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おまけ②【無慈悲】
この世には、稀に、極稀に、自分の中に住まう“悪”に気付かず、一生を過ごす者もいる。
必ずしも、それが幸せな一生だとは限らないのだが。
その男との出会いは、ある日突然。
雅楽、当時の名は知らないが、当時の雅楽が何を考えているのかわからない顔で道を歩いているときのことだ。
キキ―ッ!という、車の急停止した音と人の叫ぶ声が聞こえてきた。
興味や関心があったというわけではないのだが、どちらにせよその道を通らなければいけなかったため、歩を進めていく。
すると、事故現場のようだった。
成人の男が道端で蹲っており、車の運転手は慌てる様子もなく、むしろ道にいきなり出てくるなといったようなことを叫んでいた。
蹲っていた男が起き上がると、その腹からは小さな男の子が出てきて、どうやらその男の子が原因での急ブレーキだったようだ。
男は、車から下りてきてなおも文句、もしくは自分の正当性を主張しようとしている男を一旦は相手にせず、男の子が無事かどうかを確かめていた。
男の子の母親が泣きながら近づいてきて、男の子を抱きしめる。
「(ちゃんと見ておけよ)」
まだ4、5歳くらいの子供、しかも男の子から目を離していた母親に対しての不信感を持っていた雅楽だったが、助けた男はニコニコ笑いながら何か話していた。
運転手の男は、助けた男の肩を掴んで何か言おうとしたのだが、事故を見ていた人が呼んだのか、警察や救急車が来る音が聞こえてくると、運転手の男はおろおろし始める。
「(こんな細い道で、どうせスピード出して運転してたんだろ)」
やれやれと、雅楽は当事者たちも目撃者たちもそこにいることから、その場を離れようとした。
その時、運転手の男が車に乗り込み、その場から逃げようとしたのだ。
もうナンバーを見られてしまっているのに、なんて往生際が悪いんだと思った者も沢山いるだろうが、それでも男はアクセルを踏む。
そして、雅楽が渡ろうとしていた横断歩道に向かって一直線に向かってきた。
「危ない!!!」
またしても急ブレーキの音が聞こえる。
雅楽は平然としていたが、雅楽の前にわざわざ飛び出すようにして出て来た、先程男の子を助けた男は、強くギュッと目を瞑った状態で立っていた。
その後、運転手の男は逮捕されたようだが、それよりも雅楽が気になっているのは、男の子と雅楽を助けようとした男のことだ。
なぜなら、雅楽の後をついてくるから。
「何か用?」
「身体大丈夫!?痛くない?一応病院に行ってみてもらった方がいいかもしれないよ!」
「別に大丈夫。てか、俺轢かれてないし。衝撃で転んでもいないし。むしろあんたの方が診てもらった方がいいんじゃないの?」
「俺は健康しか取柄が無いからね!」
ああ、そう、と雅楽は適当に流していたのだが、男はまだ付いてくる。
「なに?」
「なんか自殺しそうな顔してるから。心配で」
「もともとこういう顔だから。あんたに心配される筋合いないし」
「そんなこと言わないで!人生は楽しいことが沢山あるから!!」
「俺の話聞いてる?あんたこそ、他人の代わりに車に轢かれようなんて、変わった趣味持ってるけど大丈夫か」
「趣味じゃないからね。君が轢かれちゃったら大変でしょ!人生は一度きりしかないんだから!!」
「・・・・・・」
「忘れてた!俺は仁!吹野仁!よろしく!」
勝手に自己紹介をしてきた仁に対し、雅楽は無視をして歩き続けていた。
コンビニに買い物に行こうと思っていたのだが、仁がついてくるため、なんとなくコンビニを通り過ぎていく。
雅楽が自殺しそうだからついていく、というのは本当らしく、仁は雅楽のことを眼光鋭くじーっと見ており、工事現場や人気の少ない場所を通ろうとするだけで、危ないから通らないようにと言われた。
なぜ見ず知らずの人間にそんなことを言われなくてはいけないのか分からないが。
「もう帰るからついてくるな」
「家まで送って行くよ!はっ!でも、家で自殺するってことも有り得る!むしろ確率は高い!だめだ!俺の家に泊まって!!」
「なんでそうなる」
キリがないので、雅楽は近くのファミレスに行き、そこで、生きていることはつまらないが、死のうとは思っていないことを話した。
雅楽はホットコーヒーを頼み、仁は夕飯を食べる気満々のようで、グラタンと焼肉定食を頼んでいた。
ドリンクバーも頼んでおり、飲み物をとってくるから少し話すのを待っててくれと言われ、雅楽は頬杖をつきながら待つ。
戻ってきた仁に、特に話すことはこれ以上ないと言ったのだが、もっと詳しい話を聞かせてほしいと言われた。
「特別な理由なんてない。つまらない。毎日つまらない。誰にでもあるだろ。生きてれば一度や二度、思う事がある」
「俺はないよ?」
雅楽の言葉に対し、はっきりとした否定を示した仁。
目の前に注文したものが運ばれてくると、それをものの数分で食べ終え、雅楽にこんなことを言った。
「確かにつまらないかもしれないけど、それって考え方ひとつだろ?あー、今日は雨かー。今日は晴れたなー、とか。電車に乗ってて、昨日もいた人だーとか。あ!服に毛玉が出来てる!とか。どうでもいいことで何か感情が生まれるっていうか、発見があるっていうか、生きてる中で、何1つとしてつまらないことなんて無いって、俺は思ってる」
「・・・・・・」
そういって笑った仁の顔は、裏などない、無邪気な子供のそれと同じに見える。
「お人好しだな」
「ん?」
「騙されやすくて利用されやすいだろ」
「んー、確かにそうかもしれないけど、騙されるより騙された方がいいし、利用するより利用される方がいいだろ?」
「・・・・・・」
何を言っても平行線のままだろうと、雅楽は席を立つ。
同じように席を立った仁に、告げる。
「俺のことは構うな」
しかし、あれからもしばらく、仁が雅楽のことを見守る日々が続いた。
下手をしたらストーカーになるのではないかというくらい、それはもう毎日のように続き、学生なのか社会人なのかさえ分からないほどいつもいた。
それから少しした頃。
仁の姿を見なくなったことに気付いた雅楽。
平穏な日々が戻ると思っていた矢先、朝のニュースでこんなことを言っていた。
『先日起こった無差別殺人事件で進展があった模様です』
そういえばそんな事件もあったな、と思いながら家を出て、いつものように電車に乗り込み、目的の駅に着くのを待つ。
駅についてコンビニに立ち寄り、飲み物を買って出ようとしたとき、出入り口付近に置いてある新聞が目に入る。
朝ニュースでやっていた無差別殺人事件の見出しが大きく載っていて、その下には犠牲者と思われる人物の顔写真があった。
「・・・・・・」
思わず手にとったその顔写真には、見覚えがある。
少しだけ目を細めたかと思うと、雅楽は新聞を元の位置に戻し、そのままコンビニを出る。
空を見ると、雲行きが怪しくなってきており、今にも雨が降り出しそうだ。
傘も買わず、持たずにそのまま歩いている雅楽は、目的地に着く前に振りだしてきた雨を凌ぐこともせず、何もない場所でふと足を止める。
後ろから歩いていた人は、急に足を止めた雅楽のぶつかりそうになり、文句を言いたそうな顔をしながら横を通り過ぎていくが、そんなもの、どうでもいい。
「やっぱり馬鹿だ」
そう呟いたあと、ため息を吐く。
「人を助けるために自分が死んでちゃ、何にもならないだろ」
人生は、理不尽だ。
人生は、不幸の連鎖だ。
人生は、澱んでいる。
人生は、転ばずにはいられない。
人生は、恨めしい。
人生は、泣き続ける。
人生は、独りで死んでいく。
人生は、報われない。
「お前がいなくなっても、みんないつも通り生きていくんだ。いつものように朝が来て、いつものように笑う。それのどこが"幸せ“だと思う?」
不条理の中で生きていくことを、試練だの運命だのと勝手に名前をつけ、乗り越えていくことに生きがいを感じるなんて、ただの洗脳にすぎない。
不条理は、単なる不条理なのだから。
「時間に縋るな。善意に縋るな。世の中は孤独の上に成り立ってる」
人生は、何も残らない。
「そう。魂も」
雅楽という人間は、こうして生まれた。
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