第一幻【すずろ】

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 第一幻【すずろ】

 人影が見えない、暗い場所。  女性のものと思われる、細く、白い腕。  その腕が、目の前にあるソレに導かれるかのようにして伸ばされたかと思うと、女性のものとは思えない強さの力で握りつぶす。  ぽたぽたと滴るソレを、妖艶な唇の隙間から顔を出した、こちらも妖艶な舌が滑らかに動きながら掬い取る。  鬱陶しそうに顔にかかる髪の毛さえ、長いまつげを際立たせる材料にしかならない。  口の端から液体が滴り落ちる姿も、欲情を奮い立たせてしまうかもしれず、その液体を拭おうとする指先にも目を奪われる。  下手をしたら、その指先についた液体を吸い取ろうと、無意識に食いついてしまう者もいるかもしれない。  30分ほどすると、女性はヒールの音を奏でながらそこを離れる。  自分の唇をひと舐めすると、女性は顔に垂れていた前髪をかきあげる。  右目の下にはホクロがあり、女性の髪は真っ赤に燃えあがっていた。  金色の瞳を輝かせながら、女性は微笑む。  「思ってたよりも美味しかった」  「また被害者が出たって?」  「吸血鬼の仕業かしら・・・」  「肉片も散らばっていたって」  「怖いよーまま。僕も食べられちゃうの?」  人ごみをかき分けて歩いているわけではないのだが、人とはぶつからずにスイスイと足を進める男がいる。  噂が噂を呼び、次々に人だかりが出来ているその場所で、少しも足を止めず、緩めることもないまま歩いているのは、今のところ彼だけのようだ。  顔の右側は長い前髪によって完全に隠れてしまっているが、左側は邪魔にならないように後ろに引っ張り上げられ、後ろで1つに縛られている。  紫の髪を縛る赤い紐、それだけでも目立つ容姿だというのに、さらに男を目立たせるのは服装だろうか。  青い長袖のシャツの上に、黄色の襟と黒い生地で作られた半袖の着物を着ているのだが、裾は着物ほど長くなく、男の膝より少し上あたりまでの長さで、腰から下は右側から開かれている。  その下に見えるのは紫のゆったりとしたズボンで、さらに下は黒いブーツを履いている。  一見普通に見えるのは、茶色の瞳くらいだろうか。  男はさっさと歩いて人ごみを抜けると、また何処かへと去って行った。  夜になると、世界が変わる。  朝になっても、世界が変わる。  「私ね、素直な人って大好きよ。あなたは?」  女性はその妖艶な姿で、目の前の男に向かって問いかける。  通常であれば、喜んで尻尾を振るところなのかもしれないが、今の男にはそんなことをする余裕など一切ない。  なぜなら、女性の足元には、見知らぬ女性が倒れているからだ。  「ねえ、あなたは?」  「・・・・・・っ」  「この子はね、とっても綺麗な爪をしていたの。だから、交換してって言ったの。そしたら、断られちゃって。それだけじゃなくて、私のこと気持ち悪いなんて言うもんだから、お灸をすえてあげたの」  お灸をすえたにしては、倒れている女性は、顔も判別できないほどにぐちゃぐちゃにされており、手足もあらぬ方向を向いている。  指一本一本にいたってもおかしな形をしているし、爪部分が真っ赤になっている。  男は恐怖に耐えながら、自分を見下ろしている女性の方をちらっと見てみると、すぐ近くに女性の顔があり、思わず目を見開き、ビクッ、と身体を強張らせる。  「あなたはとっても綺麗な腎臓で羨ましいわ。私欲しいの、それ。私のと交換しましょ?」  にっこりと微笑みながらそういう女性に対し、男はぶるぶると身体を震わせながら、頷くことも拒むことも出来ないでいた。  否定すれば、あの女性のように殺されてしまうことは火を見るより明らかで、肯定したとしても、男の身体は貫通してしまうだろうことも分かっていた。  なぜなら、女性はさきほど、倒れている女性の身体を腕で貫通させ、内臓を確認していたからだ。  あんなことをされてしまったら、死んでしまう。  男はただ時間が解決してくれることを祈っていたのだが、女性はなかなか頷こうとしない男に痺れを切らせたのか、少しだけ唇を尖らせた。  髪の毛と同じく、真っ赤に染まった、肩も足も出る身体のラインを際立たせる、スリットの入ったドレスに、金色のネックレス、金色の腕輪、そして真っ赤なピンヒール。  女性としても魅力な十分なはずなのに、これ以上何を望んでいるのか。  男はまたちらっと女性を見ると、女性はまたニコリを微笑んだ。  すると、女性の服が蠢きだし、男の頭から足先までをぐるぐると包帯のように巻いていき、男は身体が動かせなくなってしまった。  「これ以上何を望んでいるのか?教えてほしい?」  「・・・!!」  驚いたような顔をした男のことなど見ようともせず、女性は頬に手を当てて、何かを考えだした。  その間にも、男の身体に巻き付いた女性の真っ赤なドレスは、男の骨を、肉を、血を、内臓を、意識を、徐々に締めあげていく。  苦しくて声を出そうとすると、口元にまでドレスが伸びてきて、何も言えなくなる。  鼻が押さえられていないだけまだ呼吸が出来のだが、それでも苦しいのは紛れもない事実であって、逃れようもない。  男が必死になってそこから抜けだそうとしているとき、女性はまだ何か考えていた。   そして、ようやく口を開く。  「人の物って、欲しくなっちゃうのよね。なんでかしら?確かに私は全部揃ってるんだけど、でも欲しくなるの。欲って底がないから、次から次に欲しくなるの」  聞こえているのかいないのか、男はすでに力無く尽きようとしていた。  「美味しく食べてあげる」  男の身体に巻きついていた、女性のドレスが破けていく。  そのまま床にたたきつけられるかと思った男の身体は、何かによって宙に浮き、そのまま静かに寝かされる。  女性は先程までの綺麗な笑みを止めると、唇に少しだけ隙間を作り、笑っていない目を横に動かす。  そこに立っている男は、不思議な格好をしていた。  「だーれ?私の邪魔をするのは」  「・・・狐の緒美斗、観念しろ」  「あら、私のこと知ってるの?妖怪退治でもしてる専門家の方かしら?」  クスクスと馬鹿にしたように笑う緒美斗は、破かれてしまったドレスをすぐに元に戻す。  「面白いじゃない。せっかくだから、まずそうだけどあんたも食べてあげるわよ」  「・・・・・・」  緒美斗は、自分のドレスを自在に操り、男に攻撃をしていく。  時速がどれだけあるのかはわからないが、瞬きひとつしている間に、身体が分断されてもおかしくないほどの速さで襲ってくるソレを、男は反応して避ける。  さらには、それに足をかけたかと思うと、足蹴にして緒美斗に向かって行く。  しかし、男は瞬時に身を反転させて後ろに移動する。  「なるほど。普通の人間じゃないってわけね。でも、私に勝てるかしら?」  男が着ている短めの着物の裾が少しだけ切られてしまっていた。  それは緒美斗のドレスによって切られたわけではないようだ。  緒美斗の髪の毛と爪も伸びてきて、それはドレス同様に意思があるかのようにうねうねと動き出していた。  「よく見ると綺麗な髪、それに肌。それ、頂戴。私、欲しいの」  「・・・強欲な女だ」  緒美斗が髪の毛と爪の先を鋭くしながら同時に男に向けて攻撃していくと、男は掌を向け、そこから糸のようなものを出してバラバラと切る。  すぐに伸ばして再び男に向けるが、男は何度でも切る、それを繰り返す。  「蜘蛛の糸・・・?」  緒美斗は、男の身体から出ているソレに、目を細める。  しかしすぐに鼻で笑うと、また髪の毛を伸ばして刃物のようにし、それを男に向けて攻撃をしていく。  男はそれを切ろうとしたのだが、緒美斗の爪によって、裾と襟元を壁に拘束されてしまい、髪の毛で顔をぐるぐる巻きにされ、ドレスが止めをさすべく、複数のナイフのような形になって男に向いている。  目も耳も口も髪の毛によって覆われてしまった状態の男に、緒美斗はコツコツ、とヒールの音を出しながら近づいて行く。  そして、男の耳元があるあたりに口を近づける。  「折角だから、冥土の土産にあんたの好きなものに化けてあげるわよ?今までもずっとそうしてきたの。まあ、あんたが言わなくても、思考を読みとればいいだけの話・・・」  次の瞬間、緒美斗の頬に痛みが走る。  緒美斗はすぐにそこから遠ざかると、自分の頬を摩り、血が出ているのを確認すると、わなわなと指を震わせる。  これは恐怖によるものではなく、怒りによるものだろう。  「なんなのよ・・・なんなのよあんた・・・!!!」  緒美斗によって拘束されていた男は、すでに自由の身となっていた。  パンパン、と自分の服についてしまった汚れや埃を取るようにして、上から下へと手ではらっていく。  払い終えた男が緒美斗を見て来たため、自然と視線が合うと、緒美斗はドクン、と何か心臓が跳ねる感覚を覚える。  「あんた、やっぱりまずそうね」  「美味かろうと不味かろうと、お前に喰われる心算も筋合いもない」  「だけどね、あんたの攻撃なんて、私にはきかないのよ!!幾ら切ったって、私の髪も、爪も、ドレスも、全て再生されるんだから!」  「それはもう知ってる。見たから」  「腹の立つ男ね」  男が糸を出してきたため、緒美斗はそれを髪の毛を使って阻止しようとした。  しかし、髪の毛に絡みついてきた男の糸は、一気に燃えだして緒美斗の綺麗な赤い髪の毛を焼きちぎってしまった。  自分の綺麗な髪の毛を何度も切られただけではなく、燃やされてしまったことに対して緒美斗は怒り、素早く再生して攻撃をしようとしたのだが、それは出来なかった。  「どうして・・・!?」  人間の出す炎ごときで再生出来なくなるようなものではないと自負していた緒美斗だったが、何度再生しようとしても出来ないため、残っている爪やドレスを使って男を殺そうと模索する。  しかし、これも男によって燃やされてしまった。  髪の毛同様に再生出来なくなってしまった緒美斗は、ついにはヒールを脱いで男に向けて投げつける。  男はそれを避けることなく身体に当てながらも、緒美斗の方へと近づいて行く。  「来ないで!!来ないでええええ!!」  緒美斗の叫びも虚しく、男は緒美斗の短くなってしまった髪の毛を躊躇なく掴みあげると、そのまま前へと押し出した。  緒美斗は自然と後ろに倒れるかたちとなり、男の方を見上げる。  「あんた、正義の味方の心算!?私が何したっていうのよ!?」  「人間を喰った」  「私はね、親切に相手が最期に想い浮かべた人間に姿を変えてやってんのよ!?それなのに私が欲しいと言ったものをくれないからいけないのよ!!」  「喰う必要はない」  「若い奴だって、いずれは歳を取るのよ?なら、若いうちに、必要とされている内に喰われた方が良いに決まってるじゃない!よぼよぼになって腐った身体で生きたって、意味なんかないもの!!」  「・・・言いたい事はそれだけか?」  男が冷たい視線を送ると、緒美斗はまるで命乞いをするかのように、こんな交換条件を出してきた。  「解放してくれれば、今後、あんたを絶対に喰わないわ!ねえ、お願い。私、こんなに綺麗なのよ?求められてるの。男にも女にもね。私がいなくなったら、生きていけない奴らだっているのよ?それでもあんたは私を殺せるの?私1人を殺すより、私を生かしておいた方が、沢山の人間が生きる希望を見出せるの。お願い・・・」  「・・・・・・」  男はしばらく緒美斗を見たあと、くるっと踵を返した。  緒美斗はホッと胸をなでおろし、それと同時に、自分にようやく背中を向けた男に隠れてニヤリと口角を上げる。  ―こんなところで死ねないわ。  ―しかも、こんなわけもわからない奴なんかに。  ―隙さえできれば、こんな奴・・・。  「え?」  「醜い奴の考えていることは、わかりやすい」  自分に背中を向けていたはずの男の身体から、巨大なお札のようなものが出てきており、それによって緒美斗は身体を拘束されてしまった。  どうにか抵抗しようにもぴくりとも動かず、姿を変えればどうにかなるかと思ったが、姿を変えることも出来なかった。  緒美斗は再び男を睨みつけると、男は背中を向けたまま淡々と、感情など全くないように話す。  「俺は正義の味方でもなければ、慈善事業で人助けをしているわけでもない。ましてや、お前の願いを聞き入れるためにきたわけでもない」  「なによこれッ!?身体が!!」  身体にまとわりついている呪符は、緒美斗の身体に溶け込んで・・・いや、呪符に呑みこまれている、という表現の方が正しいのかもしれないが、正確にはどちらなのかはわからない。  とにかく、緒美斗の身体と一体化しようとしているその呪符から逃れようとすればするほど、それは身体に突き刺さる。  その間も、男は平然と話を続ける。  「俺がやるべきことはお前のような悪さをしてる奴を封印することであって、人間の味方というわけでもない。むしろ、俺をこんな姿にした人間には恨みさえあるが、刃向かったところでどうにかなる問題でもないからこうして仕方なくやってるわけで、お前みたいな身の程知らずが少しでも減れば俺の仕事も減ると考えているんだが、どうにもこうにも上手くいかない。最近じゃあ、人間の方からお前のような連中を呼んでいる。そもそも、お前がさっき言っていた、自分が必要とされているとか、いなくなったらどうなるとか、そういうのもどうでもいい。いなくなったらいなくなったで、お前の代わりなんて幾らでもいることの証明にもなってしまうから、あまりそういうことは言わない方がいい。ああ、だからといって、それは誰にでも当てはまることではなくて、肉親とか特別親しい間柄であった場合は別だが、他人として出会って他人として最期まで付き合うような間柄であるのなら、代わりは幾らでもいるということだ。解釈を間違えないように。それでも代わりにならないというのなら、それはそれで変わった関係だとしか言いようがない。なぜなら、そこまで特別な感情移入をしておきながら他人でいるということは、そこには何かしらそうでありつづける理由があって、その理由がいかなるものだったとしても結局は他人でいることを選んでいるのだから、そこには他人以上の結びつきというものは存在していないことになる。それから・・・」  そこまでいって男が緒美斗の方に身体を向けると、すでに緒美斗は呪符に全て吸収されてしまった後だった。  一体いつ吸収し終えたのかは分からないが、男はその呪符を自分の身体に再び戻すと、地面にずっと気絶したままの男を見る。  近づいて行ってどうするのかと思っていると、男の鳩尾あたりを軽く蹴飛ばした。  軽く蹴飛ばしたように見えたのだが、思っていたよりも強く入っていたらしく、伏していた男はげほげほと咳き込みながら起き上がる。  「俺は・・・!?あの女は!?」  身体を起こそうとして見るが、なかなか思うようには動かなかった。  ふと、自分の横に、すでに死んでいる女の身体を見て吐きそうになるが、口元を押さえることも出来ず、そこから出来るだけ離れるように身体を這わせる。  ふと、視界の端に誰かの背中が見えた。  声を振り絞って助けを求めるが、男は聞こえてないのか、足を止めようとしない。  何度か呼んでみてダメかと思ったとき、男は足を止めた。  助けてくれるのかと思って待っていると、男はこちらを振り向くだけで、助けに来てくれる様子は全くない。  「たすけて」  そう言おうとしたのだが、その前に、男の言葉によって遮られてしまった。  「自分の身くらい自分で守れ」  そのまま、男は立ち去ってしまった。  『夫がしばらく出張で家を開けるとは言って出かけていったんですけど、予定が過ぎても帰ってこなかったので、心配になって捜索願を出したんです』  ニュースで流れている、泣いている女性。  旦那がずっと帰ってこないことを心配し、警察に連絡を入れたようだ。  最初は愛人でも作ったのではないかとか、よからぬことを考えたそうなのだが、会社に問い合わせをしてみてところ、出張には確実に出かけたとの返答があり、今回の行動に踏み切ったそうだ。  懸命の捜索にも関わらず捜査は難航、目撃情報も極端に少なく、生存安否は最悪の状況の視野に入れなければいけなかった。  ようやく発見された時には、すでに男性は心肺停止状態だったという。  奇怪だったのは、男性の隣に倒れていた女性のこともそうなのだが、男性の身体はまるで蒸発してしまったかのように、骨も肉も皮も、ほとんど消えてしまっていたらしい。  残りわずかなその骨から身元を割り出せたようだが、一体全体何があったのか、それは誰にも解明できていない。  「自らの命も守れない奴が、他人である家族を守れるわけないだろう」  男は、自分の身体に貼られた呪符を横目で見たあと、普段通りの格好をする。  男の名は、“雅楽”。  名は体を表すというが、この男は別だ。  優雅という雰囲気も無く、かといって、楽しいの“た”の字も全く見せないような男だ。  なぜこんな名がつけられたのかは定かではないが、男はこの名を名乗るしかない。  それが、古からの決まり事だからだ。  「同情されたいなら、それなりの甲斐性を見せることだ」
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