あと4日

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あと4日

次の日の朝、信吾はスマホのアラーム音で目を覚ました。 目を開けて、その瞬間 『おはようございます』 目の前にその表示が現れた。 そして、 『アラームを止めますか』 『はい』『いいえ』 『起き上がりますか』 『はい』『いいえ』 『伸びをしますか』 『はい』『いいえ』 途方のない数の選択に眼前が埋め尽くされた。 昨日の出来事は夢ではなかった。 寝起きから、テンションが下がる。 むしろ、愕然とする。 昨日の短時間ですでに疲れてしまう数の選択を迫られた。 今日、1日となると、一体どれだけの数の選択に襲われるのだろうか。 頭の中が、真白くなる。 『もう一度寝ますか』 『はい』『いいえ』 選択が現れる。 眠ってしまいたい。 眠ってしまえば、その間はこの選択の嵐から逃れることが出来る。 思わず、誘惑に魅かれてしまう。 「おはよう、井浦信吾君」 そういいながら、天使エリーが目の前に姿を現した。 「よく眠れた?」 『返事をしますか』 『はい』『いいえ』 うっ……。信吾は思わず言葉に詰まる。 「それはさすがにめんどくさいなあ」 エリーがそういうと、目の前の選択が消えた。 「私とは、自由にしゃべれるようにしてあげたから」 「あのさ……」 信吾は思わず、 「朝からこんなに追い詰めてくるの、やめてくれないかな……」 「あらー」 エリーがそういうと、目の前にまた選択が現れる。 『このゲームを終了しますか』 『はい』『いいえ』 「別に、やめてもいいんだよ、井浦信吾君?」 エリーはそう言って微笑んだ。 やめてもいいって言ったって……。 「もちろん、きみは4日後に死んじゃうけどね」 それを言われてしまうと……。 「いいのよ、これは、井浦信吾君、きみの人生なんだから」 信吾はその選択に『いいえ』を選ぶ。 「今日は木曜日だから、学校でしょう?楽しみだね」 エリーが楽しそうに聞いてくる。 「友達と会えるのも、あと4日だけだもんね」 そういうと、信吾の部屋の中をくるくると飛び回る。 エリーのスカートが揺れ、中が見えそうになり、信吾は思わず顔を赤らめた。 「でも、1日寝ててもいいのよ」 エリーが信吾の目の前で止まる。 顔が信吾のほんの数センチ先にある。少しだけ顔を突き出せば、届く距離だった。 信吾の顔がより赤みを増していく。 「すっごい数の選択を迫られるから」 エリーはそういうとゆっくりと顔を離し、信吾から距離を取った。 「さ、井浦信吾君、全部、きみが決めるのよ」 エリーがそういうと、先程現れていた途方もない数の選択肢が、信吾の前に再び現れる。 「頑張ってね」 信吾はアラームを止め、起き上がり、うんと伸び上がると、ベッドの中で少しだけストレッチをして、布団を出て、下のリビングへと降りて行った。部屋を出るときは、右足で、階段を下る最初の足は左足だった。手すりに手をスライドさせながら、信吾はゆっくりと階段を降りて行った。 降りるだけでも、一苦労だった。 「おはよう、信吾」 『返事をしますか』 『はい』『いいえ』 「『はい』」 「おはよう、母さん」 信吾は選択をし、母親に挨拶をした。 「おはよう、ごはんもうすぐできるから、お父さんにも挨拶してね」 『返事をしますか』 『はい』『いいえ』 「『はい』」 『うんと返事をしますか』 『はい』『いいえ』 「『いいえ』」 『わかってると返事をしますか』 『はい』『いいえ』 「『はい』」 「わかってる」 『父親のほうに向かいますか』 『はい』『いいえ』 「『はい』」 信吾は選択をし、父親のいる4畳半の畳へと入って行った。 「おはよう、父さん」 信吾はそういうと、仏壇の前で手を合わせた。 井浦誠、享年35歳。 信吾の父親は、信吾が3歳の時に、なくなっている。 死因は事故死で、信号無視をして突っ込んできた車にひかれてしまったのだ。 信吾もその場にいたと母親から聞いたことがあるが、正直小さいときのことなのであまり覚えてはいなかったし、父親のことも実際をいうとあまり記憶にないのが事実だ。 それからは信吾の母親がひとりで、信吾と妹の美咲を育てていた。 信吾はふっと息を吐くとまた選択を迫られ、ダイニングへと戻った。そして、これまたたくさんの選択を迫られ、並べられた朝食を食べ始めた。 途中で妹の美咲がおりてくる。 「おはようー」 眠そうな目をこすっている。 信吾はそれに「おはよう」と返す、そう選択をした。 その後も出された朝食を食べる順番、顔を洗うか、トイレに先に行くか等々、家を出るまでの間におよそ50もの選択を迫られ、信吾はすっかり疲弊してしまった。体感時間では家を出るまでに3時間はかかっているが、信吾が選択を迫られている間、周囲の時間は止まっているので、実際、信吾は、いつもより早く家を出ることができた。 「行ってきまーす」 その声は、すでに疲労感を纏っていたが。 信吾は歩いて駅へと向かう。昨日エリーと出会った駅に。高校はそこから電車で20分ほどで到着する。近いところを選んだので、朝がスムーズでよい。 その高校へと向かう道が、こんなにも険しいものだと、信吾は知らなかった。 一歩踏み出すたびに様々な選択を迫られる。やれ右を見るのか、左を見るのか、上を見るのか、下を見るのか、いつもとは別の道を通ってみるのか、そして、このゲームを終了するのか。 ふーと信吾は小さくため息をつく。疲労が、肩にどっとのしかかってくる。 それでも、このゲームを続ける。 何とか、自分の選択にかけてみたい。 信吾はそう思っていた。 「しんちゃん、おはよー」 『振り返りますか』 『はい』『いいえ』 『はい』 そう選択し、信吾はその声に振り返る。 麻生環奈だ。 少しだけ小走りをして、信吾の方に近づいてくる。 「おはよう」 そういって、ポンと信吾の肩をたたいた。 目の前の選択の中から『おはよう』を選び、信吾は 「おはよう」 と、環奈に言葉を返した。 麻生環奈は信吾の近所に住む幼馴染で、幼稚園から、高校まで、ずっと同じところに通っている、いわば腐れ縁のような関係にあった。 「しんちゃん、なんか疲れてない?」 その言葉をきっかけにまた、様々な選択が目の前に現れる。 信吾はその中から『べつに』という言葉を選択した。 「そっか」 環奈はとくに何も聞くこともなく、信吾の隣を歩いて行った。 「今日って、数学の宿題あったっけ?」 目の前に選択肢が現れる。それを前にして、思わず体が止まる。いや、選択中は動けないので、体は止まっているのだが。 疲れる……。 環奈のその言葉には、返事をしないという選択をし、信吾はその場をやりきった。 「しんちゃん?」 その後の環奈の言葉をすべて無視し、信吾は自分の負担を減らした。 やがて学校が近づいてくる。 環奈は、いつもと様子が違う信吾を不審に思いながらも、友達を見つけて、その方へと走って行った。信吾はひとりになり、少し、気が楽になった。言葉を発するだけでも、一苦労だ。 「おはよう、信吾」 クラスメイトの武野拓郎が声をかけてきた。 信吾の頭がうなだれそうになる。 目の前にはたくさんの選択肢。 「おはよう、拓郎」 信吾はなんとか、作り笑いを浮かべ、返事をした。 「なあなあ、昨日のテレビ見たかよ」 長い1日になりそうだ。 授業が始まると、選択の数は減った。やはり動いたり、話したりしなければ、大分少ない選択で済んだ。 時折、窓から外を見ると、エリーがふわふわと浮かんでいて、楽しそうにこちらに手を振ってきた。それを無視したり、時には、反応してみたり、信吾はそれを繰り返した。 しかし、黒板の文字を書き写すたびに、選択は現れ、疲れることには変わりなかった。 「どう、調子は?」 3時間目の最中、エリーが信吾にそう話しかけてきた。 「疲れる」 「まあ、それはしょうがない。なんてったって、きみの人生がかかってるんだからね」 エリーはそういいながら、大きな声で笑った。 「どう、順調?」 エリーが信吾の隣に立ち、聞いてくる。ノートを覗き込んでいるようだった。 「わかんないよ」 「わかんないよね」 エリーが隣にたたずみながら楽しそうにいう。 「私にも、わかんないし」 「えっ、わかんないの?」 信吾は思わず声を上げた。 「えっ、わかんないよ?」 エリーはさも当然のような口調で信吾にそう返した。 「なんで、えっ」 「だってまだ、選択の途中だから」 エリーはそういって教室を歩き出した。まるで先生のように。 「井浦信吾君、きみの人生はまだ選択途中なのです。ひとつの選択で運命が決まるような大きなものもあるけど、そうじゃない、小さな選択も存在するのです。きみの人生の選択は、緩やかな流れを作って、運命を決定していくんです。だからつまり!」 エリーが止まったままの先生の横に立ち、教卓にパンと手をついた。 「私にも、きみの運命はまだわからないのです」 自信満々な回答に、思わず気が抜けてしまった。 「おおまかな流れならわかるけどね」 その言葉が、信吾の身体を緊張させる。 「でも、それは教えてあげない」 口元に人差指を持ってきて、ウインクをしながら、エリーはそういった。 また、少しだけ気が抜ける。 「ひとつわかっていることは」 エリーがそういって、信吾の目をまっすぐに見つめる。 「きみは、あと4日後に死んじゃうかもしれないってこと」 身体が少し冷たくなるのを感じる。 「だから、楽しんでね、残りの人生を」 エリーはそういうと姿を消した。それと同時に止まっていた時間が動き出した。 あと4日後に死んじゃうかもしれない。 現実味を帯びないその言葉に、どう反応すればよいのか、信吾にはわからなかった。 なんとなく、気分が沸かないから。 信吾は拓郎にそう言って、昼休みの時間をひとりで過ごした。ひとりで弁当を食べ、ひとりで、学校の芝生の上に寝転がり、いろいろなことを考えてみた。 けれど、何一つ、答えが出るものはなかった。 唯一いえること、それはやはり、自分はあと4日後に死んでしまうかもしれない。それだけだった。4日。この数字が、どんな意味を持っているのか、信吾には、わからなかった。 授業が終わると、部活の時間になる。信吾は、部活を休もうか悩んだが、最終的に参加することを選び、拓郎と一緒にロッカーへと向かい、ユニフォームに着替えた。 信吾と拓郎はバスケ部に所属していて、今日も体育館で練習があった。 2年生になった信吾は、徐々に中心的なポジションを任させるようになっていき、練習内容やなどについても、先輩たちと相談し、考えていくような立場になっていた。 今日も、練習を見ながら、メニューを考える。 目の前に選択が止まることなく現れる。何をどうすればいいのか、こうすればいいのか、ああすればいいのか、信吾の目の前には、もはや信吾の視界には収まらないほどの膨大な数の選択が現れた。 思わず、吐き気をもよおす。 うっと口を抑えたい衝動に駆られたが、それも結果として、選択の数を増やしただけで、信吾は少し後悔した。山ほどある選択肢をひとつずつ、確実に処理していく。 そうしなければ、いつまでも家に帰ることすらできない。 やっとの思いですべてを処理しきるころには、もう全身から力が抜け、頭が思考停止状態になっていた。 「大丈夫かよ」 拓郎がそう声をかけてくる。 信吾はそれに反応しなかった。 反応しないことを選んだ。 それからも、信吾の疲労は収まることなく、結果、メニューを考えただけで、何もせず、気が付いたら、部活の時間が終っていた。 そして、信吾は、ひとり家に帰った。 「おかえり」 母親にそう声をかけられたが、疲労のため、無視した。無視する選択をした。 それからも、家族にはなしかけることはせず、行動も最低限のうちに済ませ、すぐに自室のベッドへと寝転がった。 そこにエリーが現れる。 「お疲れ様」 そう、声をかけてくれる。 信吾はそれに声も出さずにうなずく。 「ちょっと疲れちゃったかな?」 その問いに信吾はうなずく。 「きみの人生かかってるからね、無理もないよ。でも」 エリーが信吾の上に覆いかぶさる。 「きみの人生、あと3日」 エリーがそういうと、信吾の目の前に『ゲームを終了しますか』という選択が現れる。 「やめてもいいんだよ」 エリーが優しい声でつぶやく。 信吾の思考は停止していて、思わず、 『はい』 その選択を選びそうになったが、途中で、それを踏みとどまった。 「きみは、そのまま死んじゃうんだけどね」 エリーのその言葉によって。 そして 『眠りますか』 その選択に『はい』を選ぶ。 泥沼に沈んでいくかのように、意識がゆっくりと深く深く沈んでいくのが信吾にはわかった。 「おやすみ、井浦信吾君」 信吾の人生、残りあと3日。
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