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あと3日
次の日、信吾は思ったよりも快適な朝を迎えることができた。
あのひどい疲労を抱えては、明日は動くことすらできないだろうと思っていたが、全くそんなことはなく、頭も体も、ふつうに動かすことができたし、むしろ、昨日よりも元気化も知れない。そんな気さえした。
「おはよう、井浦信吾君」
エリーが、信吾の勉強机に腰掛けながらそう言った。
「きみの人生の終わりまで、あと3日ね」
「ああ」
信吾がそういうと、また選択が現れた。昨日と同様だ。頭が混乱していく。
「今日もしっかり、人生を選択していってね」
エリーが元気いっぱいといった感じで微笑んだ。
「きみの人生なんだからね、井浦信吾君」
そういって、エリーは窓から出て行こうとする。
「ああ、そうだ」
エリーが振り返る。
「あと3日間、楽しんでね」
エリーが消えた瞬間、またたくさんの選択が現れた。
信吾はその膨大な数の選択に押しつぶされそうになる。
きみの人生なんだからね。
その言葉が、なんとなく頭に残った。
「あと3日間か……」
小さな声でつぶやきながら、信吾は、ゆっくりと確実に選択を決めていく。
選択の数は、昨日と大差はないが、おおよそ内容が同じものが多いように思われた。信吾は昨日の経験を生かしながら、選択を続けていく。果たしてこれが正解なのか、段々と不安になってくる。もっとゆっくり処理するべきなのだろうか。けれども、ひとつひとつの選択に頭を使いすぎては、本当に発狂するのではないかという不安にも襲われる。
「何事も、適度が肝心……」
適当なことを言いながら、信吾は人生を選択していく。
あと3日で死ぬなんて、信じられない。
そんなことを思いながら、信吾は今日も学校にむかった。
「おはよう」
と昨日同様に環奈が信吾に声をかけてきた。
「おはよう」
それに信吾は返事をするという選択をした。
昨日とは違う選択だ。
「お、少しは元気そう?」
環奈はそう話しかけると、ひとり楽しそうに鼻歌を歌いながら信吾の隣を歩いて行った。環奈はいつもそうだった。小さい時か一緒にいるが、本当に自由なやつだと、改めて感心する。時折変なことを言い出しては、人を笑わせるようなタイプの人間だった。
それに環奈は、信吾の変化によく気付く。体調が悪い時などは、すぐに言い当て、信吾を家に帰そうとしたものだった。その環奈をごまかせているなら、今日はきっとうまくいくだろう。
「しんちゃんさー、英語の宿題やったー?」
えいごのしゅくだい?
信吾の頭が一瞬止まる。
「あ、やってないんだ」
環奈がすぐにそれを言い当てる。
「……教室着いたら写させて」
信吾はそうお願いすることを選択した。
英語の時間も、環奈のおかげでなんとかうまく乗り切ることが出来た。授業中も信吾はぼーっと、自分の人生について考える。
自分が、あと3日で死んでしまうなんて、考えられない。
自分の死因や、状況について思いをはせるも、浮かぶことはなにひとつなかった。
時折教室を見渡す。授業中に隠れてしゃべっている者や、寝ている者もいる。風は今日も穏やかに流れ、太陽は、暖かく教室を照らしていた。
この風景ともお別れなのか……。
ふと、そんな言葉が浮かび、信吾は一瞬体が冷たくなるのを感じた。5月の暖かい日。もうすぐ夏がくるそんなことを感じさせるような日。それでも、信吾の体に冷たいものが走り抜けて行った。
当たり前の風景。それが終ること。信吾は考える。死ぬってどういうことなのか。死んだら、自分はどうなってしまうのか。
時折、エリーが視界に入る。楽しそうにこちらに手を振ってくる。
エリーのことは信吾以外誰にも目にすることができないそうだから、それをなんとなくやりすごす。空に浮かんでいる人間。エリーさえいなければ、本当に、変わらない毎日がずっと続いていくのに……。
「井浦くん、次読んで」
先生のその言葉は信吾には届かない。
「しんちゃん」
隣の席の環奈にそでを引っ張られ、信吾は初めて、自分があてられていることに気が付いた。気が付いた瞬間に、またたくさんの選択が信吾の前に現れた。
信吾は、黙って、それを選んでいく。
この選択が、どの選択か。どれが、自分の運命を変えるものなのか。
信吾にはさっぱりわからない。
放課後、バスケ部の練習では、試合を行うことになった。信吾はメンバーに選ばれ、それに参加する。
先輩が、信吾たちチームを集める。信吾は、それに参加することを選択する。
「久しぶりの実戦形式だから、みんな気合をいれてやるように」
先輩がそういうと全員で
「おう」
と声を出した。
信吾もその言葉を選択し、ほかのメンバーと同じタイミングで、言葉を発することが出来た。
声が重なり合う。
そんなことでも、信吾は少し、不思議に感じてしまった。
みんなは、みんな言葉を発することを選択している。そして、どんな言葉を、どんな風に発するかを選択している。全員が同じ選択をし、そしてその選択のタイミングが重なり合い、同じ瞬間に声を出すことができる。よく計算されているのか、それとも、それが人間にそなわっている何かなのか。それとも、それ自体がもう、奇跡に近いものなのか。
ブザーを合図に試合が始まる。ボールが高く投げられる。それを追い、ふたりが高く飛び上がる。
かすかに、信吾側の選手のほうが、高く飛んでいる。
ボールに手が触れる。
その瞬間、信吾の前に様々な選択が現れた。どう動くのか、それを選べと言っている。
信吾は、ボールが自分たちの手に渡ると信じ、ボールを取りに行くことを選択した。
しかし、相手側の方が、はじくタイミングが早く、ボールは、相手側に回ってしまった。
そして、選択が現れる。どう動くのか、どう動けばいいのか。一秒一秒、どんな一歩を踏み出せばいいのかを、ゲームが信吾に問いかけてきていた。
信吾は今後起こるであろうプレーを予測すし、そして、一秒一秒、一歩一歩、人生の選択をしていった。
時には信吾の予想はあたり、時には信吾の予想は外れた。
しかし、当たることも多く、信吾はその試合で、比較的多く、得点をすることが出来た。
1試合でこんなに得点したのは、これが初めてかもしれない。
信吾のチームは、信吾の活躍もあり、大差で勝つことができた。
試合終了のブザーと同時に、仲間たちが、信吾の周りに駆け寄ってきた。
「お前、今日すげーじゃん」
「ほんと、めっちゃいい動きしてる!」
信吾をそう褒め、頭をたたき、労をねぎらってくれた。
信吾には、それがとても嬉しかった。
このゲームは、試合には使えるかもしれない。
そう思った瞬間に、また、ひやりと冷たいものが体の中を走って行った。
「おつかれー」
他の選手の試合が始まる。
信吾はそれをひとり眺めている。
自分のあのプレー。
あのプレーはあのゲームのおかげでなりたっていたのか。
それは、自分の実力といえるだろうか。
得点が入り、みんながわっと声を上げる。
しかし、信吾は、その輪の中に入れない。
急に、孤独を感じた。
信吾は隅でひとり座り込み、試合をぼーっと見つめていた。
体が冷えていくのを感じる。
「汗、拭いたの?」
目の前に立ち塞がったのは、環奈だった。
環奈もおなじバスケ部で、女子も隣のコートで練習試合をしていた。
環奈がタオルを差し出す。
信吾はそれを受け取るか、また目の前に選択が現れる。
『タオルを受け取りますか』
『はい』『いいえ』
時間が止まる。心配そうな、少し怒ったような顔をして、環奈が目の前に立っている。
このタオルを受け取るべきなのか。
もちろん、受け取ったほうがいいのだろう。
でも。
そう、けれど受け取りたくない、そんな気持ちもあった。
ひとりにしてほしかった。
自分の悩みは誰にもわからないし、それに、環奈に伝えたところでどうになかるものでもない。
お願いだから、ひとりにしてくれ。
目の前の選択は、消えない。選ばなければ、選ばなければならない。
『タオルを受け取りますか』
『はい』『いいえ』
「『いいえ』」
「大丈夫だから」
信吾はそういうと、環奈の手を突き放した。
環奈が怒った顔をしている。手を突き放した瞬間、見なくてもわかる。環奈の顔。
きっと、怒っている。
「あっ、そう」
環奈はそういうと、女子コートの方に戻って行った。
環奈は今、どんな選択をしたのだろうか。
どんなことを思い、行動を決め、言葉を選んだのだろうか。
信吾は顔を上げて、環奈のほうを見る。
遠くにいってしまったが、みんなと楽しそうに話をしている。
その姿が、信吾は純粋に、うらやましかった。
あと、3日間。自分も、輪の中に入らなければ。信吾はそう思い、部活終わりにみんなに大きな声で声をかけて回った。
「お疲れー!」
元気に、いつもより元気に。
信吾は笑顔を作り、チームメイトたちの間を駆け抜けて行った。
「おつかれー!」
チームメイトたちも、笑顔でその声にこたえてくれる。
そして、最後に拓郎の元にたどり着く。
「拓郎!」
信吾はどんと、勢いよく拓郎にぶつかる。信吾は背が低く、拓郎は背がとても高いので、拓郎は、信吾のタックルなど、気にも留めなかった。
拓郎に、拓郎に何か言わなければ。
目の前に選択が現れる。
拓郎にかける言葉を、1番信吾に優しい、信吾を気遣ってくれる拓郎にかける言葉を。
親友にかける、特別な何かを。
「お疲れ!」
「ああ、お疲れ、また明日な」
信吾はそう声をかけると、ひとり、家まで走って帰った。
涙をこぼし、鼻をすすりながら、息苦しさを感じたが、それでも信吾は走って帰った。
走って、走って、そうしたら、何かが変わるかもしれない。そう思った。
けれど、走りながらも、様々な選択が信吾を襲う。信吾は無心になれずに、どこか冷めた頭でその選択を処理していく。
何が悲しいのか、何に泣いているのか。
信吾には、もうわからなかった。
そして、家に帰ると、門の前にエリーの姿があった。
「おかえり」
エリーが優しく微笑んでいた。
「ただいま」
信吾はそういうと、涙をぬぐい、鼻をすすり、何もなかったかのようにふるまう。そう選択をして、家の中に入っていった。
「ただいまー」
いつもより、大きな声を出して、信吾は家の中へと入っていった。
家の中には、誰もいなかった。灯りのついていない部屋の中を見て、少しほっとするのを感じた。
母親は、仕事で遅くなっているのだろう。美咲は?
「まだ中学生だっていうのに」
信吾はその言葉をつぶやくかどうか、迷ったが、つぶやくことを選んだ。
その言葉が、家のなかにひとり、響いていく。
それが、なぜだか、信吾の心を落ち着かせた。
食卓の上には、晩御飯の用意はない。
米が炊き上がっているのがわかる。冷蔵庫を開けると。様々な食材が並んでいる。
母親はこれでいったい、何を作るつもりだったのか。
信吾の目の前に様々な選択が現れる。
そして、信吾はその中から、オムライスを選択し、卵を割って、オムライスを作った。自分と、母親と、美咲の三人分。
そして、自分の分を素早く食べると、信吾は、自室に引きこもった。
母親にどう顔を合わせていいのかわからなかった。
起きている最中にも、妹の美咲に帰ってきた声や、母親の帰ってきた声がした。そして、オムライスが出来ていることを喜ぶ声、そして、信吾を呼ぶ声が聞こえた。
けれど、聞こえないふりをした。
信吾は聞こえないふりをし、寝ているふりをして、それをやりすごした。
いつの間にか、信吾の目の前には、『眠りますか』の選択が現れていた。
信吾はそれに、『はい』と応える。そして、眠りについた。
起きているのがつらかった。
何かを考えていることがつらかった。
いっそ、ずっとこのまま、眠り続けたい。
眠る直前に信吾はそう思ったが、その選択肢は目の前には現れなかった。
もしかしたら、明日現れるかもしれない。
もし、現れたその選択に、信吾は正しい人生を選ぶことができるのだろうか。
「おやすみ、井浦信吾君」
エリーがそう優しく、信吾にささやきかけた。
信吾の人生、残りあと2日。
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