が待たされているのが目に浮かぶようだったので「わかりました」と言って2000を渡した。
後の者は来なかった。そして失脚した。
「おとうさん、どうしたんっすか?」
「イヤなこと思い出しちゃった」
「銀行詐欺ってなんなんすか?」
「うちわの事情をよく知ったヤツの詐欺さ」
説明が難しいので手口などは言わなかった。そのために家庭が不和になった。なにもかもこれが原因だ。しかし妻の名前が思い出せない。子供もいたはずだ。しかし子供の名前も思い出せない。
まゆ君が回す。【ホストに転職する】がでた。
するとみるみる顔が赤らんで酒に酔っている感じになった。
「それはオレじゃない!」と叫んだと思ったら壁まで一気に吹き飛んだ。透明人間に殴られたようだ。
慌てて駆け寄って声をかけた。「大丈夫かい?」
「ああ……おとうさん……マジヤバイっす」テーブルに戻った彼の顔は左の目の下が切れて血が出ている。
「お店の裏に出たら『お前がさとみの男か!』って言って男が殴りかかってきたんですよ。『違います違います』って言ったのにバットでバーンですよ」 女の子は冷めた口調で言った。「実際そうかもしれませんよね。全部の記憶が戻ったら人違いじゃないっていうオチかも」
それは男で苦労した人のマイナス成長の結果であった。
「あんたの下着姿の理由が明らかになったらこっちが言う番ですからね」
殴られたばかりの人間にしては返しが良かった。
女の子がおそるおそるルーレットをまわした。【統合失調症になる】 そのとたん奇声を上げ始めた。「アーーーーーーーーーーウウィーーーーーーー」
目が三角になって、明らかに別人格にでも憑りつかれたように叫び続けた。まゆ君が女の子の正面に座っていたが、うんざりした顔で壁に目線をずらして言った。
「マジうぜー」
すると何事もなかったように「次は誰?」と言った。
もう何を思い出したかは二人とも聞かなかった。
★
「次は私だよ」
過去を取り戻す価値があるのかわからない。この時点で自分の人生は詰んでいる。少しためらったがルーレットを回す。
【地下金融に就職する】
そうだ……金主の家に行った帰り際だった。
「宍戸君、今度5%の利息のほかに若い娘を連れてきてくれ。そんなにかわいくなくてもいいけど、アソコのキツイ娘で頼む」
「わかりました。アソコのキツイ娘ですね」
「宍戸君、だからといって君が確認してから連れてくるなよ。ハハハ」
やっぱりゲスな人生だ。金融関係といえば聞こえは良いが、恥ずかしいにつきる。心の声を聞かれたように女の子から
「恥ずかしいですね」と浴びせられた。声に出していたようだった。ふと見るとまゆ君の目の下のキズが治っていて元気そうに言った。
「おとうさん、名前は宍戸っていうかもしれませんよ」
「そうかもしれない。宍戸と呼ばれて違和感はなかったな……」
「じゃこれからは宍戸さんで」
「ああ……そうしてください」
まゆ君の番が来た。LIFEゲームは保険や株券、結婚や給料、財産など人生を圧縮したゲームだが、このLIFEゲームリアル版はお金のやり取りというより不運だけのやり取りに近いようだ。ルーレットを回す。5が出た。
【ヤクザの子分になる】
「伊勢!この野郎!」
兄貴分らしい40才ほどの小太りの男がガラスの灰皿を投げつけた。灰皿は伊勢の身体に当たった反動で向きを変え、大型の水槽に致命的な亀裂を入れた。バシャーと水が流れ出る。
「あの女が約束を守らないからいけないんっす」
「知るか!ボケ!お前がキッチリ沈めないからオデコがガタガタするんだ!」「スンマセン!逃げた女はしっかり見つけ出します!」
「お前みたいな半端モンはぶっ殺してやる!」
殴らないでというポーズをしたときに意識が戻ったようだ。
薄ら笑いをしながら女の子が言った。
「クズですね」
「ありがとう」
チッっと舌打ちをしてこちらを向く。
「宍戸さん、どうもはじめまして伊勢です」
「あっ宍戸です。こちらこそよろしくお願いします」
女の子の番が来た。この娘が回せばまた面倒くさいことが起きると伊勢君も考えているだろう。この娘の人生は不幸すぎる。このルーレットは回すまえから出目が決まっているのか、それとも人生の進んだ量と比例しているのか?3 が出た。
【風俗嬢になる】
突然下着を脱ぎ、全裸になるとそこに男が仰向けに寝ているかのようにまたがると腰を落とし激しく上下に振り始めた。相変わらず奇声は同じで、見ていて気味が悪い。妖気をまとって本物の妖怪になったようだ
。恐ろしい……ただ恐ろしかった。
女の子の首が電気でも通ったかのように大きく痙攣したと思ったら、すくっと女の子が立ち上がった。
「次は誰かしら?」
「私だよ。それより裸だよ」
「それで?」
「いや、せめて下着だけでも」
「見たいなら見ててもいいわよ。数えきれないほど裸になったんだから」
そう言われてしまうとパンツを履かせることすらできない気がした。
「なんで風俗嬢になったか思い出したかい?」
「ええ、クソみたいな理由よ」
イスの背もたれをつかみながら、やけくそ気味に話し始めた。
「18才の時に田舎の精神病院に入院したわ。そこで三人の男に快感治療だと言われてイタズラされたの……そして妊娠……うちの親には説明されずに転院したの……そもそも手に余って入院させられたから見舞いにも来なかったし、もうどうでもよかったのね。それで田舎の中の田舎の病院で出産。その状態で入院し続けることもできず退院したけど結局は薬に手を出して、お金が払えなくなり風俗嬢まで落ちていった。それはそれは早かったわ」
「じゃあお母さんなんっすね?」
「いえ、子供は2才で死んだわ。だからお母さんだったよ」
そして部屋の中が震撼する一言を放った。
「どこに埋めようか迷って……迷って……まだ捨てられないで持っているの」そう言って足元に置いてあったカバンを持ち上げて見せた。
なぜ私はドアもない部屋で死体の入ったカバンを持つ全裸の女の子とゲームをしているのだろう……。
ただ、何かしてないと耐えられそうもないからゲームをするしかない。そういう目的になってきていた。
★
私のルーレットの針は8と9の間に止まった。この手のゲームにはよくあることだ。8と9では思い出す記憶に違いがあるのだろうか、どちらにしてもきっと悪夢のような不愉快な記憶だろう。
ルーレットが固まって1分ほど続き、沈黙も同じだけ続いた。
「どっちでもいいよ」と指で弾く、音もなく 9 に進んだ。
【妻がガンになる】
瞬時に記憶が流れ込んでくる。
「私……心残りがあるの…、いなくなってしまった紀美ちゃんともう一度会いたい……」
「そうだな。オレも会いたいよ」
抗がん剤で見た目が20年も老けたような顔でこちらを見た。妻は助からない。全身転移だ。
「私ね……霊になったら紀美ちゃんを探しにいくね」
「おいおい、見つけたとしてそれをオレにどう伝えるんだよ」
「夢の中に現れるから大丈夫よ……」
そして妻はベッドの上で居住まいを正して言った。
「長い間お世話になりました。こんないたらない私を一生をかけて愛してくださいました。本当にありがとうございました」
三指を着いて古風にも辞世の挨拶をしていく妻の健気な姿に涙が溢れた。
「変なことしちゃったから疲れたわ……寝る」
と布団を被ってしまった。
「ありがとう。オレの人生が……良かったと思えるのならそれはすべて君のおかげだ」
気がつくと涙に濡れていた。上を向きそっと拭った。
無言で腰を浮かして伊勢君がルーレットを回した。
【結婚する】
「オレの親はどこにいるかわからないから挨拶しようにもできないんだ。ゴメンよ」
「いいって、プロポーズが昨日の今日なんだから。あわてなさんな」
「すまねえ、オレも慣れてないからさ、結婚なんて」
「いやいやいや、慣れてたらヤバイって」
「ハハハ、そうだな」
「私、これから買い物行ってくる。スーパーのハシゴだから時間かかるよ」「オレも行くよ、荷物持ちたいし」
「だったら手分けしよ。一番近くのスーパーが一番時間かかるよ」
「えー、一緒に行こうよ」
「あんたね、買い出しはカチコミなのよ。絶対負けられないんだから!」「じゃあ組のチャカ借りてきて『どけーこらー』って言うわ」
「アホか!死ね!」
こちら側に帰って来たらしい。身体がビクっとするのが合図のようだ。
何を思い出したのかは、伊勢君が喋っていたのでなんとなくわかっていたが、幸せそうだったので聞いてみた。
「どうだったい?」
「結婚したみたいです。仲が良くってウソみたいな感じでした。『やっぱり死なないで』なんて泣かせませんか?マジ感動っす」
「奥さんどんな人?」
「あやって名前で美人っす」
人生なんだ。いい時も悪い時もある。こういうことが幸せなんだと今更ながら感じた。
この女の子にもそういう幸せがあるのだろうか?
無機質にルーレットを回す。諦めきった、冷めた心はこうして出来上がって来たのだろう。
【覚醒剤で捕まる】
「私を殺してよ!うわー!」
死にたくても生きたいよ。生きたくても死にたいよ。薬に倒れ込んだ人生は自分殺しの矛盾の中に生きるようになる。
朝の6:00に捜査員が部屋に押しかけて来た時に、逃げて死ぬのも当たり前に思えた。単純に今が死ぬ時だと思った。3階の窓の枠に手をかけてぶら下がった。捜査員が引っ張り上げようと手を出したが、すぐに手を離された。重すぎて漫画みたいに捕まえられなかったのか、どうせなら死んだ方がいいと思われたのかどっちなのと思いながら3階から落ちた。
でも……どっちでもいいか。
女の子が悲鳴をあげた。不思議な転び方をしたあとに死んだように倒れてピクリともしない。反応が怖かったが声をかけた。
「大丈夫かい?」
死んだなら人生ゲームのマスは【死ぬ】だ、つまり生きているはず。
伊勢君が女の子が動かないことを確認して、そのスキに死体の入ったカバンを開こうとしている。
「ダメだよ!伊勢君!そんなの見るもんじゃない!」
その声に反応したようにガバッと起き上がった。
「アンタ死にたいわけ?」
「あ……いや……そういう訳では……」
「見たいなら見せてあげようか?どうせ隠すことも何もないからね!ほら!こっち来なよ!」
「……」
このままでは非常にまずい。見たくもない死体を見せられる身になってくれ。「そ……それは彼女にとって大切なものなのだから、勝手にさわっていいものではないと思うよ。それに私は見たくないよ」
全裸で仁王立ちになっている女の子に話しを振った。
「それより何が見えた?」
わざとらしく話しの向きを変えたが伊勢君にはありがたかったみたいだ。「……警察に捕まったわよ。その後病院送りね。でもいいこともあったわよ、病院で薬物の治療をしてもらい、普通の人になれたから」
伊勢君が大きく驚いた。
「全然普通じゃねーし」
★
「まあまあ、じゃあいくよー」 ルーレットがカラカラと回り、7 が出た。ラッキーだ。しかしマスには
【事故死】
と出た。えっ?なんで?おかしくないか?自分の気持ちとは関係なく記憶が流れ込んでくる。
「おい!やめろ!」 目の前にいるのは60代の男性だ。思い出した。その男は多重債務の首が回らなくなったどこかの社長さんだった。
「宍戸さん、もういいんだ……。もう生命保険で払うしか残ってないんだよ」そう言って頭から灯油のようなものを被った。
「おい!やめろってば!」
人の命がかかった瞬間に、陳腐にもやめろとしか言えなかった。18リットルのポリ容器からドップンドップンと大量の油がまかれた。
「悪いな……もう引っ込みつかねーんだ」
そう言うと準備していたマッチで火をつけた。
「おい!」
明るい光が視界を奪った。灯油ではなくガソリンだった。
そうか……思い出したわ。私はこのとき巻き込まれて死んだんだ。死んだ日は平成28年5月だった。ではなぜ私はここで生き返っている?
血相を変えて伊勢君が聞いた。
「宍戸さん!マジに死んだんっすか?」
「なんか不思議なんだけと記憶の中にちゃんと死んだ記憶あったわ」
よく見るとLIFEゲームのまだ半分くらいしか進んでいない。ここで死んだとしたら残りのゴールまでどうするんだ?次の記憶は死んだ後の記憶なのか?「宍戸さんの死に方って焼死だったんっすか?」
「なんでわかった?」
「ヤバかったっすよ。火柱上がりましたからね」
そう言われても実感がない。ドラマのシーンを見ているレベルだ。むしろ納得がいかない。
「でも、ほら生きているし脈だってある」
「いやさっきまでウンともスンとも言わないしマジ死んだと思いました。すげー火傷だったのに起き上がるころにパッと治っちまったんすよ」
そういえば伊勢君のケガも気がつかないうちにキレイに治っていたなと思い出した。とりあえず答えは棚上げにしておくことにしてゲームを続けることにした。これは軽くパニックだ。
伊勢君がルーレットを回す。
【銃で撃たれる】
目の座った鉄砲玉が拳銃を突きつけている先に妻のあやがいた。
「やれるもんならぁ……やってみんしゃい!!」さあ撃ってこいと言わんばかりに大の字に立っている。何が起こっているのかわからなかった。
パン!パン!
2発の弾はあやには当たらなかった。よく見るとあやは組長の前に弾除けとして仁王立ちしている。
ああ!これはまずい!身体が勝手にあやのまえに飛び込んだ。
パン!
大きな衝撃を目の上に感じた。撃たれたようだ。あやは?あやは大丈夫か?消えかかる意識の中で兄貴分が叫んでいるのを聞いた。
「あっぱれだぞ!」
そんなことよりあやは?あやは……?
「伊勢君!大丈夫か?」 身体を揺するも意識がない。いままで陥没していた眉毛のところから大量の血がでている。いままではすぐにキズも治っていたが今回は何かが違って感じる。【死ぬ】と出ていないということは死ぬことはないと思いたい。それにしても血が止まらない。その時、カラカラと音がした。女の子がルーレットを回したのだ。
【練炭自殺する】
地縛霊になるのなら気持ちのいいところで死にたいと思ってワンボックスカーをレンタルした。いろいろふさわしい場所を探したがこれといって魅力的な場所などなかった。いままで良いことなどなかったし、これからもないだろう……。人に迷惑をかけるだけ。
ダムの展望台が広々していて気持ちがいい。ここにしよ。
今は一緒に死にませんか?と呼びかけると『ご一緒します』と返事が来る時代だ。だったら誰か誘ってやれば良かったわ。
あれこれと考えると夜になった。
さてと準備しますか。このクソみたいな世の中にサヨウナラ。
「享年22歳。2003年5月……何日だっけ?まぁいいわ。言い残すことなんてないし」車のスライドドアをガーと閉めて練炭を消した。
★
聞き慣れた甲高いチャリーンという音を聞いた。家のドアに付けていたアルミのドアチャイムの音だ。するとドアが現れており、ガチャリとノブが回った。現れたのはガンで亡くなった妻だった。亡くなった時は痩せこけて消え入りそうだったが今の姿はふっくらして美しい。妻はテーブルの空いている場所に座った。わからないことが多すぎて受け止めきれない。
「あなた」
「お…お…」
「あなた、紀美ちゃんを見つけました。ここにいる女の子が紀美ちゃんです」「な…なに」
「紀美ちゃんは病院を脱走して行方不明になったと聞かされていましたが、そうではなかったのです。あなたも見たように紀美ちゃんの人生はさんざんです」
「そうなのか?本当に?」
「本当です。紀美ちゃんの手を触ってみてください。実の子供だと感じるはずです」
近寄って手を握ってみる。するとなんて哀れなんだろうという心情が腹の奥から湧き上がり喉に一回詰まったあとに涙と共に吹き出した。
「あぁ……あぁ……」
心が裂けるとはこのことかと嗚咽した。この子はなんと悲惨な人生をおくらなければいけなかったのか!なんてことだ!
「悲しんでいる暇はありません」
妻がテーブルを叩いた。
「伊勢君は紀美ちゃんの一人子です」
「なんだって!」
「紀美ちゃんが出産した後、精神が不安定になり施設に保護されました。紀美ちゃんは死んだと思ったみたいですけど今のところ生きています」
「今のところ?」
「そうです。ここは霊界の一部ですが、彼は瀕死でここに来ました。でもまだ死んでいません。生きています」
「つまり撃たれてすぐなのか?」
「そうです」
「どうすれば?」
「紀美ちゃんを連れて一緒に来て下さい!親が子を思う力以上に強いものはありません」
「わかった!」
振り返ると綺麗な服を着ている姿で目に大粒の涙をためた紀美が伊勢君、いや息子の手を握っていた。
「絶対に死なせない。お母さんが必ず助ける」
「魂を戻しに行きましょう。ドアの向こうは手術室です」
三人で伊勢君の身体を支えてドアの向こうに出た。魂を戻すために。
「渡!しっかりしな!死んだらだめだよ!」
先程までなんの感情もなかった人がみるみる力強くなっていくのがわかる。「お母さんはダメな人生だったけど渡はこれからじゃない」
紀美のその姿がほんのり光っていた。
伊勢 渡は撃たれて21日目に意識を取り戻した。
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